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本美安浩

J2で戦う偉大な守護神・楢崎正剛、降格の屈辱と戦友・闘莉王との別れ

2017/06/10(土) 08:40 配信

オリジナル

今年、1人の偉大な守護神が、サッカーJ2リーグの舞台で戦うことになった。楢崎正剛。W杯に4大会連続出場(98年、02年、06年、10年大会)した守護神は、40歳を迎えた今、新たな戦いに身を置く。

99年から在籍する名古屋グランパスは、近年成績が急降下。遂にJ1から姿を消した。10年にはリーグ制覇を達成し、シーズンMVPに輝いた楢崎。その隣には、常にジョークを言い合いながらも誰よりもこのGKを尊敬してきたDF、田中マルクス闘莉王がいた。

日本を代表するプレーヤーの2人。サッカーファンに留まらない知名度を誇る彼らは、ここ数年はまさに“同志”と言うにふさわしい関係だった。

慕い、認め合う歴戦の選手。そんな2人にどうしても聞きたいことがあった。

それは今季訪れた、別れについて。

チームを最後尾から支え続けてきた男同士だからこそ、わかりあえる感情がある。今回の離別に対する思いを、2人は公には口にしてこなかった。だからこそ、その本音を聞きたかった。(スポーツライター・西川結城/Yahoo!ニュース 特集編集部)

撮影:本美安浩

馴染みの喫茶店でコーヒーを楽しんでいた。隣の席にいたお店常連のファンに、「ナラさん、お先に失礼しますねー」と声をかけられ、笑顔で会釈する。そのまま、少し笑みを含んだ顔で、名古屋グランパスエイトのゴールキーパー・楢崎正剛は口を開いた。

「闘莉王とは、あえて連絡していないんよ」

ゆっくりと、一言、一言を噛み締めながら、思い返すように話していく。それはどこか楽しげで、また少しさみしさも見え隠れした。

1993年に始まったJリーグ。その最初のシーズンから在籍している名古屋グランパスは、ついに今季J1に踏みとどまることができなくなってしまった。

「長いプロ生活。J2でのプレーも一つの勉強になると思っている。でも1年だけでええかな。もしかしたら、いらない勉強だったのかもしれないから」

40代を迎えてもなお日本屈指の実力を持つGK。今いる場所、そこは楢崎にとって当然本望といえる舞台ではない。

左:闘莉王、右:楢崎 J2降格が決まったグランパス(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

彼に会う前日、京都に足を運んだ。

京都駅で新幹線から在来線に乗り換える。降り立った駅は観光客が見当たらず、地元の人たちで溢れる生活感に満ちた街だった。

遠くの方から、大柄の男が歩いてきた。帽子をかぶっているが、つばの下からはニヤリと笑顔が見える。

「もうこのあたりの店は何度か行っていて。俺は浦和でも名古屋でも、こういう気取らない店があればどこでも馴染んできたからね」

軒をくぐったのは、提灯がぶら下がった和食屋。「いらっしゃい!あ、また来てくださったんですね!」。店員が思わず嬉々とした声をあげて迎える。少し照れながらも、笑みでそれに応える男。

昨季限りで名古屋を退団した、田中マルクス闘莉王。新天地でも、すでに自然体で楽しんでいた。

揺れに揺れた名古屋

昨季終盤、名古屋はJ1残留争い真っただ中に小倉隆史監督を解任した。するとシーズン前にチームを退団していた闘莉王に、復帰のオファーを送った。

闘莉王は小倉監督から構想外の旨を伝えられ、2016年初めに自ら名古屋を去っていた。クラブの態度は功労者に対してあまりにも冷徹だという声も飛んだ。内部にはまだ闘莉王の力が必要だと考える人間もいた。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

徐々に名古屋の成績は低下し、窮地に陥っていった。小倉監督の後任となったボスコ・ジュロブスキー監督も「闘莉王を戻して欲しい」と語り、急転、復帰が決まった。

その時点でリーグ戦は残り7試合。完全に低迷していたチームが、ジュロブスキー監督と闘莉王が加入した途端にチームは息を吹き返し、4試合で3勝1敗の成績を残す。最後は力及ばず、最終節の敗戦でJ2行きが決まってしまったが、絶望的な状態から最後の最後まで行方がわからないところまでチームを押し上げたのは、紛れもなく闘莉王たちだった。「最終節まで残留の可能性を持っていけた。あれは奇跡やった。闘莉王とボスコ(ジュロブスキー監督)には、頭が上がらない」。楢崎もそう述懐する。

