Yahoo!ニュース

幸田大地

存続の危機ミゼットプロレス、プリティ太田の苦悩

2018/03/05(月) 09:41 配信

オリジナル

「ミゼットプロレス」とは低身長症のレスラーが戦うプロレスである。プリティ太田(39)はそのレスラーだ。かつてお茶の間で人気だったミゼットは今や彼を含めて2人だけになり、存続の危機に瀕している。ミゼットプロレスをどのように復活させていくのか。日々の生活とリングの狭間でプリティ太田の心は揺れている。(ライター・佐藤俊/Yahoo!ニュース 特集編集部)

2人だけの世界

2017年末、クリスマスを間近に控えた金曜日の夜、東京・新木場にあるレスリング会場「1stRING」では、プロレス団体FMWによる興行「今年の終わりに新しい息吹を」が開かれていた。

リングにプリティ太田が入場してきた。プリティはミゼットプロレスのレスラーだ。ミゼットプロレスは低身長症のレスラーが行うプロレスで、プリティの身長は142センチ、足のサイズは23.5㎝である。

試合前のプリティ太田。1stRING(撮影:幸田大地)

ミゼットプロレスはこの日の本番が始まる前の試合、「前座」として開催された。20分間1本勝負。対戦相手は同じくミゼットレスラーのミスター・ブッタマン(50)だ。ミゼットプロレスの試合はこの14年間、プリティとブッタマンの対戦カードしかない。この2人しかレスラーがいないからである。

客席はやや空席が目立ち、掛け声も野次もない。試合開始のゴングだけが大きく鳴り響く。ずっと同じ相手だけに息の合ったやりとりが続くが、ファンを巻き込んで試合を盛り上げていく雰囲気はない。2人だけの世界で完結している感じで、観客の反応も薄い。

レフェリーに手伝ってもらって4の字固め(撮影:幸田大地)

プリティが突然、気合の声とともに両手を空中で回すと、ブッタマンが自ら飛び上がって倒れた。相手に触れずに投げる「真空投げ」という“技”だ。倒れたブッタマンの身体をそのままプリティが押さえ込んで、3カウントが響いた。

試合は4分間で一度も沸くことなく、淡々と終わった。

この1週間前の試合ではプリティは輝いていた。

プロレス団体「みちのくプロレス」の興行「宇宙大戦争12」が、プロレスの聖地・後楽園ホールで開催されていた。満員御礼の場内にプリティは覆面レスラー・ミニマスターとして登場、米国対北朝鮮という演出の中で北朝鮮に撃ち込まれる米国のミサイルのかぶりものをして空を飛んだ。また、ミゼットではないレスラーと対戦して白熱するシーンもあり、場内を大いに沸かせていたのだ。そのシーンを見ていただけに、この落差に愕然とした。ミゼットプロレスはクライマックスがなく、ただ静かだったのだ。

142センチのプリティがより小さく見えた。

勝者のアピールをするプリティ太田(撮影:幸田大地)

善意のクレームで仕事を失う

かつてミゼットプロレスはお茶の間で人気を博していた。

1960年代から80年代にかけ、小さな身体を生かしたスピードと笑いのエッセンスを取り入れた動きは多くのプロレスファンを魅了した。その面白さはテレビを通じてお茶の間にも広がり、リトル・フランキーという天才的なミゼットレスラーも生まれた。リトルは身長112センチ、運動神経が抜群で、必殺技「頭すべり」を会得するために首だけで逆立ちをするなど練習の虫、努力の人だった。彼を中心にミゼットレスラーたちはテレビドラマやドリフターズの人気番組「8時だヨ!全員集合」にも出演するなど活躍の場を広げていった。

ところがあるときから、突然、彼らの姿がテレビから消えた。

一部の視聴者が、彼らをテレビに出すのはけしからん、身体障がい者を笑いものにするのか等々、クレームをテレビ局に投じたのだ。テレビ局は、その声に過敏に反応した。全日本女子プロレスの前座として彼らは出場していたが、放送ではその部分がカットされた。ドリフの番組からも彼らの姿が消えた。「笑いものにするな」というクレームはミゼット以外の低身長症の人や一般の障がい者の立場を代弁したかもしれないが、結果的にミゼットレスラーたちが活躍の場を失うことにつながった。2002年、リトルが44歳の若さで亡くなると後継者がいないミゼットプロレスはブッタマン一人になり、静かに終わりを迎えようとしていた。

危機を救ったのは、2004年にデビューしたプリティ太田だった。

プリティが初めてミゼットプロレスに触れたのは14歳の時だった。

自分の地元に全日本女子プロレスが来ることになり、友人と見に行った。そこで前座として興行していたミゼットプロレスと運命的な出合いをしたのである。

ミゼットプロレスに出合った当時の興奮を自宅で語る(撮影:塩田亮吾)

