Yahoo!ニュース

竹田聡一郎

「私はまだ下手だから」――カーリング日本代表・ 藤澤五月の目指す「高み」

2018/06/16(土) 09:57 配信

オリジナル

カーリング女子日本代表、藤澤五月の長いオリンピックイヤー・シーズンが終わった。悲願の五輪出場を果たし、日本カーリング史上初の銅メダルを獲得。「そだねー」と「もぐもぐタイム」が注目を浴び、アイドル的人気も博した。もっとも本人は「周りが変わっただけ」と素っ気ない。「私はまだ下手だから」と新種目ミックスダブルスにも挑戦するなど、自身のさらなる可能性を探り続けている。(ライター・竹田聡一郎/Yahoo!ニュース 特集編集部)

ミックスダブルスへの挑戦

アイスを読む藤澤

「何かを変えたくて」

今年4月、スウェーデンのエステルスンド・アリーナ。カーリングのミックスダブルス世界選手権に出場した藤澤五月は、前髪を下ろしてアイスに立っていた。もともと、験を担ぐタイプではない。

「最初は視界(確保のため)だったんです。気合が入るってことはないけど、ルーティーンみたいな感じですかね」

前髪をアップにして大切な試合に向かう姿は、彼女のトレードマークだった。16年の世界選手権、今年2月の平昌五輪をはじめ、大きな試合では必ず額を出してプレーしてきた。

それだけこのミックスダブルス世界選手権では、自身のパフォーマンスに満足できていなかったのだろう。ニュージーランド、エストニアと対決した最初の2戦は、ともに1点差で敗れた。

五輪などでおなじみの4人制と違い、ミックスダブルスは男女のペアで戦う。

ミックスダブルスでペアを組んだ山口と藤澤

「いつもは4人でアイスを読むけれど、今回は2人なので難しさがある」(ニュージーランド戦敗戦後)
「悔しいです。これがミックスダブルスなんだな、という感じ」(エストニア戦敗戦後)

敗戦後のコメントも彼女の迷いをまっすぐに表現したものが多かった。

貪欲かつ生真面目なスキップ

カーリングには「勝ったらチームの手柄、負けたらスキップの責任」という格言めいた暗黙の認識がある。藤澤はそれを地で行くカーラー(カーリング選手)だ。

彼女は所属するロコ・ソラーレ北見(以下、LS北見)でも、「私は投げただけ。チームが運んでくれました」「勝ったけれど、ミスもあったので修正したい」など、勝ってもまず、チームへの感謝や自分を戒める言葉が口をつく。

LS北見に所属後、初優勝を飾った2016年の日本選手権でも、その感想が「やったぜというより、ありがとうという感じです」だった。

戦略を練る日本チーム

謙虚というよりも貪(どん)欲、謙遜というより生真面目。だからこそ、負けから多くを学び、五輪でメダルを獲得するスキップに成長したのだろう。

今回、藤澤とペアを組んだ山口剛史(SC軽井沢クラブ、平昌五輪カーリング男子日本代表)は「技術、勝負強さに加え、ゲーム展開をガラッと変えるショットを持っている」と彼女をパートナーにした理由を語る。

ナショナルコーチとして藤澤の挑戦を見守ってきたジェームス・ダグラス・リンドは、「五月にはいつもプレッシャーがかかるけれど、彼女はオリンピアンだし、もっと難しいショットを多く決めてきた。特に大きな心配はしてなかったよ」と日本のエースに全幅の信頼を置く。

山口(左手前)、コーチ陣とミーティングする藤澤

このミックスダブルスでも、初めてのアイス、1人少ないスイーパー、混雑したハウスなどの、慣れないコンディションで連敗スタートを喫したが、3戦目からはきっちりアジャスト。藤澤は、持ち前の多彩なショットをタフなシチュエーションでも決め続けた。

藤澤・山口ペアは6連勝で準々決勝進出を決め、最終的には日本勢としては過去最高の5位という好成績を残す。初めての挑戦で、だ。

スウェーデンで躍動した日本ペア

技術も経験もトップクラスで、世界で結果も出している。それでも、彼女が発する言葉には、全くと言っていいほど、充実感や満足感が滲(にじ)んでこない。

準々決勝の韓国戦を落とした後のこと。「私がただ単に下手くそでした」と自身のショットをバッサリと評し、取材後も「あー、本当に下手だ、私」「アウトターン練習したい」と彼女の口からは悔恨の声が漏れ続けた。

白米とカーリングを愛する

13日間にわたるスウェーデン滞在中、「練習」「向上」「精度」「もっともっと」「自分は下手くそ」……。そんな言葉を何度も繰り返した。そんな藤澤も、アイスを離れれば26歳(取材時)の年相応の普通の女性だ。よく笑い、よく食べる。

白米が大好きという彼女のために、今大会では、自称“メシ炊きババア”こと長岡はと美コーチが山形のブランド米「つや姫」を日本から持ち込んだ。おかずは山口の所属するSC軽井沢クラブのスポンサーであるスーパー「ヤオトク」提供のパウチ惣菜だ。藤澤は「今回、ベスト・オブ・フィッシュ」という鯖の味噌煮で白米を嬉しそうに食べていた。

