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岡本裕志

なぜ 「うんこ」は子どもに人気なのか 漢字ドリルが260万部

2017/06/19(月) 10:34 配信

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この3月に発売された小学生向けの漢字ドリル『うんこ漢字ドリル』がベストセラーになっている。3000を超える例文の全てが「うんこ」に関連しているという奇抜なコンセプトが受け、200万部を突破した。振り返れば「うんこ関連本」は過去にも人気を集めている。なぜうんこは、子どもの心をつかむのか――。(ライター西所正道/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「うんこ漢字ドリル」が生まれるまで

「運動場にびっしりとうんこがしきつめられている」

「うんこをヘリコプターでつり上げて運ぶ」

これはいま話題の『うんこ漢字ドリル』3年生用漢字の「運」の例文だ。すべての例文に「うんこ」を使うという型破りなドリル。この無料体験イベントが5月13日、旭屋書店池袋店で開かれた。子どもたちはクスッと笑いつつも、みな真剣に漢字を書き込んでいた。

ひとつの漢字につき例文は3つずつ。画数で並べるより覚えやすさを優先し、舌と眼といった体の部位を並べて編集するなど、見せ方も研究した(撮影:岡本裕志)

その様子を楽しげに眺める男性がいた。同ドリルの例文作者・古屋雄作氏(40)である。

「いやー嬉しいです! 字がいいじゃないですか。けっして上手じゃないけど、力のある字で、マス目いっぱいに書いてくれている。この字がマス目に入ったのを見て、あ、これでドリルが完成したなって思いました。全国の子どもたちとコラボができたなって」

このドリルは、3月24日の発売からわずか2か月あまりで、発行部数がシリーズ合計266万部を超えた(6月16日現在)。版元は文響社(東京)。『人生はニャンとかなる! 』といった自己啓発本シリーズのヒットで知られる。同社の山本周嗣社長は、若い世代の成長を促す、たとえば教育関連の本もつくりたいと考えていた。そんなある日、中学からの友人である古屋さんがうんこを題材に川柳を作る趣味があったことを思いだした。「うんこをぶりぶり漏らします」「うんこをコロコロ丸めます」といったオノマトペを交えた川柳だ。

版元の文響社・山本周嗣社長。古屋氏とは中学時代からの友人(撮影:田川基成)

うんこと教育を合体させたら面白いに違いないと思った。直感だったが、漢字ドリルが頭に浮かんだ。うんこを使った漢字ドリルの例文作成の相談を受けた古屋さんは、3018もの例文をひねり出した。時に、「うんこの神様が憑依したようなトランス状態」になりながら、ひたすらパソコンに向かって書き続けたという。

例文作者の古屋雄作氏。映像作家でもある(撮影:田川基成)

しかし、例文はあくまで学習ドリル用である。内容に問題がないかを、学習参考書などを多く手がける会社にチェックしてもらった。「炎に限界まで近づいてうんこをする」には「危険」と注意されるなど、ダメだしも多数あった。複数の学習塾へ行き、先生や子どもにも意見を求めた。その一つ「こくご塾KURU」(東京都文京区)の西原真喜子塾長によれば、社長や編集者が、熱心にメモを取っていた真面目さが印象に残っているという。制作期間2年。ついに3月24日、店頭に並んだ。人気に火をつけたのは、先行発売直後にツイッターに投稿された一文だ。

発売後すぐ書店で売り切れが相次いだ。今はコンビニエンスストアでも販売されている(撮影:岡本裕志)

発売されるや爆発的な売れ行き

「例文が全てうんこの漢字ドリルをみつけた」という内容のツイートで、例文を2つほど撮影した写真がアップされていたのだ。

書店の反応もよかった。JR山手線目黒駅の駅ビル・アトレに店を構える有隣堂では、平積みではなく棚に差した状態で目立たなかったはずなのだが、各学年5冊ずつが5日で完売。「ドリルの売れ方としては異例の速さ」(児童書担当・海東寛子さん)だったという。

