なぜ日本に「マンガ・アニメ文化」が生まれ育ったのか(下)
蔵書の焼失
アメリカの大学(カリフォルニア大学バークレイ校)に滞在しているとき、日本建築の近代化を研究しているアメリカ人学者が「日本に行って調べたのだが、あまり資料が残っていない」と、いかにも日本が重要な資料を大切にしないかのごとく言ったので、僕は強く反論した。「あんたの国が爆撃して焼いてしまったではないか」。下手な英語だが語気鋭かったので、彼は口を開けたまま何も言えなかった。 当時の日本人の住まいは、東京のような大都市でさえほとんどが木造で、焼夷弾を浴びせられればひとたまりもない。1945年3月10日の東京大空襲では周到に計画を立て、周辺を焼いて逃げられなくしてから、蟻の群れを踏み潰すように家を焼き人を焼いた。そして書物はもちろんあらゆる記録を焼き尽くした。 彼らは大量の市民を焼き殺しただけでなく、日本人の記憶を焼き消したのだ。日本の都市から「蔵書」というものが失われた。家に本があれば、子供は自然に接し、読みはじめるものだ。しかし住宅難の小さなアパートにあったのはせいぜいが新聞だ。子供はその片隅の四コマを読みはじめ、マンガの面白さを知ったのである。 『薔薇の名前』という小説は「知の戦い」を描く意味で秀逸だが、図書館が焼け落ちる場面は、太平洋戦争末期の空襲にも「知(文化)の殲滅」という意味があったのかと思わせる。
アメリカ文化の影響
しかしながら戦後日本文化は、アメリカ文化の影響を抜きにしては語れない。 まず大量の映画がやってきた。ジョン・ウェインの野性的な力とマリリン・モンローのセクシーな魅力に、日本人は圧倒され憧憬をいだいた。もちろん敗戦後の日本では、そんなに金をかけた映画はできない。しかしマンガなら自由がある。 ウォルト・ディズニーの影響も大きかった。手塚マンガの主人公の動きは明らかにディズニーをもとにしている。「ブロンディ」(やや大人向き)や「スーパーマン」というマンガもあった。テレビが登場しても、初期にはアメリカのアニメが多かった。「トムとジェリー」「フィリックス」など、ネコやネズミが動きまわるアニメーションが日本に紹介される。 つまり戦後のマンガもアニメも、ヴィジュアルな文化はアメリカの影響下から出発したといえばいえるのだ。しかも、あっというまに凌駕する。アメリカが殲滅した書物文化の焼け跡から、日本のマンガ・アニメ文化は芽を吹き、爆発的に成長し、一時期の「ものづくり」のように、世界に冠たるものとなったのである。