「僕には才能がない」ロッテ・澤村拓一35歳が語る“常に逆境”の野球人生
ロッテで終わりたい、やめるのは今じゃない
2022年9月にレッドソックスを自由契約となり、日米両方において次のプレー先を探すことになった。複数の球団が手を挙げるなかで選んだのはロッテであった。決め手は「人」だった。 「ガキのときに始めた野球をこれまで続けてきて、若手よりはこの先長くはない。そう考えると誰と一緒に野球をやって、どこで終わるかっていうのは自分にとってものすごく重要だったので、ロッテに帰ってきました。(益田)直也らオフに一緒にゴルフをする連中もいれば、(美馬)学さんら食事をする人もいて……僕は結局人が好きなんで、最終的にはここで終わりたいと思えたんです」 吉井理人監督の存在も外せない。2020年は投手コーチとして支えてもらった。 「基本的に僕には何も言わないですけど、困ったことがあれば聞きにいくし、きちんと選手のことを思って動いてくれる人なので、選手たちも自然と『吉井さんのために』ってなりますよね。僕もその一人です」 キャリアを積んだ年長者として、自分なりのトレーニングを構築したアスリートとして若手に対する影響度も大きい。どのようなスタンスで接していくのか──。 「自分が引っ張るみたいなことは1ミリも思ってないです。一緒に成長していく、それだけ。ただ、傷口をなめ合うようなうわべだけの人間関係はやめようぜって」 澤村はそう言って、真っすぐな視線をこちらに向けた。
威風堂々には、彼の生き方が映し出されている。 「野球のこと、体のこと、栄養のこと。うまくいく、いかないというのはプロの世界なのでもちろんある。でも、やらないで物事を語る人が多すぎる。物事は自分が体験する以上に、いい方法はないんです。変化しようとする心は持っているし、いろんな物事に対しても耳を傾けているつもりです。ただ自分の信念だけは、絶対に揺るがない。そう思っています」 1988年度生まれの「ハンカチ世代」は田中将大、柳田悠岐、秋山翔吾、大野雄大らプロの世界で長く活躍する選手がいる一方、斎藤佑樹、大石達也らユニホームを脱ぐ選手も多くなった。だが35歳になった澤村は、現役の終焉など頭にない。 「僕にもいずれ来るんだろうけど、それは今じゃないなと。衰えているとはまったく思っていません。それこそトレーニングをずっと続けてきたおかげでアメリカでも力勝負ができました。自分の場合、ルーキー時代よりも球が速いわけですから、四十何歳くらいまでは投げたいですね」 信念は剛直に、姿勢は柔軟に。澤村拓一のストーリーはまだまだ続く。
澤村拓一(さわむら・ひろかず) 1988年4月3日生まれ。栃木県出身。佐野日大高、中央大を経て、2010年ドラフト1位で巨人に入団。プロ1年目は11勝を挙げて新人王を獲得。2016年には初のタイトルとなるセーブ王に輝いた。2020年のシーズン途中に巨人からロッテに移籍。2021年からの2年間はメジャーリーグのレッドソックスで活躍。今年1月にロッテ復帰を発表した。