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梁川剛

「自然と涙が出てきて、止まらなかった」ドイツ名門クラブの日本人主将・酒井高徳の重圧と苦闘

2017/06/11(日) 08:46 配信

オリジナル

「最終戦が終わって2日間、真っ白になっていました」

酒井高徳は、苦笑してそう言った。

ドイツの名門クラブであるハンブルガーSV(HSV)はシーズン当初から下位に低迷、残留争いを戦い、最終節に劇的な勝利で1部残留を果たした。

HSVは1963年のブンデスリーガ創設以来、一度も降格を経験していない唯一のチーム。酒井は、そのチームのキャプテンとして重要なミッションを達成したわけだが、真っ白になるほど重圧と苦闘の1年があった――。(ライター:佐藤俊/Yahoo!ニュース 特集編集部)

撮影:梁川剛

日本人キャプテンへの厳しい視線

最終34試合目に燃え尽きた酒井の戦いは昨年11月、マルクス・キスドル監督からキャプテン就任の打診を受けたのが始まりだった。この時点でチームは10試合を終え、2分け8敗の最下位。どん底状態の中でのことだった。

「シーズン途中のキャプテンの交代は普通はあり得ないし、周囲も『もう無理だろう、この状態じゃ』って感じですごく悲観的だった。でも、元々こんな順位にいるチームじゃないし、自分がキャプテンになることが少しでもチームの助けになるのであればやるしかない。そう覚悟を決めて引き受けました」

ドイツ1部リーグの名門クラブの最年少キャプテン(当時25歳)に向けられた視線は当初、かなり厳しいものだった。

「ドイツ語も十分に話できないのに大丈夫かよ」

「なんで、あいつがキャプテンなんだ」

そんな声が耳に入ってきた。ドロドロとした不穏な空気がチーム内に流れ、仲が良かった数人のチームメイトはキャプテンになった途端、距離を置いてきた。そういう視線や行動に対して、酒井はキャプテンとして「何もしない」ということを決めたという。

「普通はチーム状態が悪い中、キャプテンになったらリーダーシップを執って何かしようとするけど、あえて何もしなかった。監督からも『お前を選んだが今何かする必要はまったくない。大きく変えようとする必要はないし、今までお前がやってきた姿勢やプレーを見せてくれるだけでいい』って言われた。実際、いつも通り接することで最初、距離を取っていた選手が『お前、キャプテンになっても何も変わらないな』って安心して元に戻ってきた。ただ、試合中、苦しい時にチームを鼓舞する、いいプレーをしてみんなを納得させることは意識してやっていました」

写真:アフロ

チームに潜む「ぬるい」意識

酒井がキャプテンになって初めての試合はドローになり、2試合目もドローだった。だが、3試合目のSVダルムシュタット戦でシーズン初勝利を挙げるとチームは上向きになったかのように見えた。しかし、その後もチームは波に乗り切れない状態が続いた。

「初勝利を挙げた時はうれしかったです。でも、すごくいい試合をして勝てたと思うと次の試合ではひどい内容で負けてしまう。波が大きいんですよ。それは安堵感やぬるさが出てくるからなんです。残留争いから抜け出したわけではなく、何かを成し遂げたわけでもないのに1勝の喜びが大きすぎて、勝つために必要なことを次の試合でおろそかにしてしまう。そういう甘さがここ4年、降格争いをしている原因だと思っていたし、今回も出たなって思いました」

勝利に一喜一憂し、勝つために必要な大事なことを持続できない。ぬるま湯体質のチームにいかに良好なプレッシャーをかけていけるか。酒井は、主軸としてプレーしているルイス・ホルトビー、キリアコス・パパドプーロス、メルギブ・マフライ、ニコライ・ミュラーと「五人組」をつくり、合議してチームを導いていくことを決めた。

「僕らが大事にしたのは、勝った試合でどういう部分が良かったのか、うまくいったのかということ。負けた時は、あいつのせいでと言いがちだけど、それじゃ先につながらない。自分たちの良さが出た時は勝てたし、可能性が感じられた。だから、レギュラーの選手が同じ考えを共有して、その選手の近くにいる選手に声をかけていけば5人が6,7人と仲間が増えていく。その方が効率よく自分たちの良さや強みを出していける。それをブレずに繰り返すことで不安定が安定に変わっていく。そう信じて、リカバリーの後とかにピッチに座ってよく話をしました」

家族と友人の支え

2017年4月に入り、リーグ戦が佳境に入るとチームは下降線をたどり始めた。残留争いの一番重要な時期に勝ち点が奪えない。4月は2勝4敗と厳しい結果に終わり、5月の残り3試合で残留か降格かが決まることになった。

5月、マインツ戦に引き分けた。(写真:アフロ)

「この頃は何度も心が折れそうになりました。日本人は規律とかチームの和を大事にすることを自然とできるけど、ドイツは個人主義なのでグループとしての協調性が出にくいんです。大事な時期なのにひとつになれていないし、モチベーションが落ちて勝手なプレーをする選手もいる。本当に信じられないって友人とかにブチまけていました」

その時、酒井の支えになっていたのが家族であり、友人たちだ。4月は家族が帰国していたが毎日、妻や娘たちと連絡を取り、会話からエネルギーをもらった。また、シュツットガルト時代の通訳には家族が帰国した後、自宅に滞在してもらい、生活面のサポートや愚痴を聞いたりしてもらっていた。

