ジュビロ磐田で10番を背負い黄金期を支えた藤田俊哉はいま、イングランドの古豪クラブ「リーズ・ユナイテッド」で“ビジネスマン”として働いている。引退後、オランダで指導者のキャリアを歩んでいた藤田の突然の転身はサッカー関係者の話題を呼んだ。いま藤田はイギリスで何を成そうとしているのか。(西川結城/Yahoo!ニュース 特集編集部)
イングランド北部の街、リーズ。駅に降り立つと、北部特有の無骨な風土の印象とはかけ離れた、都会的なビル群が目に飛び込んできた。すぐにUberで配車し、向かうは街の郊外。10分ほど走った先に、大きな壁のようにそびえ立つスタンドが現れた。
サッカークラブ、リーズ・ユナイテッド(以下リーズ)のホームスタジアム、エランド・ロード。クラブは1919年に創設された古豪だ。1960年代から70年代、そして90年代にも黄金期を迎えたが、財政難となり2003-04シーズンにプレミアリーグ(1部)からチャンピオンシップ(2部)に降格。その後一度もプレミア昇格を果たせていない。
単なる地方クラブではないことは、その世界的知名度の高さでも明らかだった。実際に街を、そしてスタジアムを訪れてみると、規模の大きさは都会の強豪クラブ並みだ。その象徴とも言えるスタジアムに到着し、上階にあるオフィスへと案内される。築年数よりも明らかに新しい設備やおしゃれな内装に目を奪われた。
ガラス張りのミーティングルームの中に、尋ね人はいた。藤田俊哉。隣のスペイン人スタッフと何やら話し込んでいた。
「彼は僕を10年以上取材してくれている日本のジャーナリストだよ」
そう紹介されると、スタッフはこう返してきた。「トシヤが日本代表選手だったことは僕も知っているよ。どうぞゆっくり話していってください」。この夏にやってきた日本人を、すでに受け入れている様子がうかがえた。
コーチからビジネスマンへ転身
現在、藤田はリーズで新たなキャリアを歩み始めている。コーチではない。“強化スタッフ・ビジネスマン”として、だ。
サッカーファンにとっては言わずと知れた存在である藤田。長らくジュビロ磐田で10番を背負いプレーし、中山雅史や名波浩らとともにクラブの黄金期を築いてきた。静岡は清水という日本一の“サッカーどころ”で生まれ育ったMFは日本代表にも名を連ね、さらにオランダのユトレヒトでもプレーした。
2011年に現役を引退すると、2014年からはオランダのVVVフェンロでコーチに就任。そこは、藤田が名古屋グランパス時代に後輩としてともにプレーした本田圭佑や吉田麻也が、欧州キャリアのスタートを切ったクラブ。会長のハイ・ベルデン氏は本業の物流業で古くから日本とのつながりが深く、サッカーの世界でも藤田ら多くの人間と関わってきた縁もあった。
欧州で指導者として歩んでいた藤田が、2017年の夏、突然イギリスへと渡った。VVVが念願のオランダ1部昇格を果たし、彼のもとにはコーチとして継続オファーも来ていたが、今度は現場ではなくクラブの強化(ビジネス)スタッフという新たな挑戦の道を選んだ。チームの選手補強や市場拡大に直接関わる強化スタッフとして、古豪の一員に迎え入れられたのだった。
サッカーの本場・欧州で、決して強豪国ではない国の出身者が指導者のみならず、ビジネスマンとしても働く。現在、欧州に多くの日本人サッカー関係者がいる中でも稀有な存在である。だからこそ、その人生と選択にはオリジナリティーが溢れている。
「基本的に、年齢に関係なくいつの時代も好奇心が強い。いろんなところに動くのが好きで、いろんな世界を見ることが好き。いろんな人と会うことも大好き。そういう性格だから」と語る。
オランダ時代の経験と出会い
リーズへと渡るきっかけはコーチとしてキャリアを積んでいたオランダ時代にあった。
「VVVが戦っていた2部リーグは金曜開催の試合が多かった。オランダ人はしっかり休みを取る人たちだから、週末に時間ができることが多かった。そこで、僕はいろんな行動をした。イギリスやスペイン、イタリアにもすぐに行ける距離だし、試合も見て学んで、たくさん人とも会った。でも、その時に次なるキャリアのきっかけになる出会いがあるなんてことは、思っていなかった」
