松園多聞

ボクシング世界王者の肉体を作る。異色コーチのこだわりと信条

2/3(金) 9:40 配信

朝焼けの町を走り、ロープを飛び、息が切れるまでサンドバッグを叩き、メディシンボールで腹筋を鍛え上げる。映画「ロッキー」や漫画「あしたのジョー」の世界は、現代も大きくは変わらない。ボクシングのトレーニングと言えばロードワークやグローブを着けてのジムワークが中心である。

しかし近年になってスポーツ科学に基づいたフィジカルトレーニングを取り入れる風潮が強くなってきた。プロボクシングの名門・帝拳ジムと契約する中村正彦ストレングス&コンディショニングコーチは今、その先導役を担っていると言っていい。WBC世界バンタム級王者・山中慎介をはじめジムのトップ選手たちの「ボディーメーク」を担当している。

山中の代名詞と言えば「神の左」と称される左ストレートであり、「パワー」「スピード」「伸び」を〝神の領域〟まで高めるアシストをしてきた。ボクシング界の常識にとらわれない、そのこだわりと信条に迫る。(スポーツライター・二宮寿朗/Yahoo!ニュース編集部)

撮影:松園多聞

東京学芸大学大学院出身でトレーニングに科学的なアプローチを試みる中村に、帝拳ジムの本田明彦会長から「2人を見てもらいたい」と声が掛かったのは7年ほど前のことだった。以前、知人に頼まれて帝拳ジムのボクサーを一時的に指導したことはあったが、自分のような〝新参者〟にそのような要請が来るとは思ってもみなかったという。

2人とはベネズエラ人ボクサー、ホルヘ・リナレスと粟生隆寛。リナレスはWBA世界スーパーフェザー級から、粟生はWBC世界フェザー級から王座陥落して間もない時期であった。各々を担当するジムの専属トレーナーとはまた別に、フィジカルだけを専門的に受け持つことになった。

初めてリナレスを指導した際、中村は驚いた。思ったよりもはるかに体力がなく、それ以上に「体がガッチガチ」であったことに。

「ボクシングのトレーニングは90%ほど技術系であるにしても、あまりにフィジカルがないなって思いましたね。ボクサーは基本的にボクシングのトレーニングしかしていない。それに、(練習内容も)ワンパターンになっているので、一つの動きは良いとしても別の動きはできない。それによってどうしても体が硬くなってしまうんです」

ボクサーは内側に力を閉じ込めてパンチを打とうとし、また逆にパンチを受ける際も耐えようとして閉じ込める。つまり、攻撃にしても防御にしても、力みがちになる。ボクシングの技術トレーニング自体が体の硬さを助長してしまうため、まずは「ガッチガチ」を取り除く必要性を感じた。

撮影:松園多聞

グローブをつけるトレーニングの前後に、効率よく、何をやっていくか。

ストレッチや筋力トレーニングで体全体の可動域をしっかりと意識させるようにした。そして何よりも中村が着目したのが、下半身であった。パンチの発射台である下半身の専門的な筋力アップ、可動域の向上は日本ボクシング界の常識にはなかったものだった。

「上半身が硬い要因が何だろうって考えていくと、やはり体幹を含めて下半身の筋力の弱さに行きつきました。下が弱いから、上が力むと。下の小さい力を100%出そうとすると力まざるを得ないので、体幹を鍛え、下半身、股関節まわりの筋力を上げて土台をつくろうと思いました」

のちに粟生は2階級制覇を成し遂げ、リナレスは海外中心の生活に切り替えて中村の手を離れたとはいえ3階級制覇を達成している。下半身の強化が、成果につながったのだ。

そんな折、後に名世界王者となる山中慎介の依頼をジムから受けることになる。当時はまだ日本王者になって間もないころで、「線が細い」という印象であった。ただ、フィジカル的な観点から、誰よりも秀でたストロングポイントを持っていた。

「体が細すぎて筋力もありませんでした。ただ山中選手の特長は瞬間的に、最大の力を発揮できるところ。たとえば平均的な選手が100の力を1秒で出せるとして、山中選手はもっと速く出せる。筋力がないなりに瞬発的に最大の力を出せるから、倒せていました」

正しく筋力をつければ、世界に通用する一撃必倒のパンチを身につけることができる。山中に課したのも、やはり下半身の強化だった。

日頃からの入念なストレッチ、体幹トレーニング、週に一度はダンベルを持ったうえでのスクワットなどの筋力トレーニングを課した。特に意識させたのは臀部(尻)、太腿裏の筋肉である。

ロードワーク、ダッシュ、普段のジムワークで「前」の筋肉はつきやすいが、「裏」はつきにくい。攻防一体のスタイルを可能とするには、「前」と「裏」のバランスが大事になる。中村の指導によって、悩まされていた持病の腰痛も消えていったほどの効果であった。

