江戸末期、都城島津家は独自に「庄内地理志」をまとめた。薩摩藩「三国名勝図会」を上回る全113巻。キーマン北郷資清に迫り、編さんの背景をひもとく…10月6日まで都城島津伝承館
宮崎県都城市の都城島津伝承館は、企画展「近世後期の地誌編さんと地域社会」を開催している。江戸時代末期に都城島津家が独自編さんした地誌「庄内地理志」の背景や地域で果たした役割を、収蔵史料約50点でひもとく。10月6日まで(月曜休館)。 【写真】〈関連〉庄内地理志編さんのキーマンとされる北郷資清の肖像画=都城島津伝承館
西欧列強のアジア進出や国内の飢饉(ききん)多発などの危機に対処するため、幕府家老の松平定信は、地理、文物、風俗などを全国的に再把握する地誌編さんを構想。江戸湯島の昌平坂学問所に地誌調所が置かれるとともに、各藩にも着手すべき意向を内々に伝えた。 この流れの中で、薩摩藩は地誌「三国名勝図会」、都城島津家は庄内地理志をそれぞれまとめることになる。庄内地理志は全113巻あり、三国名勝図会の60巻を上回る。 展示会が庄内地理志のキーマンとして今回新たに示したのが、編さん開始時に都城島津家の家老を務めていた北郷資清(ほんごう・すけきよ)だ。資清は昌平坂学問所に留学経験があり、留学中に東北各地を旅し、名所旧跡を記録した「東紀行」も著していた。 都城島津家史料の中から未成本状態で発見された庄内地理志の「巻八十」も初公開。庄内地理志が明治期に入っても郡役所や学校などで活用されていたことを示す史料も展示する。
担当学芸員の山下真一さん(60)は「都城の歴史を語る上で欠かせない庄内地理志について、新たな発見も含めて見てほしい」と話している。
南日本新聞 | 鹿児島