娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで
日記群はここから1年半の空白期間があるが、その間に大きな変化は起きなかった様子だ。異変はしばらく先の2019年2月。体調不良が続いたSさんが悪性リンパ腫と診断された。T医師の86歳の誕生日はSさんが入院中に訪れた。 <2.25(月)pm8.30 My. Birthday! でも、生まれて始めて、一人の。 ○○がケーキを持ってきてくれましたし、×は○が顔を立ててくれたけど、 (略) 午后サンポ 好天気!>
その後もSさんは入退院を繰り返すようになるが、元気なときは家族旅行に出かけてもいる。やれることは減っていくが、続けられる営みは諦めない。T医師は翌年の3月まで医師を続けた。87歳での引退だった。 <3.27(金)pm8.55 医者の仕事 完了! 帰宅してお母さんとビールを。お母さんはTVをつけてマンガをよんでいました いろんな方が来ていろんな事×を話して××、 万感胸がせまる(嬉しいのか悲しいのか×しいのか悪いか よく分かりません。
でも必ずこういう時が決まる。誰にも! (別れ! ) 死ぬというのも別れでしょう 偶然朝のFMでChopinの別れの曲が流れていました 私には有難い一瞬でした。 私を愛してくれた方々!! 很感謝!! ! (※)> (※筆者注:中国語で「とても感謝している」という意味) ■「生きてる限り 自然と生き物をみつめるぞ!!」 引退後もSさんの体調を気遣いながら、できるかぎり散歩して、碁を打つ暮らしを続け、日記もこまめにつけている。知人や親族の墓参りや命日の追悼は若い頃から欠かしていないことも過去の日記から伝わるが、2021年に入ると長めの感想が添えられることが多くなった感がある。
<1.11(月)pm8.00 オヤジの命日! あの時、コタツにねたままいびきをかきて死んでしまった オヤジをよく覚えています。 そのあとリヤカーで火葬場へきったのに×× 2Fからおーと見られて この日には××○○兄がTelをよこすので 今だに不思議に思います。その兄も今はなし。> 88歳の誕生日を迎える直前には、若い頃からの友人の訃報が届いた。 <2.22月)pm8.10 ○○涙 2.1(月) よく生きてくれました。