日本代表のチームメイトである岡崎慎司が「高徳、大丈夫か」と連絡をくれたり、清武弘嗣も「大丈夫っしょ」と元気づけてくれたという。

「でも、なんか心が荒んでいました。チームメイトが声かけてくれたりしたけど、心の中ではキャプテンの本当のつらさや痛みはやっている自分にしか分からないと思っていた。それを分かろうとされることが逆に気に障る感じになってイライラしていました」

酒井は、最終決戦を前にギリギリのところまで追いつめられていたのだ。

残留後の食事会に行かなかった理由

5月、マインツ、シャルケに引き分け、いよいよ最終節を残すのみになった。

最後のヴォルフスブルク戦、残留を決めるには勝利が絶対条件だった。酒井は闘志をむき出しにしてプレーした。吠え、叱咤し、その姿は鬼気迫るものがあった。

「最後の試合は、内容がいいとか悪いとか関係なく、とにかく勝ちたかった。HSVは過去降格の歴史がないけど、降格した時のチームのキャプテンが日本人というのは自分のプライドが許さないし、屈辱的。それは絶対に避けたかった。試合は勝ちたい気持ちが強すぎたせいか、いつもよりもボールを蹴ったりして周囲の選手に『おいっ』って怒られたけど、関係ない。『おまえらも根性見せて戦え』って言い返していたし、ほんと必死だった。終了間際に点が入った時はうれしかった。それからは死ぬ気で守っていた。試合内容は最悪だったけど、勝ちたい気持ちはそのシーズンで一番示せたと思います」

残留を決めた時、思わずガッツポーズが出た(写真:アフロ)

HSVの勝利を告げる笛が鳴ると、酒井はチームスタッフと抱き合って涙を流した。ロッカーでは選手たちが残留の歓喜を叫んでいたが、酒井は完全に脱力した状態で、ただひとり泣いていたという。

「泣いたのはつらかった過去を思い出したのではなく、この試合で全部出し切って、すべてをさらけ出して勝ったから。そうしたら自然と涙が出てきて、止まらなかった」

試合後、残留を祝う食事会が開かれた。

キャプテンなら率先して行くのが普通だが、その場に酒井の姿はなかった。

「みんなに誘われていたんですけど、ヘロヘロに疲れてそんな元気がなかったし、みんなが喜ぶ姿を見ると泣けてくるんです。僕は涙もろいタイプじゃないですけど、それで酒が入ったら号泣してしまうかもしれない。それだけは避けたかった(苦笑)。で、行かなかったら『キャプテンが来ないなんてありえない』って連絡が来て、それでみんなに感謝の気持ちを伝えました」

酒井はクラブのチャットにこう書き綴った。

「今日は、行けなくてごめん。でも、みんなには本当に感謝している。みんなの手助けがあったから残留ができた。自分ひとりだけで成し遂げることはできなかった。ほんとうにありがとう。Ich liebe euch(みんな、愛しているよ)」

すると、チームメイトがハートマークをつけて返信してくれた。酒井の感謝の気持ちと仲間への思いがみんなに響いてくれたようでうれしかった。

キャプテンへの思い

ハンブルガーSVは14位に滑り込み、53年間、一度も降格したことがないスタジアムの時計の針をまた先に進めることができた。

「ほんと、めちゃくちゃ疲れた1年でした。試合が終わった後、感情がゼロになるというか、真っ白になってしまった。その時、あーほんとに自分はしんどかったんだなぁって思いました。でも、得るものも大きかった。100%の力を出して戦うことはできるけど、最終戦のように120%の力を出してプレーするのって難しい。何か大事なことがかかったり、自分の今後に大きな影響を与えるかもしれない何かがかかっていないと120%を出す状況にはいかない。今回、メンタリティとモチベーションをそこに近づけていけるような経験ができたことは今シーズンと最終戦の大きな収穫です」

海外組として招集されるようになっている(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

最後にひとつ、聞きたいことがあった。

――また、キャプテンやりたいですか。

酒井は、ちょっと間を置いた。

「いやー、どうかなぁ」

小さく顔を振り、苦笑した。

「終わった時はこんなにしんどい思いをするんだったらもういいやって思ったけど、キャプテンって注目されるし、カッコいいし、誇り高いじゃないですか。それにキャプテンマークを巻いて試合をすると、やらないといけないっていうポジティブなパワーをもらえたんです。だから、キャプテンでなくなるのは後ろ髪ひかれるみたいでさびしい気がします。キャプテンであろうとなかろうとチームに貢献するスタンスは変わらないですが、昨年以上に難しくて最悪なシーズンはないと思うし、今年は良くしていけるイメージしかない。だから、まぁイエスですね(笑)」

撮影:梁川剛


酒井高徳(さかいごうとく)
1991年3月14日、アメリカ・ニューヨーク市生まれ。10歳でサッカーを始め、アルビレックス新潟ユースを経て、2009年にトップに昇格。2011年、VfBシュトゥットガルトに期限付き移籍をし、2013年に完全移籍。2015年にハンブルガーSVに完全移籍を果たし、2016年11月にキャプテンに就任。残留争いを勝ち抜き、1部残留を果たした。左右のサイドバック、ボランチをこなせるポリバレント能力を持ち、日本代表のハリルホジッチ監督の信頼も厚い。2018年ロシアW杯に向け、日本代表に欠かせない選手になった。

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