「初めて見たミゼットは衝撃的でした。それまで藤波さんや長州さんのプロレスを見て、『俺もプロレスをやりたい、あーなりたいな』って思っていた。でも、身長のこともあるし、難しいなって思っていたんです。そこでミゼットを見て、小さくてもこんなにすごいプロレスができるんだ、俺がやるのはこれだ、って思ったんです」

憧れたものの、中学以降はプロレスとは無縁の人生を送っていた。プリティは軟骨低形成症による四肢短縮型の低身長症だった。母親の三代子は「身体にハンディがあっても手に職があれば食べられる」と書道教室に通うことを勧め、高校卒業後は書道の師範になるための専門学校に2年間通った。卒業前には4級の身体障害者手帳をもらい、ひとりで行動するために運転免許を取得した。

「あの人、小さっ」

20歳の時には身長を伸ばすことができる骨延長の手術をした。

しかし30センチの目標が実際には18センチしか伸びなかった。手が届く範囲は広がったが、脚が左右均等に伸びず、片脚を引きずって歩くことになった。2年間かけた骨延長手術は後悔だけが残り、プリティに見える世界も世間の目も変わらなかった。

「あの人、小さっ!」

街を歩いている時やアルバイト先で子供にジロジロ見られ、その子供から発せられる言葉に何度も傷つけられた。「コノヤロー」と思うが、グッとのみこんで我慢する。それは今も変わらない。

プロレスだけで食べていけるようになるのが夢(撮影:塩田亮吾)

26歳の時、プリティは中学時代に見た夢を実現するために「1年間だけプロレスをやらせてくれ」と両親を説得した。ミゼットレスラーになるには親の承諾が必要なのだ。

母親の三代子は当初、反対だったという。

「プロレスじゃ食べていけないですし、将来に不安がありましたから。でも、書道の実習助手のような仕事が来ても『プロレスがいい』と辞めてしまう。この子は自由人ですし、言いだしたら頑固ですからね。自分が楽しいと思える仕事ならいいかな、と最終的には諦めました」

2004年、プリティは唯一、ミゼットがある全日本女子プロレスに入門した。

リングネームの“プリティ太田”は、顔がかわいらしいのと、日本のミゼットプロレスの創始者の1人でもあるプリティ・アトムのようなレスラーになってほしいという願いから会長が名づけてくれた。

「スーパースターになる」

プリティのリング人生がスタートした。

自宅では居間のこたつがべスポジ(撮影:塩田亮吾)

プリティ個人の活躍の場は広がったが

あれから14年、プリティの活躍の場はプロレス以外にも広がっている。

蜷川幸雄演出の「身毒丸」の舞台(2011年)やテレビ番組にも出演するようになり、昨年12月には東ちづるがプロデュースした身障者が出演する舞台「月夜のからくりハウス」に参加した。今年1月末には富山県氷見市で行われた「TEDxHimi」で講演。所属事務所の社長・玉城杏経いわく「目指すはハリウッドで活躍できるプロレスラー」だという。

しかし、プリティの表情はなんとなく晴れない。

「本当はプロレスだけで稼げて、たまに芸能の仕事をするのが理想なんですけどね」

プリティ自身が目指しているのは、ミゼットプロレスが往年の輝きを取り戻し、レスラーのファイトマネーだけで生活できることだ。だが、試合は月に1、2試合程度しかない。芸能関係の仕事もコンスタントにあるわけではない。自宅のカレンダーには毎週、月曜日から金曜日まで赤ペンで線が引かれ、「22:00~6:00」とコンビニエンスストアでのバイトの時間が書かれている。深夜なのは時給が高く、客が少ないので気楽に働けるからだ。

カレンダーにはバイトのシフトとファンであるAKB48の握手会スケジュールが記されていた。達筆である(撮影:塩田亮吾)

ファイトマネーで生活できないのはボクサーや格闘家にもよくある話だが、ボクシングには世界チャンピオンになれば人生が変わるという夢がある。しかし、ミゼットプロレスにはプリティとブッタマンの2人の世界しかない。その世界を世間のほとんどの人たちは知らないし、ミゼットプロレスという言葉自体も拡散していない。いつのまにかミゼットプロレスは絶滅危惧種になってしまった。

なぜ、そうなってしまったのか――。

プリティと親交が深く、昨年、自らの企画したプロレス興行でミゼットプロレスの試合を組んだ女子レスラーのダンプ松本は言う。

「昔のミゼットを知る人が今の2人のプロレスを見たら『なんじゃこりゃ』って思うだろうね。受け身が取れないからね、あの2人は。それじゃレスラーじゃないだろって。もっと練習して笑わせるように努力してほしいけど、彼らはそういう努力がゼロ。自分たちが活躍しないとミゼットは終わるぐらいの覚悟を持ってやってほしい」

ミゼットをダメにしている自分

仲の良いダンプだからこその厳しい指摘だ。プリティもそのことを十分に自覚している。

ただ、デビュー以来、対戦相手はブッタマンただ1人。14年も同じ選手とだけしか試合をしていないので、さすがにマンネリ感が漂う。年齢が上がるにつれ、動きが乏しくなり、スピード感やコミカルな動きなどミゼットプロレスが本来持つ魅力も失われてきた。

