Yahoo!ニュース

検索結果

4
  1. 鹿児島城の象徴だった御角櫓いつまであった? 西南戦争直後の絵図に焼失時期の定説覆す書き込み 史料から迫る歴史の実像「没後100年 松方正義」特別展 あす4日まで黎明館
     江戸時代、御楼門とともに鹿児島城の象徴だった御角櫓(おすみやぐら)の焼失原因が、定説だった1873(明治6)年の火災ではなく、77年の西南戦争だっ…
    南日本新聞鹿児島
  2. 国指定史跡「垂水島津家墓所」の石灯籠が倒壊 台風10号の影響で倒木直撃か 垂水
    …史跡「垂水島津家墓所」で石灯籠が倒壊したことが30日、分かった。同墓所は鹿児島市の島津宗家墓所など4市1町の7カ所で構成される「鹿児島島津家墓所」の一…
    南日本新聞鹿児島
  3. 江戸末期、都城島津家は独自に「庄内地理志」をまとめた。薩摩藩「三国名勝図会」を上回る全113巻。キーマン北郷資清に迫り、編さんの背景をひもとく…10月6日まで都城島津伝承館
    …画展「近世後期の地誌編さんと地域社会」を開催している。江戸時代末期に都城島津家が独自編さんした地誌「庄内地理志」の背景や地域で果たした役割を、収蔵史料…
    南日本新聞鹿児島
  4. 【戦国こぼれ話】九州の雄だった薩摩島津氏は、なぜ急速に弱体化したのか。その謎を探る
    …た。義弘は、秀吉から目を掛けられたのだ。 天正17年(1589)11月、島津家の家督は、秀吉の命により義弘の子・久保(ひさやす)が継承者に定められた。
    渡邊大門エンタメ総合

トピックス(主要)