電撃引退から30年…“でき婚”報道の真相 平成特撮ヒロインの現在「これで良かった」
花島優子さんの「人生の選択」前編
1990年に放送された特撮コメディードラマのフジテレビ系『美少女仮面ポワトリン』。主演した花島優子さんは、アイドル、俳優として同作品でデビューを飾ったが、わずが5年後の95年に芸能界を電撃引退した。その後、イベント出演などはあったものの、事務所には所属せず、一般人として生活し芸能活動とは一線を画してきた。そんな中、アイドル時代の親友との再会をきっかけに、今年7月、都内で行われたイベント『アイドルアーカイブス特別版~夏歌 乙女塾~』に出演。引退後初めて一夜限りの歌唱をファンの前で披露した。ENCOUNTは、引退から約30年たった花島さんにインタビュー。当時の活動エピソードや近況などを2回にわたり紹介する。前編は「『ポワトリン』の思い出について」。(取材・文=福嶋剛) 【写真】ポワトリン(花島優子さん)とトトメス(堀川早苗さん)…34年前のヒロイン役の貴重なオフショット 『美少女仮面ポワトリン』は、石ノ森章太郎氏原作の東映不思議コメディーシリーズ第11作目にあたり、のちの『美少女戦士セーラームーン』に影響を与えたとされるヒロインシリーズの先駆け的作品だ。当時18歳の花島さんはアイドルオーディションに合格し、いきなり主役に抜てきされた。正義感の強い女子高生が、町内の平和と安全を守るために美少女仮面に変身し、次々と現れる怪人たちを倒していく。決めゼリフは「愛ある限り戦いましょう。命、燃え尽きるまで。美少女仮面 ポワトリン!」。 「高校生の時、フジテレビ主催のタレント育成講座『乙女塾』3期生に合格しました。夢にまで見たアイドルになれると喜んでいたのですが、合格してすぐに『こういう企画があるんだけど』とポワトリンのお話をいただき、息つく暇もなく撮影が始まりました」と当時を振り返る。 怪傑ゾロをほうふつとさせるアイマスクに、マントの衣装。アイドルを夢見て入ってきた花島さんは、「顔が出ないんだ」とポワトリンのコスチュームに一瞬戸惑った。 「初めは、『とにかく頑張るしかない』という気持ちで取り組みましたが、お相撲さんに変装したり、矢印のマークになったり、毎回お約束だったコントみたいな着ぐるみやコスプレに慣れなくて大変でした。でもだんだん面白くなってきて、番組中盤に妹キャラ『ポワトリンプティット』が準主役として登場してからは、プレッシャーからも解放されて、スタントマンを使わずに高い木に乗ったり、危険なこともやっていました」 共演者との思い出も尽きない。 「出演者のみなさんには本当にお世話になりました。警部役だった柴田理恵さんは、テレビで見たままで、いつも『優子ちゃん! 優子ちゃん!』と言って優しくしていただきました」 番組は人気を博し、半年クールの予定が1年間の放送に変更された。 「最終回の撮影が終わって東映の撮影所で打ち上げをした後『もうみんなと会えないんだ』と寂しくなり、“ポワトリンロス”が続きました。そしたらある日、住んでいたレコード会社の寮に学校帰りの小学生が集まって『ポワトリンはここに住んでるんだぜ』という声が聞こえてきました。そこで『番組が終わっても私はずっとポワトリンでいなきゃだめだ』と思ったらすごく力が出てきて、『これからも子どもたちの夢を壊さないように歩んでいこう』と決めました」 ポワトリン終了後、すぐに京都・太秦の東映撮影所でTBS系『大岡越前』の撮影が始まった。花島さんは大岡家の奉公人・お鈴を1年間演じた。 「伝統ある時代劇の現場はポワトリンとは違い、とても厳しかったです。でも主演の加藤剛さんを始め、出演者のみなさんはとても優しくて、中でも川島なお美さんには大変お世話になりました。新人だった私のことをいつも気にかけてくださり、たくさんお話をしてくれました。ある日のパーティーでは、川島さんが歌を披露されて、私も一緒に歌った記憶があります。引退してしばらくして、川島さんの訃報を知り、本当にショックでした。お姉さんみたいな存在で当時の思い出はたくさんあります。今でも川島さんを思い出すととても寂しいです」 新人ならではのアクシデントも経験した。 「冬の京都はとても寒くて、当時は火をたいて暖を取っていたんですが、風で着物の裾に火が飛んでしまい焦がしてしまいました。びっくりしてあわてて消したんですが、人生でこれ以上ないっていうくらいスタッフさんに怒られました(笑)。でも衣装さんが上手に縫ってくれて何とか撮影は続けることができました」 その後もドラマやバラエティーで活躍したが、デビューからわずか5年後の95年に突然引退を発表した。 「当時、新聞で『できちゃった婚』と報道されましたが、実はその前に結婚式を予定していたんです。ところが祖父が事故で亡くなり、式を1年延期しました。その後、長男を身ごもり、夫と相談して私は育児に専念することを決めました。まだ芸能界に未練があった時期でしたが、今振り返ると『自分の選択は間違っていなかった』って思います」