落語家・林家つる子「出る杭は打たれる。打たれて強くなればいい」12人抜きで女性初の抜擢真打になるまで
落語協会誕生から100年にあたる節目の今年3月、女性初の抜擢真打となった、落語家の林家つる子さん。そんな彼女が、セットも何もない高座に一人で上がって笑いを巻き起こす落語という伝統芸能にのめり込んでいった経緯とは? インタビューの前編では、つる子さんと落語の出会いから、12人抜きで真打となるまでのストーリーをお伺いしました。 笑顔が魅力的な、落語家・林家つる子さん(写真)
■人生を変えた、究極のエンターテインメント・落語との出合い ――つる子さんは、もともとは地元の女子高で演劇をやっていらしたとか。 つる子さん:はい。進学校だったんですけど、勉学そっちのけで演劇にののめり込んで、3年生の1学期に偏差値36という驚異の数字を叩き出したぐらいです(笑)。 振り返ってみると、表現することに目覚めたのは小学5年生のとき。先生が声をかけてくださり、演劇クラブに入って、初めて人前に立ったんです。そのとき、クラスメイトが感動してくれたことや、自分が没頭できたこと、母が喜んでくれたことがうれしくて。中学は演劇部がなかったので、高校生になってまた演劇部に入ったのですが、1年生のときに演じたドラァグクイーン的な役がもうひとつの転機。ちょっと出て、笑いを取ってはソデに引っ込む役どころだったんですけど、それが本当に性に合って。そこで初めて、みんなが笑ってくれることにやりがいを感じました。両親にも好評で、寡黙な父も「とうとう殻を破ったね」みたいな感じで喜んでくれて。 ――ところが、大学入学後は落語研究会に入られた。 つる子さん:新入生勧誘のとき、お兄さん、お姉さんがビラを配る中、「はい、どうも~」っていきなり漫才を始めた二人組がいたんです。それが落研の先輩で、「落研って古いイメージがあるかもしれないけれど、コントや漫才をメインにやっているから」と。コントにも興味があったので見学に行ったら、ほとんど落語の活動しかしていない(笑)。 だけど、最初のインパクトが強くて、ずっと落研のことが気になって。母に相談したら、「落語、面白そうじゃない」と言ってくれて、その言葉に背中を押されて入部を決めました。 ――それまでは落語を見たこともなかった訳ですよね。 つる子さん:はい。今思うと、最初に見た落語がプロの師匠のものでなく、先輩がやっている落語だったのがよかったなと。私と年の近い若い人が、昔作られた噺を高座にかけて、それを今の人が聞いて、笑ったり、感動したりできるんだ……ということにロマンを感じたんです。 それに、落語って一人で何役もできるし、なんなら美術や演出も一人でやるじゃないですか。究極のエンターテインメントな気がして、瞬く間にのめり込んでいきました。 ■「やりたいことが見つかったのなら早くやった方がいい」背中を押してくれた、母の言葉 ――では、本格的に落語の道を進もうと思われたのは? つる子さん:まわりが就活を始めた3年の終わり頃でしょうか。その時、「今これだけのめり込んでいる落語という選択肢もあるのかな」と思った一方で、未知の世界すぎて不安もありました。そこで、「いつか表現するときに役立つかもしれない」という思いもあり、一度、就活をすることにしたんです。 そんな日々の中、落研の卒業公演の準備に差しかかったんですね。その時、自分の中に「卒業公演は絶対にいいものにしたい! 今はこれにすべてを注ぎたい!」という強い気持ちがあることに気づいたんです。そこで、また両親に相談しました。 ――人生の節目、節目でご両親に相談されてきたんですね。「将来、噺家になる」と聞いて、どんな反応をされていましたか? つる子さん:父はとても心配していましたし、私にも「大学まで行かせてもらったのにいいのかな?」という思いがありました。 だけど、この時も母が、「やってみなよ!」と言ってくれたんです。「やりたいことが見つからない子のほうが多いなか、やりたいことが見つかったのなら早くやったほうがいい。特に女の子は、結婚や出産が伴ってくるかもしれないから」とも言ってくれて、決意を固めました。 ■「挑戦しないと何も始まらないし、何も変わらない」二ツ目時代の糧があったからこその今 ――林家の門を叩いたのは、何かきっかけがあったのでしょうか? つる子さん:大学の教授で今も落研の顧問をされている黒田先生が、柳家さん喬師匠の新作落語の脚本を書かれていたんです。そのご縁で、お二人に相談に乗っていただけることになったんですね。そこで繋いでいただいたのが今の師匠(林家正蔵)です。寄席で聞いた師匠の高座に感銘を受けて、さん喬師匠がお会いできる場を作ってくださり、弟子入り志願をさせていただきました。ドキドキしましたが、ちょうど師匠も初の女性のお弟子さんとなる、なな子姉さん(林家なな子)を取られたところで、「二人いたら何かと心強いだろうから前向きに考えてみる」と仰ってくださって。それからトントン話が進んでいきました。 ――ご縁ですね。一門に入る時は師弟の儀みたいなものがあったりするんですか? つる子さん:盃を交わす、とかはないですけど、師匠のお宅に両親を連れて行って、おかみさんがさくら茶というおめでたいお茶をいれてくださいました。 その後、2010年9月1日に入門しました。半年の見習い期間中は寄席に入れなくて、師匠のお宅に伺って、掃除や身の回りのお世話、着物の畳み方の稽古などがあります。師匠のお宅では大人数で食卓を囲んだり、来客も多いのでおかみさんのお仕事も多く、そのお手伝いもたくさんしました。最初の頃は何をすればいいのかもわからない。怒られてばかりの毎日でしたが、今となっては貴重な経験をさせていただいたと思っています。 ――そんな前座時代があり、二ツ目に上がりました。 