娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで
「父の部屋を片付けた時、祖母の日記が一冊出てきたのですが、風呂敷に包まれたまま物に埋もれていた状態でした。どうしようもなくて捨てたのですが、後に母に言ったところ『叔母に渡せばよかったのに』と言われ、その手があることに気がつきました」 このときのつらい思いは二度としたくないし、自分が死んだ後に別の誰かにも味わせたくない。そこでネットで「日記 遺品 どうする」などと検索し、志良堂さんが主宰する「手帳類プロジェクト」の窓口にたどり着いたというわけだ。
■「只生きている。死ねば完了。」 T医師の人生の終わりは、おそらく本人にとって予想外のかたちで訪れた。けれど、そうした終わり方もよしとするスタンスで晩年を生きていたことは、ふとしたきっかけで語られる死生観から読み取れる。 新居に移ってしばらく経った2004年の秋につづった日記が象徴的だ。ムッチャンに語りかけるとも、ですます調で独白しているだけともとれる記述。最後に引用したい。 <二十才前後 私は、何のために生きているのかを
毎日考えていました。 それは、生きていてもしょうがないと いうことでした。 それから五十年以上たって。 やっと、答えが出ました。 それは、“生きてる” という答えです。 別に何もないのです。 頑張ることもない 只生きている。死ねば完了。 何の、哲学、宗教が要りましょう。 ゴキブリの如く、 死ねばいいのです。>
古田 雄介 :フリーランスライター