前出の「こくご塾KURU」に通っている子どもたちも、「生まれて初めて親にドリルを買ってと言いました」(5年生男子)、「次にどんな例文がでてくるか楽しみで、1日に10ページやった時もあります」(6年生男子)と大好評だ。

上園(うえぞの)茂雅君(小学6年、左)が「1日に10ページやった時もある」と言うと、弟の隆景君(同4年、右)も「昨日5ページやった」と負けていない。こくご塾KURUで(撮影:岡本裕志)

山本社長はその勢いに「行ける」と直感。すぐさま10万部の増刷を指示。さらに増刷を重ね、発売からわずか2週間で目標値であった64万部近くまで到達した。64万とは、全国の小学生の数、約640万人の1割に相当する数だ。

元外資系証券マンならではの勝負勘

この増刷を決定するスピード感と剛胆さは、慎重ムードの強い出版界においては異彩を放っている。実は山本社長の前職は、リーマン・ブラザーズ証券のトレーダーなのである。

「勝てる確率が高いと分かったときには一気にリスクを取る傾向はあります。本来売れる可能性がある本なのに、出版社がリスクを取ることを恐れ、本の潜在能力を出し切れない状態で終わってしまうのが嫌なんですよ」(山本社長)

ドリルの例文作成の過程で、「彼のうんこをおがめるなんて幸運な男だ」という例文に、チェックを依頼した会社から「あまり人がしているところを見るのが幸運と思えず、気になりました」というダメだしの指摘(撮影:田川基成)

うんこをモチーフとしたコンテンツが人気を集めるのは、今回が初めてではない。実は、子ども向けのうんこ関連書籍は、長期にわたって人気作を世に送り出してきた。絵本『みんなうんち』(五味太郎、1977年)、『ひとりでうんちできるかな』(きむらゆういち、1989年)はともにミリオンセラー。比較的新しい『うんこ!』(サトシン、2010年)の発行部数も38万部に達していて、絵本『うんこしりとり』(tupera tupera、2013年)の発行部数は10万部だ。

書店の販売総合ランキングでも、1位の芥川賞作家・又吉直樹の新作の次にうんこ漢字ドリルがずらりと並ぶ(撮影:田川基成)

幼児教育の専門家がうんこで笑う理由を分析

それにしても子どもはなぜ「うんこ」が好きなのだろう。幼児教育が専門の三重大学教育学部・富田昌平准教授に聞いた。富田准教授は、うんこ、おなら、おしりといった言葉に幼児が関心を示す理由や背景などを調べた論文「幼児の下品な笑いの発達」を執筆している。子どものうんこ好きについて次のように話す。

漢字が面白くなった西原颯勇(そうゆう)君(・小学1年)が、「うんこ先生大好き!」と言いながら、6年生で習う画数が多い漢字の勉強を始めた。こくご塾KURUで(撮影:岡本裕志)

「硬い言葉で言えば、〈日常性からの逸脱〉というところにうんこ好きの理由があると思います。日々の何気ない日常の会話の中に、ひょいと〝うんこ〟という非日常性が投げ込まれる。すると、そこに笑いが爆発するのです。大人はすでにそうした笑いの構造を暗黙裡に理解しているから、くだらないなどと思って笑えませんけどね」

有隣堂アトレ目黒店児童書担当・海東寛子さんが羊毛フェルトで作ったうんこ先生のマスコット。制作に5時間かけた「うんこ先生愛」あふれる力作(撮影:田川基成)

ただ、うんこへの反応も年齢とともに変わるという。最初は「うんこ」などと言うと親が慌てたりするので、それを面白がってわざと口にする。それも4歳ぐらいで終わり、うんこを言う対象が母親から友だちに移っていく。幼い頃は仲間と笑い合いたいけれど、表現などで笑いをとる技術がないので、手っ取り早く「うんこ!」と言ってみたりする。そのピークは4、5歳。幼稚園の年長ぐらいになると、笑いをとる技術が発達し、お下劣な言葉を使わなくても笑いをとれるようになっていく。