異国の地で日本チームを癒やしたパウチ食材

LS北見の前に所属していた中部電力時代、藤澤は軽井沢にある長岡コーチの自宅に下宿していた時期があった。

「あの子、本当にカーリングとお米が好きで。『世界で戦える選手になりたい』って軽井沢に来た時からそれだけは変わらないわね」

長岡コーチは、そう目を細める。

藤澤は、「この世のすべてのおかずはご飯をおいしく食べるためにあるのです」と無邪気に言う。

白米とカーリングをこよなく愛し、試合やミーティングのたびに手元のノートにメモを細かく書き連ねる彼女の姿は、何ら変化がない。「変わったのは、きっと周りです」と本人も言う。

だからこそ、気になった。カーラーとしての藤澤のゴールは、いったいどこにあるのだろう。帰国直前、ストックホルム・アーランダ空港内のカフェで話を聞いた。

プライベートもカーリング漬け

激動のシーズンを振り返ってもらった

「遠征から帰った時はジンギスカンを食べることが多いですね。なんとなくホッとします。肉でご飯を食べて、シメにうどん。あの鍋の、外側に落ちた野菜とタレにからんでおいしいんです」

コメントを記録するためにPCを開いてタイプを始めると、藤澤は何かを思い出した。

「帰ったらパソコンが届いてるはずなんですよ。機種? なんだっけな。あんまり詳しくないんで」

藤澤は「趣味を聞かれると実は困るんです」と言っていたことがあった。趣味も特技もカーリングで、オフの旅行の目的もカーリング観戦。新PCの使い道ももっぱらカーリング関連の動画や、参考となるトレーニングの検索などだ。

今年も毎日がカーリングだった

「休日ですか? ゆっくりしたいんですけど、家にいるとお父さんが『五月、今日、休みなのか。カーリング行こう』ってなっちゃう」

藤澤の父・充昌(みつよし)さんは中学校で教鞭を執りながら、現役のカーラーとして活動している。

「一度は『えー!?』って言うけど、まあ、別にやることもないし」

結局は、親子でホールに向かうことになる。

魔物のいなかったオリンピック

そんな話を聞いていると、ミックスダブルス世界選手権にきょうだいで出場していたガイアナ代表のファルサナ選手が藤澤に「一緒に写真、撮ってもらっていいですか」と声をかけてきた。彼女は笑顔で「もちろん」と応じる。

平昌五輪では、藤澤も誰かと写真を撮ったのだろうか。聞いてみると、撮ったのはほんの数枚だった。

「お姉ちゃんに言われて、スター選手を隠し撮りみたいに」

あまり写真は撮ってない、と苦笑い

別に普通にお願いすれば応じてくれるのでは、と素朴な疑問をぶつけてみるが、そこにはアスリート同士としての気遣いがあった。

「開会式だったりしたので、やっぱり試合前にはお願いしにくくて。これで私が引退するなら撮ったかもしれないけれど」

そもそも、彼女にとって初の五輪とはどんな場所だったのか。

「よく言うじゃないですか、『オリンピックには魔物がいる』って。だから絶対、なんかあるって思い続けて思い続けて……特にいなかった」

カーリングフィーバーが起きて、アイドル的な扱いをされることもあるが、それについてはどうだろう。

「うーん、あんまり実感はないかもしれないですね。友達が『テレビでクイズ番組を見てたら、藤澤五月って答える問題だった』と教えてくれて、その時に『おぉ』って思ったくらい」

日本カーリング界初の五輪メダルは大きな話題となった(写真:アフロスポーツ)

本人はいたってマイペースだ。「それよりも」と言葉を継ぐ。

「オリンピックに限らず、世界一になってみたいとは思いました。もちろん、それがオリンピックだったらいいかもしれないけど、世界選手権でもグランドスラムでも勝ってみたい」

負けても強いと言われる選手に

16年世界選手権では銀、18年の五輪では銅。ここスウェーデンに来る直前には、カーリングワールドツアーの最高峰タイトル・グランドスラムに参加し、5位入賞を果たしている。頂上に手がかかっているようにも思える。

上々のシーズンだったようにも思えるが、決して満足はしていない

例えばそのグランドスラムでは、彼女は自身が以前から「憧れ」と公言していたソチ五輪の金メダリストで、「JJ」の愛称で親しまれる、ジェニファー・ジョーンズと対戦している。カナダを代表するスキップのひとりだ。

昨秋の遠征の時点で藤澤は彼女の存在について、以下のように語っていた。
「めちゃめちゃメンタルがタフで、(劣勢だろうと)『私、決めますから』っていう感じで。作戦もドローショット(ハウスの中にストーンを止めるショット)が好きで、チーム全体もドローチーム。そこまでするって相当、自信があるんだなって思って。正直、私はまだそこまでできていない。ドローするタイミングが私とは全然違う。ソチ五輪でメダルを獲る前から、カナダのファンは『グッドカーラーだ』として彼女の名前を挙げるんです。勝ってなくても、負けてしまっても強いって言われるのはすごい。そういう選手になりたい」

