娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで
満身創痍の若い頃から よく今迄、立派です。 いろいろあって、今は何も浮かびませんが、 なにしろ、素晴らしいつき合いをしてくれて 很感謝!! でも淋しい! 一人、一人、俺より先に!! 残った俺は! たった一人で下らないこの世をみつめる? いや俺は、生きてる限り 自然と生き物をみつめるぞ!!> そして最後の28冊目に突入する。2021年7月、長男に車を出してもらい、夫婦で新型コロナのワクチン接種会場に赴いたことなどが淡々と記されている。
最後の日記はその2カ月後のものだった。数日分の出来事をまとめて書いた簡素なものだった。 <9.12(日)pm8.30 お母さんの退院祝いということで 感謝 (略) 9.13(月)お母さんの足の傷 日ごとによくなっています。 9.14(火)は一人でチューハイを呑みました。 9.15(水)pm9.00 のみすぎてヒル近く迄ねてました一日ロクなことなし 介護の書類もそのまま 明日に延期 夕 サンポ(略)>
その後のT医師のことは、志良堂さんに日記群を寄贈した次女のAさんから教えてもらった。 9月16日、Sさんの退院祝いで子どもたちが家に集まって寿司を食べたという。飲酒の影響か、階段の下で動けなくなったT医師を長男が2階まで運んで寝かせている。 翌朝になっても降りてこないT医師をSさんは心配したが、退院したばかりで2階に上がれる体調ではなかったので様子を見ることはできなかった。2日後の日曜日、電話で相談を受けたAさんが2階に上がると、自室の床に倒れているT医師がいた。意識はあったが、「今日が日曜日だと言うと驚いていた」という。
このやりとりがAさんとT医師との最後の会話となった。その日は大事はなかったが、2日後の9月21日、Sさんの介護スタッフが2階で再び倒れているT医師を発見。救急車で運ばれた先の病院で死亡が確認された。 その後もSさんは自宅での暮らしを続け、2024年5月に亡くなった。Sさんの介護のために実家に戻ったAさんは、その生活の中でT医師の遺品整理をし、そこで28冊の日記を見つけた。 読もうと思ったが、強いくせ字が立ちはだかって断念した。「時間のある時に読もうと思いつつも、たぶんその時はこないだろうと思っていました」と言う。しかし、捨てる選択肢はなかった。