無実の罪で20年以上も獄中に囚われ、社会から隔絶され、そして無罪になって社会に戻る。そうなったら、いったい、どんなことに直面するのだろうか? あなたはそれを想像できるだろうか? 大阪府に住む青木惠子さん(53)の場合、かわいい盛りだった8歳の息子は30歳近い大人になり、両親は80歳を過ぎて介護が必要になっていた。最新の家電の使い方は分からない。20年前にはインターネットも携帯電話も普及していなかった。それに加え、無罪判決を得ても無実を信じない世間の目……。これは、20年という途方もない長い時間の中で失った、自分の人生と家族との絆を取り戻そうとする、一人の女性の再生の物語である。(取材・文=NHKスペシャル「時間が止まった私 えん罪が奪った7352日」取材班/Yahoo!ニュース 特集編集部)
黄色い花柄のワンピース
青木さんは、20年前の世界からタイムスリップしてきたような感覚にしばしば襲われるという。例えば、私たち取材クルーが初めて自宅を訪れた今年9月、彼女は黄色い花柄のワンピース姿だった。
「私は50歳を回っているから、それなりの50代の服装とかあるかもしれないけど、30代で時が止まっているから。突然、50代の服なんて着られない。自分の年齢を分かっても、やっぱり、31歳の時に着ていた服っていう感じで、それが私にとっては自然なわけですよ」
青木さんが逮捕された1995年と言えば、阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた年である。携帯電話やインターネットもまだ、それほど普及していない。青木さんは2015年10月に和歌山刑務所から釈放された後、携帯電話を買おうとした。ところが、店員の言っていることを全く理解できなかったという。私たち取材班は3カ月間の密着取材を通し、空白の20年の意味を身をもって知ることになる。社会から取り残された屈辱感、家族との失われた時間……。
そうしたなか、青木さんはチラシ配りの仕事や親の介護、冤罪(えんざい)を訴える人たちへの支援活動などを手がけ、敢えて自分を忙しく駆り立てていく。それにより、心のバランスを何とか保っているようだった。
放火殺人を“自白”し「無期懲役」に
青木さんに関する事件は「東住吉事件」と呼ばれている。
無実の人が警察や検察の捜査によって濡れ衣を着せられ、罪に問われる「冤罪」事件。青木さんは、逮捕から20年余りの歳月を費やして無実を訴え続け、2016年8月、無期懲役を覆して完全無罪を勝ち取った。事件は大きく報道されたから、記憶している人も多いに違いない。
事件の発端は、1995年7月22日だった。大阪市東住吉区の住宅で火災が発生し、家族4人が住む建物が全焼。青木さんの娘で、入浴中だった小学6年生のめぐみさん(当時11)が逃げ遅れて亡くなった。
火元は住宅内部のガレージと見られたが、その扉には鍵が掛かっていたため、外部から何者かが侵入した可能性は低かった。では、なぜ火が出たのか。警察は「めぐみさんの母の青木さんが、同居していた内縁の夫と共謀し、保険金目当てで自宅のガレージでガソリンに火をつけ、めぐみさんを殺害した」と見立て、放火殺人の疑いで、青木さんと内縁の夫を逮捕した。
この事件では、直接の物的証拠は出ておらず、自白が逮捕の決め手になった。裁判で青木さんは「自白は警察の過酷な取り調べによるもの」などとして無実を訴えていく。犯行の動機とされた保険金も、事件の3年前に入った一般的な学資保険だった。
しかし、1審でも2審でも「無実」の訴えは認められず、最高裁は2006年12月、上告を棄却。青木さんの無期懲役の刑が確定した。
その後も弁護団は粘り強い活動を続け、大きな成果を得る。再現実験を重ねるなどしたところ、自白どおりの方法でガソリンをまいて放火をすると、本人が大やけどをしてしまうため、放火は不可能であることが証明されたのだ。さらに、ガレージの車の給油口からガソリンが漏れ、そこに風呂釜の種火が引火した可能性があることも分かった。火事はそもそも放火ではなく、自然発火だったのではないか? 有罪の根拠は崩れた。
2015年10月、大阪高裁は裁判のやり直し=再審を認めた。青木さんは刑務所から釈放され、20年ぶりに自由の身になった。そして2016年8月、やり直しの裁判で、かつて有罪の根拠とされた自白は全て退けられ、青木さんは無罪判決を勝ち取った。検察側はその日のうちに控訴しないことを決め、無罪が確定した。
戦後の刑事事件をひもとくと、無期懲役や死刑が確定したあと、再審が行われて無罪となったのは、9件を数える。その中で、女性は青木さんしかいない。
7352日間の獄中手記
