働きながら本を読むのは贅沢? いつから読書は「労働の邪魔」になったのか
読書に伴う「ノイズ」は労働の邪魔?
この流れは、読書にどのような傾向をもたらしたでしょうか。 90年代、読書量が減る中で売れてきたのは自己啓発書です。毎年ベストセラーの上位を占め、以降も右肩上がりに数字を伸ばしていきました。 自己啓発書に共通するのは「(社会はともかく)自分の行動を変えよう」というメッセージです。他者・社会・世界などの変えられないものではなく、コントローラブルな自分自身の行動を変革すべし、ということです。 その目的は、特にビジネスパーソンの場合、前述の「市場適合」にありました。行動を変えれば仕事で成果を出せて、市場から選ばれ、成功できる。その考え方は多くの働き手に「刺さる」ものだったでしょう。 しかし逆に言うと、それは「変えられないものについて考える時間は無駄」という考えにつながります。そして、他者の感情や、社会の課題といったテーマは、邪魔な「ノイズ」だという価値観を徐々に醸成することになりました。 それは、働く人にとって本が、(実用性・即効性のあるもの以外は)縁遠いものになっていくことを意味します。架空の人物を描き出す小説、過去をひもとく歴史書、社会の矛盾を掘り下げる論考などなど、本は総じて、その手のノイズに満ちているからです。 2000年代以降になると、インターネットの普及によって、今度は「情報」が台頭し、読書の地位はさらに後退しました。 読書とネット情報の違いは、まさにノイズの有無です。読書の場合、著者の思考に数時間「つき合わされる」ことになりますが、ネット検索なら、ピンポイントで即座に知りたい情報に到達できます。効率的で実用的、働く人にとって理想的です。 仕事でサバイブしたい、市場に適合したい、そのための情報だけを素早く受け取りたい。今の自分に必要ないもの、自分と異質なものを受け容れる余裕はない......。こうして、「働く」と「読書」は両立しづらいものとなっていったのです。