撮影:本美安浩

J2降格が決定した数日後、クラブは闘莉王に17年以降の契約を結ばないことを通達した。母国ブラジルから飛んで戻ってきて最後まで戦い抜いたが、彼はシーズン初めに続いてまたしても屈辱を味わうことになった。

楢崎と闘莉王の仲をよく知るある選手が、こう打ち明けたことがあった。

「誰もが、トゥーさん(闘莉王)が切られるのはおかしいと思っていた。でもそれを選手の立場で声高に言えるのはナラさん(楢崎)ぐらいしかいない。何でナラさんはもっと言わないんだろうって。正直、もどかしいところがあった」

出ていく立場と、チームに残る身。他力によって引き裂かれたような2人。その互いの心情が、これまで語られることはなかった。

テーブルに並べられたおばんざいを、どんどん口に運んでいく。奇しくも、闘莉王の開口一番の言葉もこうだった。

「ナラさんとはね、連絡取っていないよ。でも別に気まずいわけじゃない。今、思うのは、(名古屋退団に際して)俺にも悪いところはあった。でも、俺は誰よりもまっすぐ。これだけは負けない。だから、クラブの中で良くないと思うことが起きている時に、目をつむることはできない。だって、人間なら普通そうでしょ」

名古屋の内部はここ数年、揺れに揺れていた。ある意味、闘莉王は全身でその波を被ってしまった。最も翻弄された選手ともいえる。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

2016年5月、名古屋は日本が誇る世界企業・トヨタ自動車の子会社になった。Jリーグ発足以降、長らくメインスポンサーの1社として存在してきた大企業。クラブはその傘下に入り、安定した経営を目指した。

一サッカークラブにとって、トヨタは巨大な存在だ。そこで働く人たちも、頭上にある親会社の意向を窺うようになってしまうのも想像に難くない。クラブ内には、どこかの政党のように派閥が出来上がっていった。

思えば、急転直下だった小倉元監督の就任と解任や闘莉王の処遇など、最近のクラブ人事の背景には内部の派閥間での争いが存在していた。誰を獲得し、誰を切り捨てるか。そうした強化策や人選が、クラブ内政治の思惑に左右されることもあったという。

名古屋から残留のオファーがあれば、「残っていたと思う」と闘莉王は話す。一瞬、蘇る悔しさ。それをグッと押し殺しながら、こう続けた。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

「俺がやってきたことは消えない。それは絶対に。レッズでもグランパスでも、日本代表でも。誰が何と言おうと、俺は俺のスタンスで結果を出してきた。誰とでもフラットにやってきた。良いも悪いもはっきり表現する性格。でもナラさんは違うかもしれない。だから俺と同じような行動を何で取らなかったなんて、言えない。ナラさんとプレーしてきて本当によかったし、もう一回優勝したかった。ただ、俺の考えだけを言えば、思っていても表に出さないのは、思っていないと一緒――。まあ、難しい話だよ」

闘莉王の礎

強烈な個性は、場合によってはアクの強さとも表現されてしまう。闘莉王とは、まさにそういう男。彼を誰よりも頼もしく思う人間もいれば、主張が強く疎ましく思う人間もいる。ただ、本人は他人の顔色を窺いながら生きることはできない。そしてその生き方で得てきた成功体験こそが、闘莉王の礎になっている。

2011年のJリーグアウォーズでは闘莉王、楢崎は優秀選手に選出された(写真:アフロスポーツ)

熱い男の言葉を携えて、すぐに楢崎のところへ向かった。

本来は多弁なタイプではない。それでも少しずつひもとくように、過去を回想していった。

クラブ自体も何が決定的にダメでJ2に落ちてしまったのか、組織としても大きな理由が見つけにくい。みんなどこかで『大丈夫なんじゃないか』と安心していたところもある。J2降格が決定して、(豊田)章男会長(トヨタ自動車社長。15年より名古屋グランパス会長)に話す機会があった。そこで自分のクラブに対する思いは言ったけど、でも俺が何か言ったからといって影響があるかはわからない」

闘莉王や他のメンバーがどんどんとクラブを去る中、楢崎はただ指をくわえてそれを見ていた、というわけではなかった。ただ、今や楢崎は名古屋のレジェンドに値する選手でありながらも、本人はその行動や自身の影響力を絶対的とは見なしていない。そこに、闘莉王も触れた彼のある性格が透けて見える。

