実際には、制限したところで、例えば生徒が読書感想文に利用し、さらにそこに少し人間の手で「味付け」がなされれば、現実には教師はほとんど見抜けないか、見抜くために膨大なコストをかけるべきかというところが実務上の課題となるはずだ。だとすれば、原則的には利用を軸にしながらリスク等を教える教育が必要なはずだ。
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コメンテータープロフィール
博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。
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