働きながら本を読むのは贅沢? いつから読書は「労働の邪魔」になったのか
「仕事で自己実現」という謎の理想像
2000年代以降、もう一つ顕著に見られるのが、仕事と「自己実現」を結びつける価値観です。その影響をダイレクトに受けたのは、今の20~30代。彼らは学齢期に個性重視の教育と、「好きなことを職業にするのがベスト」というキャリア教育を受けました。 本を含めたあらゆるメディアも、「『好き』を仕事にせよ」というメッセージを発しました。その基盤には自己決定や自己責任の重要性を説く新自由主義思想がありますが、少なからずひずみを生んでいるのも事実です。「『好き』が見つからない(から仕事に就けない)」など、「自分探し」の迷路に入る若者が多く出たからです。 40~50代の方々も、自らのアイデンティティを仕事と同一視する価値観を、知らず知らず持たされてはいないでしょうか。家庭生活、趣味、友人との交流といった様々な要素よりも仕事が優先となる状況は、当然、読書離れを促進します。 さらに2010年代には、「働き方改革」により、長時間労働が是正されました。このこと自体は、心の余裕をもたらす追い風ですが、そこに付随してきたのが、「空いた時間に個々で稼げ」という社会的要請です。副業などの「新しい働き方」を奨励しつつ、「会社に頼らず、自分の市場価値を上げよ」と説く。これまた「自己責任」の文脈と重なるものです。 個人の意識は必然的に、仕事に全身でコミットする方向に流れます。これが続けば、今後も読書はノイズとして敬遠され続けるでしょう。それは、果たして良いことでしょうか?
仕事に占領されない「半身」の生き方を
ご存じの通り、情報収集は、「知りたいことを検索する→知る」こと。つまり、想定内の営みです。対して読書は、知りたいことの外側、すなわち「想定外」というノイズをもたらします。 加えて、本は原則的に、一人の著者の思考をつづったものです。読者は、著者という「他者」の思考や思想、どのような文脈でどう語るか、といったことを一冊ぶん受け取らなくてはなりません。 しかし、それこそが読書の最も素晴らしい点だ、と私は考えます。そうした時間を持たずに生きていると、他者の考えに思いを致す能力=想像力が衰えます。ノイズ回避社会はやがて、人と社会、人と人の分断を招くのではないでしょうか。 そこで私が提唱したいのは、先ほど触れた「全身コミット」の逆、すなわち「半身(はんみ)」の働き方です。仕事はもちろん、家庭・趣味・学び・友人との交流といった生活の諸要素に「力半分」で関わっていく。そうした生き方ができれば、働きながらでも、本を読む余裕が生まれるはずです。 現代日本においても、半身の働き方は、十分に可能だと思います。日本の時間当たりの労働生産性は諸外国に比べて低い、とかねてから指摘されていますね。職場には慣例的に行なわれている無駄な作業が多々ありますし、日本人ならではの「丁寧さ」に基づくサービスにも簡略化の余地があります。 何より大事なのは、皆さん一人ひとりが「全身コミット」という理想像に疑いを持つことです。競争心が過剰に煽られる時代にあって、人は無意識のうちに「もっと頑張れるはず」と自分を追い立てています。その末に、疲弊してメンタル不調に陥る人は後を絶ちません。 ほかにも、ストレスのせいで部下にパワハラを働く可能性や、家庭をおろそかにして家族の信頼を損なう恐れなど、「全身コミット」は危険要素に満ちています。 「なぜ自分はそんな危うい状況にいるのか?」「社会がつくった理想像を真に受けていいのか?」 本が読めないでいる方はぜひこの自問から、第一歩を踏み出してほしいと思います。