中村歌六 『熊谷陣屋』白毫弥陀六「義太夫狂言の爺役には力が要るんですよ」【ぴあアプリ「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」特集より】
Q. 義経に真正面からぶつかっていく弥陀六のパワーの源は?
――歌六さんは72年に四天王で『熊谷陣屋』に出られて、その次の出演が2010年、新橋演舞場で白毫弥陀六を初役で勤められました。弥陀六は今回で11回目ですね。 中村歌六(以下、歌六) 前の月に弥陀六をなさっていた天王寺屋のおにいさん(五世中村富十郎)から、「弥陀六やるんだって? ダメだよ、僕に聞いても! あれは僕の勝手でやってるから僕には習わないでください」と言われまして(笑)。なので僕のは見覚えた先輩方の舞台の記憶や持っているビデオを拝見して作ったものです。 ――このお役は好きなお役ですか。 歌六 申し訳ないけど弥陀六が出たらもう20分間は出ずっぱりでワンマンショー(笑)。ここからは俺の時間だ!という気分になりますね。相模さんも藤の方さんもじっと後ろ向きにさせたままだし、義経さんもいらっしゃるのにね。 ――弥陀六の第一声で、舞台のそれまでの空気がガラリと変わりますね。舞台から梶原は引っ込んでしまったし弥陀六もまだ姿は見えない。そこに弥陀六の「ええい!」という声だけが上手から響き渡り、梶原の断末魔の声が揚幕の向こうから聞こえてくるという、お客さんにとっては「何が起こったんだろう」というちょっとスリリングな時間です。 歌六 あの「ええい!」は、梶原さんと竹本のタイミングに合わせています。舞台袖でモニターで確認しているわけじゃないんですよ。竹本の「と、言い捨て駆け出す後ろより、はっしと打ったる手裏剣に、骨を貫く鋼の石鑿」で、「えい!」と言わなきゃいけない。なので梶原さんにはそれまでに引っ込んでおいてもらわなきゃいけないんです。もしも引っ込み終える前に石鑿に打たれて花道で倒れたりしたら、熊谷が後で引っ込むときに困るでしょうね。なので、梶原役の方は皆さんどなたも必死に引っ込まれています。 ――そもそも弥陀六は、あそこでなぜ梶原を討って義経のピンチを助けたのでしょう。義経は平家を滅ぼしつつある憎い存在だったのでは。 歌六 この前の段の「御影浜浜辺の場」で弥陀六は美しい若者に頼まれて石塔を建てます。その時から「この人自身が敦盛ではないか」とは何となく思っているのでしょうね。そこで弥陀六は梶原景高に捕らえられ、熊谷の陣屋に連れて来られて奥で詮議されるはずだったのですが、梶原からすれば、義経と熊谷との間で交わされている話の方がもっと重要な情報だった。そのとき梶原に聞こえていた内容は、当然弥陀六にも聞こえたでしょう。義経たちの首実検の様子や、暗に「敦盛さまの替わりに熊谷が息子の小次郎を差し出しましたよ」ということも。梶原も言っています、「石屋めが詮議にことよせ窺うところ、義経、熊谷、心を合わせ敦盛を助けし段々、このこと鎌倉へ注進する」と。 弥陀六からしたら、あの浜辺で会ったのはやはり敦盛だった、生きていたと、ここで確証を得るんです。と同時に、鎌倉方に敦盛が生きていると知られ詮議されたら元も子もない。なので「お前方の邪魔になる、こっぱを捨ててあげました」と、義経のためと言いつつも、平家のため、敦盛のために、梶原をここで仕留めておく必要があったんでしょう。梶原がいなくなり警備が手薄になったから、弥陀六も縄を解いて出て来れたのかな。 ――そして義経たちの前をそろそろと歩いて通り過ぎていく。三味線がとーんと入り、空気がピンと張りつめます。 歌六 あそこでは、義経に勘づかれないように早く通り過ぎたいなと思っています。でも義経に「弥平兵衛宗清!」と呼び止められる。これはヤバいぞと。ビクッとするけど知らん顔して、「弥平さん弥平さん」と周りを探す振りをします。さも自分は弥平ではありませんよと言わんばかりに。でも眉間のほくろを言い当てられて観念するんですね。 ――ここはどんなふうに呼び止められたいですか。 歌六 ここは義経のしどころですから皆さん実にいろいろです。何しろ僕はこれまで9回勤めて10人の義経さんに呼び止められていますからね。海老蔵時代の現・團十郎さん、(片岡)仁左衛門兄さん、播磨屋の兄さん(二世中村吉右衛門)、(中村)梅玉兄さん、弟(中村又五郎)、(中村)萬壽さん、(中村)錦之助さん、代役で(中村)隼人……。皆さんそれぞれ声の調子も違うし十人十色の義経さんです。鋭く呼び止める方、やさしく呼ぶ方。「爺よ、満足満足」の言い方も、かわいくおっしゃる方、強くおっしゃる方、いろいろですね。あそこで子供のころの義経に返るという方もいらっしゃる。