鹿児島城の象徴だった御角櫓いつまであった? 西南戦争直後の絵図に焼失時期の定説覆す書き込み 史料から迫る歴史の実像「没後100年 松方正義」特別展 あす4日まで黎明館
江戸時代、御楼門とともに鹿児島城の象徴だった御角櫓(おすみやぐら)の焼失原因が、定説だった1873(明治6)年の火災ではなく、77年の西南戦争だった可能性が指摘されている。戦災状況を知らせる絵図で焼失箇所と示されているのが理由の一つ。絵図は4日まで開催中の黎明館企画特別展「没後100年 松方正義」で展示されている。 【写真】「明治十年鹿児島略絵図」に描かれた御角櫓(中央)。西南戦争最終盤で燃えたことを示す赤色が塗られている(黎明館蔵)
御角櫓は本丸と二の丸の境にあった2階建ての建物。これまで本丸の火災で御楼門と一緒に焼けたとの説が有力だった。 一方、西南戦争直後に制作された「明治十年鹿児島略絵図」は、城下町を被害ごとに赤や黄、白で色分けしている。鹿児島城部分には、御楼門はないが御角櫓は描かれ、戦争最終盤の同年9月に焼失を示す赤色が塗られている。故郷を心配する東京在住の鹿児島出身者向けに制作されたらしい。 このほか、火災について「隅ノ倉を残してことごとく焼亡」(鹿児島県史料、忠義公史料第7巻)と記す文献もある。城跡の発掘を担当した黎明館学芸課の西野元勝さん(40)によると、御角櫓周辺の石垣から弾痕が見つかっているという。 鹿児島大学法文学部の小林善仁准教授(46)=歴史地理学=は「現存する状態で西南戦争に入り、戦闘に使われたかもしれない。小さな事実の積み重ねが、城の実像に迫る手がかりになる」と話す。 松方展は一般800円、大学生500円、高校生以下・障害者無料。黎明館=099(222)5100。
南日本新聞 | 鹿児島
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