青木さんは獄中にいた20年間、日記をつけ続けていた。ノートは全部で22冊。どのページも細かい文字でびっしりと埋まっている。そこには、刑事の過酷な取り調べで自白に追い込まれた時の様子が書かれていた。白い部分を残すことを惜しむような、執念の記録でもある。
「刑事は『お前は鬼の様な母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか、素直に認めろ』と大声で怒鳴り机を叩いたりしてきました」
青木さんを虚偽の自白に追い込んだものは、火事で亡くなった娘に対し、内縁の夫が長年、性的虐待を繰り返していたという出来事だった。母の自分が、全く気づいていなかった事実。それを刑事は取調室でいきなり告げた。
「刑事が○○(内縁の夫の名)とめぐちゃんとの関係を話してきました。」
「それを聞いた私は信じられずボーっとしていると、刑事は『女としてめぐを許されへんから、殺したんやろ』と言われ、私はその言葉にショックを受けてしまい頭の中は真っ白になりパニック状態でした。」
「私は刑事に言われるままに、1枚の自白書を1時間くらいかかって書き終えました。」
突然だった娘の死。身に覚えのない罪と収監。塀の外に残されたままになった息子。青木さんにとって、苦しみの日々が続く。その思いもノートに詰まっていた。
「○○(息子の名)と別れて、7年以上が過ぎてしまったので、私はあなたの成長した姿を想像することもできなくなってしまいました。」
「とても親としては悲しく思います。いつか必ず、会って話ができると信じて、裁判で無実を勝ち取ろう。」
青木さんはいま、冤罪体験を語るため、全国各地に足を運んでいる。そうした日々に密着しながら、不思議な光景を目にした。それは、除菌ペーパーである。青木さんは、自分の座る椅子や机などを丁寧に拭く。なぜそんなことを? そう尋ねると、「捕まってから、人を信用できなくなった精神状態っていうか、怖いんですよ」という言葉が返ってきた。
「誰が座ったか分からないから、(何もせずそこに座ることが)無理なんですよ。神経質が(刑務所を)出てから一段とすごくなっちゃった」
逮捕から20年余りの長い年月、青木さんは自由を奪われていた。そうした中で、極度の人間不信と潔癖症になったのだという。
青木さんはまた、逮捕以来、「娘殺しの母親」と呼ばれ続けた。無罪判決を得た後も、インターネット上には無実を疑う誹謗中傷があふれている。無罪が確定しても、世間の人がみな、無実と思ってくれるわけではない。
亡き娘を思い、ともに過ごす日々
自由を取り戻した青木さんの1日は、亡くなっためぐみさんの仏壇に手を合わせることから始まる。火事から救い出せなかったこと、内縁の夫による性的虐待に気づかなかったこと。申し訳ないという気持ちが変わることはない。
「死ぬまで申し訳ないという気持ちを抱きつつ生きていくし、それは一生忘れないという思いでいます」
月命日、誕生日、そして亡くなった日。青木さんの日々は、めぐみさんの節目の日とともに過ぎていく。
“大事件”が家族を一つに…
密着取材を始めて1カ月がたった頃、家族を揺るがす“大事件”が起きた。認知症の症状が出ていた青木さんの母・章子さん(86)が、早朝に1人で自宅を出て、行方が分からなくなったのだ。今までこんなことはなかった。
その時、青木さんは、講演を依頼され、北海道を訪れていた。知らせを受けて予定を切り上げ、急ぎ、大阪へ。早速、警察なども協力し、捜索が始まった。
ここに行ったのでは? もしかしたら、あの場所かも……。
家族の思い出などを記憶の中から引っ張り出し、関係のありそうな場所に足を運んでは、夜遅くまで歩いて捜した。チラシを作って、地域で情報や協力も求めた。
20年余りの分断で関係が希薄になっていた家族は、これをきっかけに関係が変わり始める。青木さんにとって釈放後、こんなにも長い時間、息子と2人きりで過ごすのは初めてだったという。
捜索はおよそ1カ月に及んだ。青木さんはいま、こう語る。
「家族が一つの目的に向かって一所懸命やった。母親(章子さん)がそういうふうにしてくれたのかな、という思いはあります」
冤罪で失われた20年。青木さんの止まっていた時間は、この“大事件”などを経て、少しずつ動き始めている。
NHKスペシャル「時間が止まった私 えん罪が奪った7352日」は12月18日(月)午後10時からNHK総合テレビで放送。冤罪事件はこれまで、捜査や裁判の問題点を軸に語られることが多かったが、この番組では一人の女性――青木惠子さんに焦点を当て、失った時間や肉親との関係をどう再生していくのかを密着取材し、従来とは違う角度から冤罪の問題を問いかける。(語り:松尾スズキ、日記朗読:森昌子)