「仲間の残留に向けて?尽力なんてしてないよ……力は及ばんかったよ。フロントの人たちにも『何で力になってくれた選手を簡単に外に出してしまうのか』と言ってきたこともある。ただ…何が正しいのか、はっきり言ってわからなかった。闘莉王が主張していることを聞いて、『確かに正論やな』と思ったこともある。でも、それだけが本当に正しいのか、自分の中で言い切れなかった。自分が正しいと思っていることも、間違っていることだってある。だから、俺はいつも自分を表現することをすごく考えてしまう」

撮影:本美安浩

そして、楢崎は闘莉王についてたっぷりの情を込めてこう語った。

「闘莉王は逆。だからすごいんよ。常に自分の感情に正直に戦ってきたわけやから。あいつはものすごく自分に自信がある。そこが俺との決定的な差。俺も、あれぐらい自信が持ちたい。俺は良くも悪くも、一つの考えではなくてどこか違う側面からも物事を見てしまう。やっぱり闘莉王は俺にないものを持っている」

「闘莉王とは真逆」楢崎の思い

芯の強さを持つ闘莉王。一方、楢崎は自身のことを真逆のタイプと称した。

ただ、プロ20年以上、第一線で戦い続けてきた守護神が、柔な自分であり続けてきたわけがない。彼には在籍クラブが消滅した過去がある(1998年まで存在した横浜フリューゲルスでプレー)。この世界の厳しい現実を、若いうちから嫌というほど見せつけられているのだ。

一呼吸置いて、さらに楢崎が発していった言葉。急に声のトーンが上がり、力がこもっていた。

写真:築田純/アフロスポーツ

「でも、なんだかんだ言ったって、サッカーやからね。選手がいなくなって、また入ってきて。これが当たり前だから。何より、チームが消滅するという経験だってした」

「いつも、ふと考える。俺はたまたま長く在籍しているけど、名古屋を出て行った選手たちには『あいつはいいなあ』なんて思われてきたんかなと。すごく複雑で、何か気持ちよくなかった。『俺だけ残って良いのか』、そんな自問自答もした。ただ、クラブを悪く言われるのもめちゃくちゃ面白くなかった。自分が真剣にプレーしている場所だから。

「俺の中には、感情の部分と、プロとしてある意味ドライな部分、その両方があるのだと思う。闘莉王の考えもわかる。プロとして現実もある。これが、今の自分の答えかな」

敵として相まみえた両者

5月3日。楢崎と闘莉王は、対戦相手として再会した。愛知県の豊田スタジアムには、4万人に迫る観客が集まっていた。

白地に紫色が施された京都のユニフォーム。背中には浦和や日本代表、そして名古屋時代から背負い続けてきた4番が光る。闘莉王は今、チームの窮地を救うべくFWとして大活躍を見せている。これまでもDFながら高い得点能力を示してきたが、ストライカー顔負けの技術と強さでゴールを量産するプレーは、あらためて実力者であることを証明する。

攻める闘莉王、守る楢崎。両者はピッチの上で、予想もしなかったガチンコ対決を繰り広げていった。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

「やっぱり、闘莉王に一番気を使った。京都もどんどんあいつにロングボールを入れてくる。それは自分たちにとって一番イヤな形。何より、闘莉王の強さを知っているから。

やられたらまずかった。絶対にあいつだけにはやられてはいけないって。でも試合が終わった時に感じたのは、すでに闘莉王を1人の相手の戦力として見ていたことだった」

楢崎は、目の前の戦いに集中していた。それは闘莉王も同じだった。

「俺は過去で生きている選手は嫌で。昔はこうだったと言い過ぎるのは良くない。今、何ができるか。だからこそ、今日明日、今後はどう結果を見せられるか。練習からもそうだし、やっていることや行動でもそう。ここからどうするか。常に見せていかないと。必ず京都を強くしたい、まだ何かを成し遂げたい。自分のサッカー人生はそれほど長くはないけど、名古屋で持っていた熱い思いはまだ死んでいない」

試合は1対1の痛み分けに終わった。ピッチを離れ、2人は会話を楽しんだ。お互いの近況や、家族のこと。これまでと何も変わらない空気だった。

楢崎正剛と田中マルクス闘莉王。紛れもなく、Jリーグそして日本を代表する偉大な選手だ。実力も名声もある立場でも、何かに翻弄されることがあるのが現実だろう。それでも、その他大勢の選手たちと変わらず、彼らは今日もボールを追いかけ、汗を流す。

温かい話しぶりで、楢崎がこうこぼした。

「もう、変に気持ちを引きずるのもイヤやし。それは闘莉王も一緒やと思う。何度も言うけど、これもサッカー。でも俺は、相手チームであっても、あいつと一緒にピッチに立てていることがうれしかった。今はその喜びのほうがデカいよ」

撮影:本美安浩

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