「ここだ!ここに出せ!」
グラウンドには、いつもひたすらボールを呼び込む野太い声が響き渡る。見据える先は、ゴールのみ。獰猛に相手に噛みつき、常に得点を狙う。それが、サッカーファンが抱くこの男のイメージだ。
ここ数年、その歩みは順調そのものに見えた。
しかし、その陰ではふつふつと沸く複雑な感情を、人知れず静かに抱えていた。
それこそが、大久保嘉人のもう一つの素顔であった。(文=スポーツライター西川結城、写真=新井賢一/Yahoo!ニュース編集部)
2017年1月1日。鹿島アントラーズとの天皇杯決勝に敗れ、大久保は涙とともに川崎フロンターレのユニフォームを脱いだ。それから数週間後。彼は新天地となるFC東京への合流を控え、すでにせわしなく動き始めていた。この日も早朝から外出。自宅近くのコンビニでブラックコーヒーを買い込み、首都高を北上していった。
「今年のオフはたった10日間ぐらい。こんなに短かったのは初めてだよ。そのオフも家族旅行で子供と遊んですぐに終わった。父親は疲れるよ」
短い休暇に少々愚痴もこぼしたが、日に焼けた顔からは笑みがこぼれた。先日、彼の三男が初めて一人でおつかいに行く正月特番が放送され、息子の成長に思わず泣いてしまう父の姿が反響を呼んだ。大久保は家族思いで子煩悩なパパである。
フロンターレには4年間在籍した。2013年から始まった、大久保そして一家にとって初の関東での生活。九州出身で、これまで国内では関西でのプレーばかりだった。スペイン、ドイツと海外経験もあったが、当時関東でプレーすることになった自身について「全然想像つかないね」と照れながら話していたのが懐かしい。
「孤立してしまう」大久保の違和感
振り返ってみれば、この4年は最高の時間となった。移籍1年目の2013年から3年連続でJ1リーグ得点王に輝いた。フロンターレ在籍中に挙げたリーグ戦得点数は82点。1シーズン当たり平均20点を超えるハイペースだった。J1通算171点という数字も、歴代トップの記録である。
家族も土地に馴染み、3人の子供たちは近所の友だちと公園でサッカーに興じる日々。練習後の大久保がそこに飛び入り参加することもある。
唯一、4年間で足りなかったのはチームタイトルだけだった。とはいえ、誰が見てもフロンターレでの大久保は順風満帆だった。
そんな周囲の見方を他所に、今回彼はFC東京への移籍を決断した。
「普通じゃ、絶対に移籍しないやろうね。チームメートもみんな仲良いし、サポーターも温かい。俺もフロンターレでの居心地は最高だった。間違いなく自分の中で特別なチームになった。だから移籍には子供も反対したぐらいやった。でも、そうじゃないんだよ。もちろんプロだから条件面も大事だけど、自分にしかわからない移籍を決断した大きなことが、一つあった」
彼の爆発的な活躍を支えてきた、フロンターレの攻撃的なサッカー。しかし大久保は、そこに少しずつある違和感を覚えていく。
「移籍してきた時からできていた、ボールも人も前を向いていくサッカーが、最近はできなくなっていた。風間(八宏)監督のおかげで、俺たちは本当に楽しそうにサッカーをしていたでしょ。みんな前にパスを出す、人も押し上げて攻撃参加するプレーを、怖がらずにやるのがフロンターレのサッカー。ただ、徐々にできなくなっていった。『DFのマークがついていてもいいから、俺にパスを出せ』と何度言っても、出てこない。ボールが来たかと思えば、俺は味方と離れていて孤立してしまう。チーム全体が、段々ミスを怖がっていった。特に最後のシーズン(2016年)はパスが縦に入らずにサイドに流れることが多かった。よく、俺はゴール前だけで勝負するFWと見られるけど、そうじゃない。体もデカくないし、サイドからのボールに合わせる形だけでは厳しいよ」
攻撃的で、観ている人も魅了すると言われてきたフロンターレのサッカー。しかし、実際にプレーしていた大久保は、チーム内で少しずつズレが生じていく感覚を見逃すことはできなかった。
「正直、最後の方は難しかった。良かった時のフロンターレのサッカーができていたら、俺はチームに残っていたと思う。良い選手というのは、みんな細かいところにこだわって、先を予測、考えてプレーしているもの。でも最近は親しい人からはこう言われることが多かった。『調子落とした?』とか『やり方変わった?』とか。それが何より、自分の中でものすごく残念やった」
このままチームに居続ければ、かつての理想ばかりを求めてしまう。風間監督が体制5年を区切りに昨年限りで退任したのと同じように、大久保自身も再び変化が必要なタイミングなのかもしれないと考えた。
「FC東京では、フロンターレみたいなサッカーは絶対にできないと思う。チームも監督も考え方が違う。でも、できないとわかった上で、新たなところでプレーすれば気持ちは切り替わる。だから、移籍を選んだ」
これまではっきりとは語られてこなかった、移籍の背景。大久保が明かしたのは、選手として絶対に譲れないこだわりだった。フロンターレでは幸せな日々を過ごしていた。しかし、プレーへのこだわりや執着心が、徐々にジレンマを生んでしまったのだった。
「中村憲剛ナシで大丈夫か」という問題
今回の移籍に際し、大久保が多くの人から投げかけられた、ある疑問があるという。
『次のチームには中村憲剛のようなパサーがいない。それでも大丈夫か?』