藤田が言う出会いとは、イタリア人実業家のアンドレア・ラドリザーニ。ロンドンに拠点を置く、世界有数のメディア放映権ビジネスを展開する「MP&SILVA」の副会長であり、昨夏にリーズを買収したビジネスマンでもある。何度も会い、時間を共にしていく中で、両者の考えは徐々に擦り合わさっていった。
「アンドレアは明確なビジョンや目標を持って、リーズのオーナーになった。リーズは歴史からしても規模からしても、本来プレミアリーグにいなければならないクラブ。その姿を、真剣に取り戻そうとしている。クラブ買収前から彼といろんな話をしてきた中で、『一緒に働かないか』という流れになった。オランダで指導者をして3年。まだまだその道を突き進みたいという思いは正直あったし、今も簡単にはなくしていない。でも、また新たな国で新たなトライをしたい気持ちもあった。どこかで、自分は次なる段階に行く時ということも感じていた」
VVVに残れば、顔なじみのスタッフ、温かい地元の人たちに囲まれた指導者人生を続けられた。「ストレスもなく、本当に素晴らしい環境だった」と藤田は振り返るが、すぐにこう答える。
「でもそこで安住するつもりはなかった。新しい世界を見ないと」
リーズで藤田に託された役割。それはコーチではなく“ビジネスマン”としてのアジア市場の開拓だ。
「クラブはプレミア昇格を見越して、重要なアジア市場のコネクションを作っていきたいと。アジアのマーケット調査、アジア人選手の獲得を視野に入れる意向がある中で、僕に白羽の矢が立った」
さらに、藤田がオランダやその近隣国などのクラブを視察していたことを生かせるタスクも存在した。イギリスはいざ移籍加入が決まっても、外国の選手は労働ビザ取得のハードルが高いことでも知られている。そこで、獲得した選手をヨーロッパの他国のクラブに期限付き移籍させる上でのコネクションも増やしていく必要がある。藤田はオランダの各クラブとはつながりがあり、ドイツやベルギーのクラブにいろいろと回ってきた経験があった。その知識と人脈を生かして、提携関係を築いて欲しいというリクエストだった。
「だから今でもリーズにとどまるよりも、普段からオランダや他国、さらには日本とも行き来する日々。中国にも近々行く予定になっている」
現場とマネジメントの両方のバランスを取る
2017年12月には、日本のユース年代の選手たち数人をリーズに受け入れた。これは日本サッカー協会(JFA)とJリーグの協働プログラム(JJP)の一環であり、一国の協会やリーグと連携すること自体、リーズにとっても初めての活動だった。日本側も欧州クラブの中枢に席を置く藤田に要請し、彼が窓口になり10代の日本人選手たちが本場の環境で練習や研修を行った。
さらに、日本の選手エージェントを招き、リーズのチーム強化部トップのテクニカルディレクター(TD)と藤田の3者で、若い世代の才能の発掘や獲得に向けた会議も進行している。
「代理人だけでなく、クラブ雇用のスカウトスタッフもたくさんいる。彼らが吸い上げてきた選手情報と現在のチーム状況を鑑みて、どんな選択がベストなのか。その見極めをするのも、今の自分の役割」と藤田は話す。決して外部との接触だけでなく、内部、つまりスタッフを含めたチームの戦いぶりも常にチェックしなければならない立場。リーズに滞在時は毎日練習場に足を運び、実際のトレーニングも注視している。
「一時成績が落ちたけど、また12月に入って上がりつつある。例えば、シーズン序盤は大型FWを起用していたけど、今は前線には機動力とテクニックに長けたFWを使うようになった。スペイン人監督らしい戦い方には今のほうがフィットしている」
その口ぶりは、まさに指導者目線。「現場とマネジメント、この両方のバランスを取ることが理想」と、藤田は現在の仕事について語る。
ここ数カ月、日本のサッカー報道でリーズの文字が紙面に躍った。現在、日本代表の主力としてプレーする若きMF井手口陽介(G大阪)に、リーズ行きの可能性が浮上したというニュースだ。これを耳にした時、サッカー関係者の誰もが藤田の名前を思い浮かべただろう。話題の背景について、藤田が明かした。
