南部虎弾と妻の最後の日々ーーザ・ノンフィクションだけが見た妻の愛と悲しみ #病とともに #ザ・ノンフィクション #ydocs
「いい思いをたくさんさせてくれた」
南部が亡くなったあと、由紀さんが一度だけカメラの前に立ったことがあった。それは、沖縄の海での散骨を終え、3月23日に東京・品川ザ・グランドホールで開かれた「南部虎弾&エスパー伊東 お別れ会」だった。 生前の南部から「俺が死んだら、みんなの前で俺と同じ髪形になれ」と密命を受けていた若手リーダーの元気さん。各局のカメラの前でそれを実行する日がきた。 最初は楽屋で由紀さんと断髪式を済ませステージに上がるつもりだった。しかし、ギリギリになって「ステージの上で断髪してもいいよ」と由紀さんが言い始めた。 マスコミのカメラが並ぶ中、由紀さんは深々とお辞儀をし、ステージに上がった。そこにはもう南部虎弾の衣装ではなく、普段の自分に戻った由紀さんの姿があった。元気さんを慣れた手つきで「南部ヘア」に刈り上げ、静かにステージを降りた。 2024年4月。これまでの取材のお礼を兼ねて、私は由紀さんを訪ねた。 19歳で結婚してから、南部とずっと住み続けてきた古いアパート。電撃ネットワークが売れっ子芸人になり、年収が1000万円を超えても2人はこのアパートの小さな部屋に住み続けた。 「南部は本当にいい思いをたくさんさせてくれたんですよ」 由紀さんは、私に思い出を語ってくれた。 南部の衣装で埋め尽くされていた部屋は、少しだけ片付いたように見えた。「お線香をあげさせてください」と言うと、奥の部屋に案内された。小さな仏壇にポツンと置かれていたのは南部の「喉仏」だ。仏様が手を合わせているように見える骨を見ながら「これだけ残したんですよ」と由紀さんは教えてくれた。 散骨用に粉骨し、残った骨はメンバーのランディー・ヲ様さんが「いつかこれで砂時計をつくりますから」と言って、すべて持ち帰ったらしい。
今回の取材で、ひとつだけ心残りがあるとすれば「南部さんにとって由紀さんはどんな存在ですか?」と質問した時のことだ。「そんなの本人の前で言いたくないよ」と笑ってごまかされてしまい、結局、その答えは聞けないまま、南部はいなくなってしまった。 それでも南部に尋ねてみたい。 「南部さん、いや、佐藤道彦さん(本名)。あなたにとって、ずっと人生を連れ添った由紀さんは、どんな存在だったのですか? いつか私に、こっそりと教えてください…」 (取材・記事:朝川昭史) ※この記事はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。#Yahooニュースドキュメンタリー #令和アーカイブス --------------- 本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。「#病とともに」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人生100年時代となり、病気とともに人生を歩んでいくことが、より身近になりつつあります。また、これまで知られていなかったつらさへの理解が広がるなど、病を巡る環境や価値観は日々変化しています。体験談や解説などを発信することで、前向きに日々を過ごしていくためのヒントを、ユーザーとともに考えます。
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