「ミゼットをダメにしているのは自分たちかなって思います。正直、ブタさんとやるのは飽きていますしね。ほんとマンネリでやっている。そんな自分たちを見て、お客さんが沸くわけがない。ダンプさんの言う通り、練習してネタを考えないといけないのはよく分かっているんですけど……」

試合後に行われた所属事務所の忘年会で(撮影:幸田大地)

けど……生活のためにバイトを優先しなければならない。すると練習時間がなくなり、同じネタを繰り返し、スベって観客の反応が薄くなる。だから気力も失ってしまう。プリティは悪循環のなかでもがいている。新木場のリングで見せた「真空投げ」はリトル・フランキーから受け継いだ“技”だが、笑いを取るというより、静まり返った試合を早く打ち切るための手段になっているのだ。

身障者を取り巻く社会環境はパラリンピックや障がい者スポーツの支援が進んで改善され、表層的には仕事を含め活動の場が広がりつつある。プリティの仕事も多方面に広がっている。だが偏見がゼロになったわけではない。先述の東ちづるプロデュースの舞台でも、身障者たちの舞台ということがわかり、「こんなの見たくない」「子供に見せられない」という理由で観劇をキャンセルした人たちが出たという。

プリティ太田の入場用コスチューム(撮影:塩田亮吾)

母の三代子は「この子を含め身障者は主役にはなれないし、やれる役も出る番組も限られています。自主規制が多く、選択肢が少ないのは昔と変わりません」と言う。

日本のプロレス団体の多くはミゼットプロレスをプロレスとは別モノと区別して、取り扱わない。みちのくプロレスのように、自分の団体所属のレスラーと組ませてミゼットプロレスをアピールするところは少ない。端的に言うとプロレス扱いされていない。

新人ミゼットレスラーの確保にも苦しんでいる。過去には、志望者が数人訪れてきたが病気や給与などの条件がネックになり、諦めてしまった。最近は問い合わせすらない。

それでも、ミゼットプロレスに未来がないわけではない。

新日本プロレスには「ファンタスティカマニア」というメキシコのレスラーたちが参戦する大会がある。メキシコはミゼットプロレスも盛んで、空中殺法や独特のロープワークでファンを魅了している。プリティが彼らと戦えるレベルになれば、他のレスラーと同様に試合が組まれる可能性があるのだ。

ブッタマン(左)と2人だけの試合が14年間(撮影:幸田大地)

「もう笑いのネタを考えてシングルマッチを戦う時代じゃないと思います。ミゼットでもこれからは魅せるプロレスが必要ですし、自分もそういうプロレスをしたい。ブタさんが動けなくなると、ミゼットが終わってしまうんでね。技を磨いて動けるようになれば、メキシコやアメリカの選手を呼んでもらって試合ができるかもしれない。俺ももっと練習して、もっとプロレスがしたい。いつか、バイトのシフトで埋まっているあのカレンダーを練習と試合で真っ赤にできたらなぁ」

そう言ってバイトの時間が書かれたカレンダーを見つめた。

プロレスとの出合いは運命

今年、プリティは40歳になる。ジャイアント馬場が没した61歳までやるつもりだが、動いてプロレスができるのはあと10年程度だと感じている。
後継者がおらず、マンネリが続く中、今後もプロレスを続けていくのだろうか。

「やりますよ。プロレスは運命なんで。こんな低身長に生まれてきたくはなかったけど、プロレスに出合って人生が変わった。この世界で名を上げたいし、ミゼットの世界を広げて盛り上げたい。プロレス雑誌の表紙になりたいし、東京ドームのリングに立ちたい。そしてワーキャー言われてみたい。そういう自分やミゼットにしたいですけどね」

「ですけどね」と遠慮がちに言ったところに、プリティの気持ちが定まっていないのが見て取れる。ミゼットを取り巻く環境の難しさもあるが、ミゼットを盛り上げるための積極的な動きがほとんどなく、夢だけが大きく膨らんでいる。

(撮影:塩田亮吾)

「自分たちでやろうと変わらないと何も変わらない」と、ダンプ松本は言った。

ダンプの言葉には、プリティへの愛情に満ちた檄が感じられる。応援してくれる人はまだいるのだ。

座して終わりを待つのか、それとも14歳での夢をかなえたようにもう一度、自分の夢と欲のために前進するか。

それは、プリティ太田の覚悟にかかっている。


佐藤俊(さとう・しゅん)
1963年、北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年、フリーランスとして独立。「Sportiva」「Number」を始め、各種雑誌、WEB、新聞に寄稿。スポーツを中心にジャンルを問わない、断らないがポリシー。著書は「駅伝王者青学・光と影」(主婦と生活社)「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)など。

[写真]
撮影:幸田大地、塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

スポーツ最前線 記事一覧(51)