中村歌六 『熊谷陣屋』白毫弥陀六「義太夫狂言の爺役には力が要るんですよ」【ぴあアプリ「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」特集より】
心で還俗する弥陀六と、この世から離れたい熊谷
――義経が鎧櫃を持ってこさせます。そこで「この鎧櫃、届けてくれよ、こりゃ弥陀六」と声をかけると「面白い」と。この弥陀六の「面白い」という歌六さんの声がまた低くてカッコいいんです。 歌六 義経の物言いに対して、ふふんと鼻で笑い、このやろう、この小僧、面白いじゃないか、という感じです。義経が宗清ではなくあえて弥陀六と呼ぶのなら、石屋の爺として応じようと、やわらかい声で「頼まれましょう」と言うんですね。そして櫃の中を確認するとそこには敦盛が潜んでいる。ここではっきりと、やはり敦盛は生きていた、身替わりとなったのは熊谷の息子の小次郎だったかと知るんですね。制札の「一枝を伐らば一指を剪るべし」の意味を改めて知る。田舎芝居では敦盛がここでちょっとだけ顔を出すこともあるらしいです。面白い演出ですよね。 ――この鎧櫃を背負って立ち上がるのがまた大変そうで、これは間違いなく人ひとりが入っているのだなと思わせます。 歌六 いかにも重そうな立ち上がり方だよね。ここも竹本との兼ね合いで息を合わせて立ち上がります。 ――ここで弥陀六は義経に鋭い質問を投げかけます。 歌六 源氏と平家、代々どちらが勝つか負けるかでやってきたわけですよ。何世代にもわたってね。自分が頼朝と義経を助けて平家が滅んだように、今ここで敦盛を助けたために平家が勢いを盛り返すかもしれない。それでもいいのかと尋ねる。義経は、恨みは受ける、受けて立つよと力強く言うんですね。 ――歌舞伎の他の狂言の中の義経と比べ、この『熊谷陣屋』の義経は、彼の人生の絶頂期だとよく言われますね。 歌六 この後はどんどん落ちていきますからね。 ――弥陀六は「この弥陀六も時を得て、また宗清と心の還俗」と言い、熊谷は逆に「我は心も墨染に」と出家をすると言います。対照的なふたりですね。 歌六 このふたりは表裏なんです。片方は心だけでも還俗する、気持ちとしては侍に戻りまだ一戦やるぞと。熊谷は頭まるめて出家、完全に俗世を離れたいと。そして「ご縁があらば女同士、命があらば男同士」という台詞があって、義経が「堅固で暮らせよ」と。この両者に声をかけているのでしょうね。 ――弥陀六のこしらえについても教えてください。これは役者さんによってバリエーションがあるのでしょうか。 歌六 僕は袴は縦縞のものにしています。皆さん基本は横縞のものですが、初代播磨屋のおじさん(初世中村吉右衛門)の弥陀六の写真を拝見したらそうなっていたので、衣裳さんに写真を見せて、こういう袴にしてくださいと。 ――縦縞と横縞とでは弥陀六の印象が変わる部分も? 歌六 どうでしょう? 全く何も考えていません(笑)。初代吉右衛門の写真の通りにやるというのが僕の弥陀六の理想なんです。だからおじさんがなさったやり方と衣裳でやる。もうそれだけ(笑)。写真を見てもうひとつ思ったのは、鎧櫃をかついだ時の姿がかなり猫背でしたね。