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  1. 震災語り部6割が支援「不十分」 資金難と人材不足、伝承の壁に
     東日本大震災の教訓を伝える岩手、宮城、福島3県の語り部団体のうち約6割が、国や自治体からの公的な資金支援が「不十分」と考えていることが10日、民間…
    共同通信社会
  2. 南三陸旧防災庁舎「震災遺構」に 町が保存し後世に、宮城
     東日本大震災の津波で町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎は1日、県から町に所有権が移され、町が管理する「震災遺構」となった。鉄…
    共同通信社会
  3. 南三陸町旧防災庁舎、震災遺構に 13年経て7月から恒久保存
    …で町職員ら43人が犠牲となり、鉄骨だけの姿となった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎は、7月1日から町が管理する震災遺構となる。「見るのがつらい」という遺…
    共同通信社会
  4. 「命守る」心に誓う、震災13年 各地で追悼、共感と教訓を能登へ
    …いただろうと考える」と話した。  43人が犠牲になった同県南三陸町の防災対策庁舎。職員だった父良人さんを亡くした理学療法士の阿部太哉さん(39)は「こ…
    共同通信社会
  5. 東日本大震災から13年 犠牲者に祈り、能登にも思い
     2万2千人以上が犠牲になった東日本大震災は11日、発生から13年となった。地震発生時刻の午後2時46分に合わせ、各地で犠牲者への祈りがささげられる…
    共同通信社会
  6. 南三陸の庁舎、震災遺構で保存 宮城、町職員ら43人が犠牲
     宮城県南三陸町は、東日本大震災の津波で町職員ら43人が犠牲となった防災対策庁舎について、県に移している所有権を町に戻した上で、震災遺構として保存する…
    共同通信社会
  7. 「死ねば楽になる」3.11から8年、半壊家屋に住み食べ物もないお年寄り 大量の食べ物を捨て続ける矛盾
    …人で分け合って食べていた人もいた。2012年11月、宮城県南三陸町の防災対策庁舎(筆者撮影)食べ物の元は、命だ。食べ物を捨てることは、その命を捨てるこ…
    井出留美ライフ総合
  8. 3.11から5年後の被災地を旅して 復興ラッシュといまも続く災害
    …めてデリケートな問題だ。多くの児童が亡くなった大川小学校や、南三陸の防災対策庁舎などを再び訪れて、私個人としてはやはり残すべきではないかと思う。  実…
    THE PAGE社会
  9. 変わりゆく町と「震災遺産」と住民たちの心の風景 南三陸~気仙沼
    …に何度も訪れ、ただ立ち尽くしていた記憶はまだ新しいものだ。  特に防災対策庁舎は、そこで職員の方たちが亡くなり、建物が骨組みだけとはいえ流されずに残…
    THE PAGE社会
  10. 3.11震災遺構と「社会の記憶」:東日本大震災を風化させず日本が変わるために
    …どんな大きな記憶も、いずれ薄れて風化する。しかし個人の記憶が、様々な行事やモニュメントを通して「社会の記憶」となる時、私たちは共通のイメージを持ち、…
    碓井真史社会

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