作家という職業をAIに奪われる危機感はない――「兼業作家」の予測する、「物語が必要とされる」時代の到来 #昭和98年
「僕らの若い頃って、文化の中心としてテレビがありました。そこで表現しきれない深いものを、芸術みたいな形で、ハイカルチャーとサブカル的なものとが両立していた。それが、もうテレビは色んな規制もあってなのか以前ほどの見応えがない、YouTubeも一本柱が立っていないようなイメージです。ツイッター(現X)は様々な意見はあるものの、自分の琴線に触れるかどうかのフィルターバブルで成り立っている部分も大きいから、総体としては聞くべき声が浮かびあがってこない印象がある。その状況って、実は文学的というか。『じゃあ答えって何?』っていうときに、『これが答えだよ』とか『これが最先端だよ』という柱がテレビにもないから、じゃあなんなんだろう、と求めた時の材料というか、それらが煮詰まりつつあるような感じを受けていて。そこに関して、自分なりの答えらしきものを得る手段の一つとして、文学を読んでみるかなという流れに、もしかしたらなるんじゃないかと。この転換期に、『この先何があるんだろう?』と、まとまって本を読みたがるような時期が来ると思うんです。僕の作品でも、もちろん他の方の書かれた作品でもいいですが、ちょっと気になった文学作品があればぜひ手に取ってみていただきたいですね」 Chat GPTやBardなど、生成系AIの進化が止まらない。人間の業務を代替する新しいサービスも続々と登場している。AIが人間よりもおもしろい小説を書く可能性は? 夏目漱石の『明暗』が完結したり、太宰治が最新作を発表する、そんな未来がすぐそこまで来ている? 上田には、作家という職業をAIに奪われる危機感はあるのか。
「今のところは、ないですね。僕もChat GPTに短編小説を書いてもらうみたいな遊びをやってたんですが、現時点では、きれいにまとまった小噺、みたいなところで止まっている印象です。音楽は『コード進行がこうなら落ち着く』みたいなところがあるので、素人目にそれっぽい作品に見せるのはやりやすいと思うんですけど、文学というのは、そのコード進行を疑っていく作業。だから、ここに関しては、わりと(人間の作家の方が)長持ちするんじゃないかと思っています」 YouTubeでは、AIが作詞作曲した楽曲や、“AI誰それ”のような、ディープラーニング技術で作られた歌声が続々と公開されている。 「例えば“AI桜井和寿さん”が、米津玄師さんの楽曲を歌う。これは、米津さんの歌という一本筋の通った骨組みの中に、桜井さんの声を落とし込んでいくので、まあできる。しかし文学というのは、要は答えがわからない。『一本筋が通ったもの』として解釈することが難しいものなので、パーツで文体をそれらしくするのは可能でしょうが、全体像として、『夏目漱石が新作を書いている』風にするというのは、まだだいぶハードルが高いと思っています。この春、東京大学が生成系AIについて『人類はこの数ヶ月でルビコン川を渡ったかもしれない』と見解を述べて話題になりましたけど、物語に関しては、もう一本くらい川を渡らないと、そこまではたどり着かないはずだし、それが可能かどうかというのも、まだわからない」 AIで、それらしい漱石の新作は生まれるだろう。が、それを扱う自己としての作家にこそニーズがあるのではないか、と上田は言う。 「生成系AIを活用するときに、一番大事なのは『問い』ですよね。だからやっぱり作家は、疑いや、問いが立てられるかどうかが大事なんだろうと思うんです。今問われるべきものを考えていくのが、小説家の役回りだと思っています」