撮影:松園多聞

「ボクサーには体重制限があるため、筋肉を大きくして体重を増やすことはできない。最小限で最大限の力を出すには、筋量は増やさず筋力を高めるしかない。そのやり方は企業秘密なんですけどね」

山中は12回行った世界タイトルマッチで実に8回のKO勝利を誇る。フィニッシュブローはいずれも「神の左」と称される左ストレートだ。昨年9月、難敵アンセルモ・モレノもぶっ倒している。下半身のパワーとスピードを拳に伝える威力もさることながら、肩まわりの可動域を意識させることによって伸びとバネも両立させた。

中村は元々、走り幅跳びの選手だった。

大学4年のうち3年間をケガで泣かされたため、「このまま終わりたくない」と陸上競技を続けるために大学院進学を選んだ。大学院2年生で自己ベスト記録を更新するなど競技にまい進する一方で、運動生理学、解剖学など勉学にも力が入った。

「トレーニングに対する体の反応とか面白くて、仕事になればという思いがありました」

1999年に大学院を卒業した後は大型フィットネスクラブでバイトをはじめ、その後パーソナルトレーニングを専門とする会社に入る。効果的かつ効率的なトレーニングに対する探究心が強くなり、32歳で独立。中村には大きな目標があった。

「動作解析などのデータ収集、研究というものは、日本の場合、研究者がやるものであってトレーナーがやっているわけではありません。研究と現場がうまく橋渡しできていない現状もあります。研究成果を現場に素早く反映させ、アスリートにケガをさせることなく最短距離で効果を発揮できるトレーニングをやっていきたいという思いがありました」

その目標をかなえるべく中村は昨夏、東京・外苑前にジム「B.E.A.T」をプロデュースした。ハイスピードカメラ、モーションキャプチャーなどを設置した3次元動作解析システムの導入は、国内の一般的なジムでは初めての試みだという。週に一度、帝拳ジムでボクサーをチェックしつつ、東京ヤクルトスワローズの小川泰弘をはじめ多くのアスリートを顧客に抱えている。

提供:B.E.A.T

より科学的なアプローチが可能になり、山中も一度、「B.E.A.T」に招いて動作解析によるチェックを行っている。

「垂直跳びや片足での立ち幅跳びを解析することで、ケガにつながる動きのクセがないかをチェックします。しかし山中選手の場合はそのクセがまったくない。それに筋力、柔軟性、動作の質……すべて高いレベルにあることがデータで実証されました」

ケガをさせないボディーメークも中村の信条。これまで指導してきたことの正当性が動作解析とデータにも示されていた。

中村は「新しき」を追求しながらも、「古き良き」ボクシングの風習を否定してはいない。「負荷をかけずに1000回もやる腹筋は、効率を考えればナンセンス」と語る一方で「メンタルを鍛えるためと言えば一理ある」と理解を示す。自分のアプローチは、あくまで従来のやり方のプラスアルファだというスタンスを崩さない。

撮影:松園多聞

山中のジムの先輩にあたる元WBC世界スーパーバンタム級王者、西岡利晃(2012年11月に引退)はこだわりが強く、中村が提案したトレーニングでも彼自身が納得しなければやらないタイプだったという。中村は西岡の姿勢を尊重しつつも、必要性を訴えて納得させていった。西岡が成果を感じれば、信頼も深まっていく。そして中村は、彼から思いがけないリクエストを受けることになる。

「西岡選手が目標にしていたラスベガスで試合をやることになって、『中村さん、チャンピオンベルトを持って入場してくれませんか』って。初めてリングに入ったのがラスベガス……とても素晴らしい経験でした」

いつしか中村がベルトを高く掲げて、王者の後ろから入場することは帝拳ジムの定番になった。西岡、粟生、そして山中……。それは何よりも信頼の証である。

中村はほかにも帝拳ジムで世界王者となった下田昭文、三浦隆司、五十嵐俊幸、木村悠を、ボディーメークで支えてきた。

「本田会長が僕みたいな外部の人間をチームにいれてくれたこと自体、ボクシング界では奇跡だと思うんです。僕としてはすごくやりがいを感じています」

科学と伝統の融合。

日本ボクシングの常識を変える中村の戦いは、これからも続いていく。

中村正彦

(なかむら・まさひこ)1974年、岡山県生まれ。東京学芸大学大学院卒業後、パーソナルトレーニングを専門とする。会社勤務を経て32歳で独立。科学的なアプローチによるフィジカルトレーニングや運動生理学、解剖学に基づいたトレーニング理論には定評があり、2009年からボクシングの名門・帝拳ジムと契約してWBC世界バンタム級王者・山中慎介をはじめトップボクサーの「ボディーメーク」を担当している。昨夏、東京・外苑前にオープンしたジム「B.E.A.T」をプロデュース。国内の一般的なジムで初の試みとなる3次元動作解析システムの導入は、業界でも注目される。

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