大久保は、「俺のフロンターレでの活躍には憲剛さんの存在が不可欠だった」と一つ歳上のMFに感謝している。中村は、パスセンスに長けた日本を代表する技巧派MF。昨年にはJ1リーグの最優秀選手にも選出された実力を持つ。大久保とは日本代表の一員として、2010年W杯でともにプレー。フロンターレでも高いテクニックを持つ二人の融合が、チーム最大の武器となっていた。
ただ一方で、世間が抱くイメージに対して、大久保は鋭く牽制した。
「憲剛さんといえば、昔からスルーパスという印象をみんな持っている。だから俺もスルーパスに反応してゴールを獲ってきたと思われている。でも、試合をよく観ていたらわかると思う。俺が憲剛さんからの一本のパスで抜け出してゴールしたシーンなんて数えるほど。だって、俺はスペースに抜けてスピードを生かして決めるタイプじゃない。
アテネ五輪(2004年)の時代とかに見せていた、強引にでもゴールに向かっていくようなプレーを、今もみんな俺のイメージとして持っている。新聞とかでも『貪欲にゴールに向かう』とか、そう書かれるから。でも、今の俺は違うから」
通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれ、車は遅々として進まない。一方、車内の大久保の語気は、どんどん加速度を増す。正直、周りの見方に対してここまで熱を帯びながら異を唱えるとは、想像もしていなかった。
自分のプレーを、価値を、きっちり評価してほしい。放たれる言葉には、そんな切なる思いが詰まっていた。
「憲剛さんとはむしろ細かいところでテンポよくパスをつないで、相手DFを翻弄していくコンビだった。だからベストパートナーになれた。正直、俺が生きる上で一発のスルーパスを狙うパサーがいるかどうかは、問題じゃない。だから、この間の天皇杯のFC東京戦なんかは、俺があえてどんどんスルーパスを出す側に回った。あれでFC東京のファンも少しはわかったかもしれない。パサーがいなければ、俺がやる。チャンスメイカーがいないなら、俺がやる。その上で、点も取るよ」
人知れず抱えてきた葛藤や、周囲が持つ固定観念に対する主張――。それは、普段明るく振る舞う姿からは決してわからない、大久保の本音だった。
彼には、絵に描いたような九州男児といった一面がある。気にならないものはとことん気にならず、豪快な部分は豪快。ただ、決して全てにおいて大胆に振る舞える人間ではない。繊細さも併せ持つがゆえに、自分のこだわりをとことん大切にする。強さの印象に隠れたそこもまた、大久保嘉人という男の魅力である。そしてサッカーこそが、彼にとって細部にまで意識を傾ける最たるもの。ただ勢いでプレーするような考えなど、入る隙間も余地もない。
天皇杯、その舞台裏で
一つ、面白いエピソードを明かしてくれた。
昨年12月24日に行われた天皇杯準々決勝、FC東京とフロンターレの一戦。当時まだ移籍が正式発表されていなかったが、もはや大久保のFC東京入りは報道などで既成事実と化していた。
そんな中、試合後に彼はある行動に出ていた。
「フロンターレの勝利は内容を見れば順当だった。あの試合の自分たちは久しぶりに手応えのあるサッカーができた。でも、試合が終わってから、FC東京のことも気になった。だからすぐに森重(真人)をつかまえて話した。『お前らは選手一人ひとりの距離が遠すぎる。みんな孤立している。だから俺らは楽にプレーできた。もっと近く、近くでプレーしないと。パスを出して動く、出して動く。全員がその単純なことを意識するだけでも、だいぶ変わるぞ』と伝えた。
あとは俺のマークについてきたボランチの田邉(草民)にも、試合後に忠告した。俺がパスを出してゴールに向かって走っていると、あいつは横で並走するだけだった。『あんな守備の仕方だったら、もし俺にパスが入っていたらゴールを決めていた。もっと俺の前に立ってフタをしないと。ボランチだったらそこまで下がってスペースを埋めないといかん!』と言ったよ。移籍前からこれだけ話していたから、みんな笑って聞いていたけど(笑)」
よく、FWは独善的であればあるほど結果を出せると言われる。得点を奪うことだけを考え、猪突猛進、ゴールに迫る姿勢だ。
大久保がこの4年で挙げた驚異的な得点数。確かにそれが、豪快な“点取り屋”というイメージを強調しているところがある。
ゴールにだけ喜びを感じ、時には相手にかみつき、吠える。今では完全に染み付いた、ステレオタイプなイメージ。しかしそれだけが、彼ではない。
「もっと俺のプレーを見て欲しい」
何よりも味方との連係を重視し、チームの至る所に目を配り、戦術的な指示やアドバイスを送る。テクニックを生かしてボールキープし、パスで好機も演出する。独りよがりなFW像とは、かけ離れている。すべてをこなし、最後にゴールネットを揺らす。それが、大久保嘉人の美学である。
だからこそ、あらためてこう吐露した。
「もっともっと、本当の俺のプレーを見て欲しい」――
新たな戦いの場に込めた、心からの叫びだった。決心の末に青と赤のユニフォームに袖を通した今、35歳になってもなお、大久保は飽くなき意欲に満ちあふれている。
「あれだけ大好きなフロンターレを出る決断をしたんだから、俺はFC東京でさらに活躍しないと。そのためには、パスもシュートもキープも何でもやってやろうと思う。だって、ルーニーもメッシもトッティも、みんなそう。味方のためにもプレーして、自分も輝く。俺だって、ゴール前だけで勝負して、得点王を獲ってきたわけやないんやから」