「井手口の名前は、すでに夏の時点でヨーロッパの各クラブで話題に上がっていた。みんな自分がリーズに推薦したと思っているかもしれないけど、本当は僕がこのクラブに来た時点ですでにスタッフは彼の名前を知っていた。まだ代表でもそんなに試合に出ていない選手だったので、僕も驚きだった。実際にクラブの中枢に入って感じるのは、こちら側が提案する以前に世界中のタレントを調べ上げているということ。本当に目が行き届いている。もはやイングランドのクラブぐらいになると、世界中の才能が埋もれることはないに等しい。この間、インドでU-17(17歳以下の世代)W杯が行われたけど、そこでプレーしているアジア人選手も、すでにクラブ内では名前が挙がっていた。だからここからはそういうタレント調査の速度をさらに速めていくことが僕の役割になってくる」
藤田はこれまで選手、指導者として、現場一筋で生きてきた人間だ。思えば、欧州で指導者になるという挑戦自体、周りからは無謀に見られていたのかもしれない。日本人選手が欧州でも多く活躍できるようになってきた現在。しかし、日本が強豪国の一員とみなされているわけではない。ましてや指導者となれば、日本人が欧州の選手を教える側に回る。高いハードルに挑んでいたことは間違いない。
欧州で通用しない日本のトップライセンス
また、ハードル以上に、大きな壁も存在していた。藤田が持つ指導者ライセンスは、JFA公認のS級。国内ではトップライセンスで、Jリーグクラブを率いるためには必須となる資格だ。しかし、このJFAのS級が、欧州各国クラブの監督資格として認められていない現実がある。UEFA(欧州サッカー連盟)が認定するトップライセンスとの互換性がないため、藤田は現状のルールでは欧州各国リーグでコーチまでは務められるものの、トップチームの監督ができないままだったのである。
藤田が、ここ数年の取り組みや心情をこう語る。
「3年前にオランダに来た時、もっと駆け足で日本人指導者がヨーロッパでやっていけるようになると考えていた。息巻いていた。でも、正直甘くなかった。ライセンス問題は高い壁。だからこそ、アジア人のサッカー関係者はヨーロッパサッカー界では職を選べる段階ではない。これも現実。もちろん改善のために何も考えがないという意味ではない。地道だけど、自分も風穴を開けるべくいろんな立場の人間と交渉し続けている。でも、ヨーロッパで勝負する上で、現実的な振る舞いも必要だということを突きつけられた」
藤田はVVV時代、オランダのコーチ協会に登録された実績を持つ。登録者数は500人を超えるが、アジア人は藤田がはじめてだった。コーチ協会は藤田が持つ日本のライセンスはUEFAのトップライセンスに匹敵するとみなしていた。ただ、オランダは自国の資源が少なく、何より人材こそが一番の資源ともいえる国家。サッカークラブの監督とは当然数が限られた職業でもある。そこで外国人が台頭するには、指導者として絶大な実績を持つタレントでない限り、国から就労許可が下りることはないという。ちなみに、実際にEU圏外出身者が監督になった例はない。
藤田は続ける。
「これまでもあまり悶々とはしていなかったよ。全部ベストは尽くすけど、自分ではどうにもならないことはある。そこは、必要以上に悩まない。そのジャッジを一度受け入れて、次はどうすればクリアできるのか。一つひとつ、冷静に次の策を考えるよね。それが僕の性格。あまり嘆かない。世の中嘆いて何かが叶うなら、いくらでも嘆くよ(笑)」
次の日、藤田はリーズから車を走らせ、マンチェスター郊外へと向かった。現在プレミアリーグ・サウサンプトンでプレーする日本代表DF吉田麻也が出場する試合が行われる。藤田は名古屋時代以降、長年の付き合いとなる後輩の雄姿を見るために出かけた。
試合後、藤田のある一面が垣間見えた。
イギリス生活5年を超える吉田は、すでに多くの人間関係を築いている。新たに同じ国にやってきた先輩に友人を紹介すべく、再会の場所をセッティングした。
藤田は紹介された人物と、ビジネスの話をしていた。イギリスでの挑戦の話題になると、サプライズでリーズのユニホームを手渡した。事前に吉田にその友人の名前を聞いて、準備していたのである。