グランドスラムではJJ率いるチームに惜しくも敗れたが、それこそ一緒に写真を撮りたいなど、特別な感情はなかったのか。

カナダのジェニファー・ジョーンズ(写真:ロイター/アフロ)

少しの沈黙があった。

「正直、特別と言えば特別なんです」

手元の炭酸水のボトルを胸の前で抱えるようにして、話を続ける。

「中部電力時代の初めての海外遠征で、撮ってもらったこともあります。その時はうれしかったです。でも今も『写真撮ってください』だと、『私はあなたより下です』って言っているような気がして」

世界で戦えるようになり、大舞台でメダルを獲得し、肩を並べる位置にいる。憧れの存在だったのは過去の話で、今はれっきとしたライバルだ。

グランドスラムの試合後、藤澤は笑顔でJJと握手し、何か言葉を交わしていた。

「ミックスダブルス頑張ってねって言ってくれました。やっぱり素敵な人です」

素敵な人だから、憧れの選手だったからこそ、倒したい存在になったのだろう。

チームの存在の大きさ

かつて、藤澤を突き動かしていたのは危機感だった。

それは例えば、初めて日本代表となってパシフィック・アジア選手権に出場した中国・南京でのゲームにさかのぼる。ライバルと目されていた中国、韓国はおろか、ニュージーランドにも勝てず、最下位に終わった2011年の大会だ。

中部電力時代の藤澤(写真:築田純/アフロスポーツ)

「何で決まらないんだろう。たかがオープンテイク(相手のストーンにぶつけてハウスの外に出すショット)がどうしてこんなに難しいんだろうって。たぶん、メンタル的なものなんでしょうけど」

それは「スキルが劣っているから」という結論となり、藤澤は黙々と投げ込んだ。投球数を自信に昇華させ、自己を保っていた部分がある。「練習しないと不安になるんです。たまに、今でも。練習は好きですし」と本人は照れと苦笑いの中間のような表情を浮かべた。

LS北見に加入し、何か変わったのか。本人も「それは自分でも分からないけれど」と前置きしつつも、「チームメイトに頼ることは覚えたかもしれない」

今回のミックスダブルス世界選手権の最中も彼女の口から出たが、荒れ石をこともなげに扱う吉田夕梨花、適切なウェイトジャッジを下しショットを運んでくれる鈴木夕湖、藤澤が不調でも「私に任せて」と言ってくれる吉田知那美、そして結果が出ない時期も「さっちゃんのやりたいようにやったらいいよ」と見守ってくれた本橋麻里。

今回、チームから離れ、その存在の大きさを痛感したはずだ。

平昌五輪で躍動した、LS北見のメンバーたち

ただ、藤澤も手ぶらではスウェーデンから帰れない。

「収穫は特にタップ系のショット(手前にあるストーンに当てて奥に押し込むショット)ですね。相手の石を出さなくても少し押して、ちょっとアングルを変えて。あの技術を極めていけば、海外のチームにガード(ストーン)の後ろにがっつり隠されても、そこまでプレッシャーにならないと感じました。4人制でも生きると思います」

藤澤が乗る便の搭乗開始を告げるアナウンスが入った。

「今回はわざわざ取材に来てくれてありがとうございました。悪い結果でごめんなさい」

日本カーリング史上最高の、ミックスダブルスでの5位という結果を「悪い」と言い切ってしまう。感情としては「嬉しい」より「悔しい」が先にくるらしい。

ずっと前だけを見据えて

かつて藤澤は、「決まっているショットはむしろ忘れちゃう。『あれを決めていれば』のほうが多いですよ」――そんなことも言っていた。平昌五輪出発前も「オリンピックだけに限らず、全部の試合でベストパフォーマンスを求めていきたい」と言っていた。彼女の欲や飢え、渇きには驚かされるばかりだ。

いつも果てしないところを見ている。いちばん聞きたかったことを反射的に聞いた。

藤澤五月のカーリングは、どうなったら満足なのか。

彼女は少し首を傾け、「分からない。どうなんでしょうね」。そう言い残しタラップへ向かった。

ミックスダブルス世界選手権後の5月、藤澤率いるLS北見は2018/19シーズンの日本代表の座をかけ、富士急と対戦した。結果は3連勝。来季も彼女は日本のスキップとしてアイスに乗る。

来季、五輪はないが、ワールドカーリングツアーに加え、この9月から新設のW杯が始まる。ミックスダブルスの世界選手権もノルウェーで行われる。そのどこかで、藤澤は世界一の景色を見ることができるだろうか。それでも、表彰台の最も高い位置で彼女の口からこぼれるのは、「まだ下手だから」――そんなセリフかもしれない。


竹田聡一郎(たけだ・そういちろう)
1979年神奈川県出身。2004年からフリーランスライター。スポーツ全般の取材と執筆を重ねる。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、中部電力カーリング部、北海道銀行フォルティウス、ロコ・ソラーレ北見ら、歴代の日本代表チームを国内外問わずに追い続けている。著書に『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)。

[写真]
撮影:竹田聡一郎


スポーツ最前線 記事一覧(51)