大増刷に書店での販促グッズにも力が入る。有隣堂アトレ目黒店で(撮影:田川基成)

「お下劣笑い」に出る男女差

「小学生になると、下ネタの話題は恥ずかしいという感情も芽生えてくるんです。ただ男子は、小学4年生ぐらいまでは仲間うちで下ネタを話題として楽しむところがありますね」

富田准教授は、子どもの遊びや会話を観察する中で気づいたことがある。それは友だち関係をつくるときの男女差。女子は3、4歳頃から互いを「褒め合う」ことで、「私たち友だちだよね」という意識を高めるが、男子は違う。

「男子は『強さ』『かっこよさ』を志向するようになる一方で、『くだらなさ』を共有するところがある。ときには、『お前もやるな』『俺もたいがいだが、お前もくだらないな』などと、くだらなさを張り合ったりもする。男子はそういう過程の中で、友だちの絆を深めていくところがあります」

集中して『うんこ漢字ドリル』をする上園兄弟。「こくご塾KURU」の西原塾長によれば、小学5、6年生はうんこで例文を作って楽しんでいるという(撮影:岡本裕志)

富田准教授は43歳。自身のことを振り返ると、小学3年生ぐらいまでは、クラスの男友だちの間で「コロコロコミック」の「超人キンタマン」が人気があり、超人の中に「雲黒斎」(うんこくさい)がいたのを覚えている。「Dr.スランプ アラレちゃん」も人気で、アラレちゃんが棒にうんこを突き刺して持ち歩いていたのも印象に残っている。しかし小学4年生以降になると、徐々にストーリー性の強いマンガに興味が移行していったという。

だから『うんこ漢字ドリル』も小学3年生頃まではウケるのではないかと、富田准教授は指摘する。事実、文響社の山本社長によれば、1、2年生が一番売れ、学年が上がるほど売れ行きは減るという。富田准教授の友人が、小学5年生の娘に買って渡すと、「パパのそういうところが嫌い!」と撃沈させられた。

最初入荷したドリルの売れ行きの速さを受け、特設台を設置。有隣堂アトレ目黒店で(撮影:田川基成)

このドリルの不思議なところは、「大人の女性」にも受け入れられていることだ。前出の有隣堂、海東さんによれば、『うんこ漢字ドリル』をプレゼント用として購入する女性客がかなりいるという。

「絵本を包装することはありましたが、ドリルを包装するのは初めてです。友だちのお子さんへの面白いプレゼントとして買っていかれるという印象でしたね」(海東さん)

書店員さんの手書きポップに「狂気のドリル再入荷」。有隣堂アトレ目黒店で(撮影:田川基成)

要因はドリル全体を貫いている「うんこのリアルさから遠ざける」編集方針にある、と古屋さんは分析する。全体の色遣いやデザインがきれいで、例文に関しても、「臭い」「黄色」「茶色」といった直接的な表現を使っていない。うんこをリアルな文脈に置くと、現実のうんこを想像したりして汚い感じがするからだ。

リアルから遠ざけ、非現実、シュールな文脈の中にうんこを置くことで、「あるわけないじゃない」とツッコミを入れて、距離を置いて楽しめる。その時点で、うんこのリアルさも臭みも飛んでしまっている。だから大人も子どもも受け入れられる絶妙なバランスが実現したといえる。

第2弾はどう出るのか。「今までにないものをつくりたい」と2人(撮影:田川基成)

山本社長によれば、すでに漢字ドリルの第2弾を準備中だという。「1冊を1日でやっちゃったという子どもがいて、そんな子どもをお待たせするわけにいかない」という思いからだ。

「またしばらくうんこまみれの日が続きそうです」(古屋さん)


西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年、奈良県生まれ。京都外国語大学卒業。雑誌記者を経て、ノンフィクションライターに。著書に『五輪の十字架』、『「上海東亜同文書院」風雲録』、『そのツラさは、病気です』、『絵描き 中島潔 地獄絵1000日』がある。

[写真]
撮影:田川基成、岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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