さらに、意外な展開もあった。その人物が食品関係の仕事をしていると聞くと、すぐにVVVの話に。VVVのスポンサー企業はオランダ有数の物流会社であることは前述したが、藤田は企業間で新たな提携の可能性を模索しだしたのだった。
藤田の自然体の生き方
「イングランド北部に住んでいる方だったので、リーズのことを知ってもらうために話せて良かった。仕事の話ができるなんて思っていなかったけど、ちょっとした気持ちでユニホームを渡したらああやって喜んでくれる。よかったよね。思うのは、チャンスなんかはどこにだって転がっているということ。VVVのハイさん(ベルデン会長)はサッカー人。僕もこれまでお世話になったし、もちろんこれからも関係は続く。今日話したことが新たなビジネスにつながるかはわからないけど、こうやってスポーツとビジネスはどこかでつながるものだよ」
人への配慮と、機を見る嗅覚。その両面が絶妙に織り交じる、藤田らしい行動だった。
リーズに戻る道中。藤田は、自分自身について話していった。現役時代から、彼が力んでいるのを見たことがない。だが、決して、脱力しているわけではない。静岡というサッカー王国で才能を発揮し、筑波大、磐田と並み居るライバルを制して選手として出色の存在へと上り詰めた。そこには、表には出さない熱と負けん気が潜んでいる。
ただ、とにかく自然体。その姿を見ていると、何となく彼の美学は理解できているつもりだった。それを今回、藤田自身に言葉にしてもらいたかった。
「オランダに行く時や今回のように全く経験のない職種にトライするのを見て、確かにみんな、大丈夫かな?という見方もあると思う。成功、失敗はやってみないとわからないから、そこにはとらわれない。やっぱり不安は考えだしたらキリがない。それに人って、時々わからない不安に対する考えが大きすぎることがあると思う。実は大した不安じゃないのに、身動きしない人もいる。自分は、一歩踏み込む。その考えが全ての行動の源になっている。もちろん火傷することはある。でもやってみたいんだよ」
「溺れそうになったら、みんなあがくでしょ。自分は割とその溺れそうな時を恐れない。リーズでも初めての経験だから、溺れそうになることもあるよ、きっと。僕はストレスやプレッシャーに鈍感なのかな?(笑)」
思い立ったら行動する。誰でも憧れる生き方である。ただ、人は臆病でもある。だからこそ、藤田のような人生を誰でも送れるものではない。
そんな独特さも、彼は「鈍感なのかな?」とおどけてみせたりする。決して、必要以上に自分を大きく見せることもなく、誇らしげに語ることもない。けれんみのない人間とは、彼のことを言うのだろう。
「生き方で出来るだけ皆に迷惑はかけていないから。家族をしっかり守れば、あとは前に進む。そこはシンプルだよ。キャリアとしては、まず現役引退が定年退職だと思っている。一回完結しているから、今はゼロスタート。だからいろんなところに飛び込んでいける。これを延長線で考えると、いろんな考えやプライドが邪魔したかもしれない。この考え方が大きいかもね」
「指導者にしても今の仕事にしてもそう。できることなら本場で勝負したいんだよ。そこで自分の人生を試す価値はある、ということだよ。子供の頃から、王道を選んで勝負するのが好きだった。日本国内で王道だと思って進んできた道がある。でもさらに進んでいったら、『あれ?もっと違う世界がある』と思った。子供の頃は静岡県内しか知らなくて、全国大会を見て、プロを見て新たな世界を知った。今もそれと同じ。だから自分が特別なチャレンジをしている感覚などない。全然特別じゃないよ。その先があるならそれを見てみたい。それだけ。だから生き方は、今も昔も変わっていないんだよ」
名刺には、リーズ・ユナイテッドの文字。ジャージを着て土まみれになって選手を指導していた生活から、英国紳士の国で背広をビシッと着て飛び回る日々へ。
それでも、藤田は藤田だった。冷静で、熱い。品格があって、泥臭さもある。自分らしさを求めた歩みに、焦りは感じられない。
「もう少し飛ばしてもいいと思うんだけど、こうやっていろいろ話しながらゆっくり走るのもいいよね」
ハンドルを握る帰り道。自らを語りながら、藤田俊哉はその生き様のように、急ぐことなく自然体で車を滑らせていった。