つる子さん:2015年の11月のことです。この時は、「やっときたか!」と本当に嬉しかったですね。二ツ目に上がると、自分の会が開けるようになります。そこで新しく挑戦したのが、新作落語です。私、今年のR-1グランプリで4位になった「どくさいスイッチ企画」さんとは、策伝大賞(落研に入っている大学生にとっては甲子園のような大会)で知り合った同学年の友達なんですね。彼は落語も本当に面白くて、卒業後も新作落語の脚本を書いていたんです。 そこで、私が二ツ目になった時、どくさいスイッチ企画さんが脚本を手掛けた新作落語を高座でかけたら、見に来てくれて。「こんな日が来るなんて」「エモいね」とお互いに号泣しました。落語をより多くの方に知っていただくために、ミスiDに出たり、YouTubeを始めたのもその頃です。 ――二ツ目になって、活動領域を広げていかれて。師匠の反応はいかがでしたか? つる子さん:うちの師匠は本当に寛容で、むしろ「挑戦しなさい」と勧めてくださって。それが心強かったからこそ、いろんなことに挑戦できました。二ツ目の時期は失敗しても許される時期だとも思っていましたし、のちのち糧になるかもしれないという気持ちもありました。そして、今思うのは、挑戦しないと何も始まらないし、何も変わらないということです。 他の師匠方から、特にミスiDに関しては、「つる子はこういうことがしたかったの?」と言われたこともありました。もちろんいちばんやりたいのは古典落語なので、「中心にあるのは古典落語」とわかっていただくために、ここを疎かにしてはいけないという覚悟が生まれたのもこの頃です。 ■押し寄せるうれしさと不安。林家正蔵師匠のひと言で、決意が固まった ――ご自身が置かれている状況を俯瞰しておられる印象です。そういった視点はどうやって養われたのでしょう? つる子さん:やはり、長い前座時代があったからこそかなと思います。私は二ツ目に上がるまで5年と少しかかりましたが、どんな職業でもそうだと思うんですけど、前座修業も、3、4年目ぐらいから慣れてきて、少しずつ精神的な余裕が生まれてくるんですね。 そこで思ったのが、「この時期を何とか有意義に過ごしたい」ということ。その時期があったからこそ、「二ツ目になったらああしたい、こうしたい」という欲を駆り立てられて、原動力につながったのかなと思います。 ――そして、2024年3月に真打になられて。重ね重ね、おめでとうございます。その連絡は直接、師匠から? つる子さん:はい。仕事先への移動中、師匠からの留守電で聞きました。「今日、理事会があって、抜擢の真打昇進の話があがっている」と。順当にいって、あと3年ぐらいで真打が見えてくるかなという時期だったので、驚きのあまり震えました。 もちろん嬉しさも込み上げましたけど、その直後に一気に不安が押し寄せてきて……。寄席を満席にできるのだろうかとか、抜擢真打という目で世間から見られた時、それに見合う芸ができるのだろうかとか……。この不安をどうやって乗り越えるかを考える日々が、そこから始まりました。 ――嬉しいお知らせを最初に伝えたのはどなたですか? つる子さん:母にいの一番で伝えました。父は間に合わなくて伝えられなかったんですけど……。母はその頃から今もリハビリ中なのですが、すごく喜んでくれて、少しでも元気づけられる報告ができて私も嬉しかったです。この連絡を頂いた時、師匠が「どんなに遅くなってもウチに来なさい」と言ってくださっていたので、仕事の帰りにご報告に伺って。このとき、入門のときに出してくださったさくら茶がもう一度出てきて、涙が溢れました。 ――この展開は泣いてしまいますね。 つる子さん:師匠も抜擢で真打に昇進されているので、「出る杭は打たれる。だけど、打たれて強くなればいいから」という言葉をかけていただいて。「その時の師匠のご苦労に比べたら、私なんかが弱音を言っている場合じゃない。師匠やおかみさんのためにも頑張ろう!」と決意できた瞬間でした。 ――そして、真打昇進披露興行では寄席で25回トリを取られました。その時の心境はいかがでしたか? つる子さん:お客さまの入りが心配な日もあったのですが、客席を見て、「皆さん来てくださったんだ」と涙が溢れたり、師匠方の口上を聞いて、感動のあまり高座で号泣したりもしました。プレッシャーもありましたし、なるべく見ないようにしていましたが、この昇進に関してネット上でいろんなことを言われていたと思います。 だけど自分はそこに向けてではなく、応援してくださる方や楽しみにしてくれる人を喜ばせるためにやるんだという思いで精神を保っていました。演劇をやっていたときもそうでしたが、笑ってくださる人がいるならその人のためにというのが、自分の生きがいなのかなと思います。 落語家 林家つる子 1987年生まれ、群馬県高崎市出身。古典落語の滑稽噺から人情噺、現代を舞台にした自作の新作落語にも取り組んでいる。一方で、古典落語の名作「子別れ」「芝浜」「紺屋高尾」などの登場人物であるおかみさんや遊女を主人公にして、その視点から落語を描く挑戦を行っており、その挑戦が多数のメディアで取り上げられ大きな話題となった。2024年3月21日に、12人抜き女性初の抜擢真打に。 抜擢真打とは? 真打とは寄席でトリを取れる資格を持つ落語家のこと。通常は入門後に半年の見習い修行を経て「前座」を務め、3年~5年で「二ツ目」に上がり、10年ほどで入門順に「真打」に上がるのですが、実力や人気があれば、先に入門した落語家を抜いて「真打」にあがることがあります。これを「抜擢真打」と言います。 撮影/安川結子 ヘア&メイク/上野祐実 スタイリスト&着付け/安藝和恵 取材・文/山脇麻生 企画・構成/木村美紀(yoi)