補足本記事のインタビューされている者です。沢田研二1983年のシングル『晴れのちBLUE BOY』について補足すると、記事内にあるように、銀色夏生、大沢誉志幸、大村雅朗によるとても意欲的な曲なのですが、それが災いしてか、売上枚数9.5万枚、オリコン最高11位と、それまての彼のシングルと比べれば見劣りする結果になりました(それでも、最高20位だった前作シングル『背中まで45分』よりはましなのですが)。それでも同年の紅白歌合戦ではタモリに「歌う日露戦争」と評された見事なパフォーマンスで、同回紅白のMVP的なアウォードである「金杯」を獲得。意識的に沢田研二を見始めた高2の私が溜飲を下げたのを憶えています。なおその圧巻のパフォーマンスは「沢田研二 BEST OF NHK DVD-BOX」で見ることが出来ますので、興味を持たれた方はぜひ。
コメンテータープロフィール
音楽評論家。ラジオDJ、小説家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12『ザ・カセットテープ・ミュージック』、bayfm『9の音粋』月曜日に出演中。主な著書に『幸福な退職』『桑田佳祐論』(新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』(ともに彩流社)、『恋するラジオ』(ブックマン社)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。東洋経済オンライン、東京スポーツなどで連載中。2023年12月12日に新刊『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)発売。