南部虎弾と妻の最後の日々ーーザ・ノンフィクションだけが見た妻の愛と悲しみ #病とともに #ザ・ノンフィクション #ydocs
そんな南部に「夫婦間腎移植」を提案したのは、妻の由紀さんだった。人工透析よりも平均余命が長いと言われる「腎移植」。しかし術後は免疫抑制剤を飲み続けなければならず、健康管理が難しい。 由紀さんは、ドナーとして腎臓を提供するだけでなく、南部の健康管理に注意を払わなければならなかった。 好きだったお酒をやめ、南部のために料理を一から勉強し、暮らしを支えるため慣れないパートにも出るようになった。通院には必ず付き添い、検査結果を細かくチェックする。 自分の腎臓が、南部の体の中でちゃんと機能しているかどうか。それだけを気にして生きていた。南部を生かすも殺すも自分の腎臓、そう思っていたのかもしれない。 しかし、問題は別のところで起きてしまった。
集合場所に南部の姿はなかった
2024年1月20日。新年初めてのメンバー全員による営業と聞き、同行取材に出かけた。 静岡で行われるプロバスケットボールチームの試合で、電撃ネットワークはハーフタイムショーに出演することになっていた。呼んでくれたのは、昔から南部と親交があった地元企業の社長さん。 午前7時半にメンバーは新宿駅に集合。そこからレンタカーで移動するはずだった。 しかし、時間になっても南部は一向に姿を現さない。 若手リーダーの今日元気(きょうも・げんき)さんに聞くと、「面倒くさくなったんじゃないですか」と目をそらす。私は南部に事情を聞こうと電話したが、応答はない。メンバーは南部不在のまま静岡に出発し、ステージを精一杯盛り上げた。観客は大喜びだった。 その後も私は南部に連絡を取り続けたが、やはり応答はない。 食事を終えてホテルに戻ると、元気さんから「ダンナ(ダンナ小柳)さんから、話があるので来てほしい」と電話があり、私は南部の身に起きたすべてを知ることになる。 それは静岡営業前夜の午後10時のことだった。 由紀さんがパートから帰宅すると、南部は布団の上に仰向けに倒れていたそうだ。そして由紀さんに「救急車を呼んでほしい」と言ったのを最後に、意識を失った。 最寄りの病院に救急搬送され、医師から「脳卒中」と告げられた。 脳卒中には、脳の血管が詰まる「脳梗塞」と、脳の血管が破れる「脳出血」があるが、南部は後者だった。出血がひどく手の施しようがないと言われた。 由紀さんから連絡を受けて駆けつけたのは、ダンナ小柳さんと元気さん。 3人一緒に朝まで付き添ったが、南部の意識は戻らなかった。メンバーは、後ろ髪を引かれる思いで静岡の営業に出発していたのだ。 静岡営業が終わった日の夜、2024年1月20日午後11時55分、南部虎弾はこの世を去った。 72年の波瀾万丈な人生だった。 後日、南部の主治医を訪ね、改めて取材した。 「南部さんは、血圧も血糖値も、奥さんの力できちんとコントロールされていた。しかし、移植前に進行していた脳の動脈硬化はどうすることもできなかった」 その話を聞いて、進行するともう後戻りができない「糖尿病」の本当の恐ろしさを知った。