説田浩之

卓球・伊藤美誠、躍進を支えたコーチと記した80冊のノート

1/28(土) 8:06 配信

日本の卓球界は、10代の活躍がめざましい。

とりわけ伊藤美誠は今16歳ながら小学生時代から多くのタイトルを手にしてきており、リオ五輪団体戦の銅メダルを獲得。今や世界8位にランキングされている。

その伊藤と4歳の時から一緒に練習し、中学からは専属コーチとしてサポートしてきたのが松﨑太佑である。動画で年間400試合を見て分析し、80冊のノートに対戦相手の特徴や練習の内容、体調、メンタル面などあらゆることを書き連ね、試合に勝つためにコーチングをしてきた。松﨑の必勝ツールとはどういうものなのか。ここまでどのように伊藤をレベルアップさせてきたのか。若き指導者の“やり方”を紐解く。(文=ライター佐藤俊、写真=説田浩之/Yahoo!ニュース編集部)

無給で始めたコーチ業

運命的な出会いは、伊藤美誠が4歳の頃だった。

その時、松﨑太佑は、両親に頼まれて弟に卓球を教えるために豊田町卓球スポーツ少年団(静岡県磐田市)でコーチをしていた。同スポーツ少年団は小1が最低学年だが、2歳から卓球を始めていた伊藤はいきなり3、4年生のクラスに入って練習をスタートさせた。

そのグループを担当していたのが松﨑だった。

「最初は、本当に小さな普通の子でものすごい才能があるって感じではなかったんです」

しかし、飛び級で入った伊藤は、高い技術をいかんなく発揮。松﨑とは練習の時に打ち合うようになり、7歳の時、全日本卓球選手権のバンビの部(小学2年生以下)で優勝した。

全国大会で優勝するということは並大抵のことではない。そういうレベルの子はどんな練習をしているのか。松﨑は伊藤に少年団以外での練習について質問をしたという。

「少年団の練習は週2回で1回が2時間程度。さらに家に卓球台があるので平日は4時間、休日は体育館にいくこともあるが1日8、9時間は練習していると言っていました。それだけ努力をすればうまくなるし、お母さんも美誠も卓球に本気なんだなって思いました」

伊藤の姿は、福原愛の成長プロセスとよく似ている。

家に卓球台を置き、母親とともに3歳から毎日、厳しい練習を重ね、日本のトップランナーになった。

松﨑は、福原の後を追うように世界を目指す伊藤の練習パートナーになり、自宅でも一緒に練習するようになった。

そんな松﨑に大きな転機が訪れたのは、伊藤が中学校に進学する直前だった。

すでに日本のジュニアのトップレベルにあった伊藤を母は大阪の強豪中学校かクラブチームに置き、レベルを向上させたいと考えていた。最終的に大阪に行くことが決定したが、そこで専属コーチとしてのオファーを受けたのである。

「最初はすごく迷いましたね。僕は、その時、地元静岡のLEDの検査装置を開発製造する会社の社員として働き、安定した生活を送っていた。コーチのオファーをもらったとはいえ、基本は無給。貯金を崩して2年間はやっていけるけど、それ以上になるとスポンサーなどがつかないと生活できなくなる。そういう怖さがあったんですが卓球が大好きですし、コーチという立場で卓球に長くかかわれる。こんなチャンスは2度とないと思って決断をしました。ただ、僕はコーチとして何の実績もないですし、選手時代にすごい成績を残しているわけじゃない。普通、優秀な選手には中国人のコーチがつくので僕は非常に珍しかったんです。だから、『最初の1年間で結果が出なかったらクビにしてください』と美誠のお母さんに伝えてコーチを始めました」

80冊のノート

松﨑は、コーチとして特別な練習のメソッドやカリキュラムを持っているわけではなかった。つい最近まで少年団で子供たち相手に教えていたのだ。いきなり高度な練習メソッドがポンと出てくるわけがない。自分なりの練習方法を確立するキッカケになったのが中1の時、伊藤が出場したコリアオープンというワールドツアーだった。

「僕は、卓球の動画を見るのが大好きでトップレベルの選手の試合を1日最低1本、年間400試合以上を見ていたんです。コリアオープンで実際の選手はどんなものか、自費で見に行ったんですが、たしかに選手はすごい。でも、動画で見慣れていたせいか、逆に『こんなもんかぁ』って感じたんです。これなら試合の時の反省と復習、予習していけば右肩上がりで強くなるって思いました。それから勝った試合で得点になった良かったところをより磨いたり、戦術的に狙われて対応できなくなって失点したところを練習する。そうした実戦を活かした練習プログラムを作っていったんです」

その際、同時に始めたのが「対策ノート」と「練習ノート」だった。

それがのちに伊藤を世界トップ10入りするレベルの選手に押し上げた重要なツールになるのだが、始めた理由は「忘れないためのメモ書きの延長線」だったという。

対策ノートは、対戦相手の動画を見て、相手のクセや弱点、準備すべき内容など二人がそれぞれ思ったことを書いていく。最初は二人で一緒に動画を見ていたので話をすることで満足し、細かいことを書き忘れてしまうことがあった。そのため松﨑が見開きの左ページに書き、右ページに伊藤が書くようにした。それぞれが感じたことをストレートに書くようになり、情報量が多くなった。それをお互いに共有して練習を組み立てたり、大会の時は再確認して試合に入るようにした。

練習ノートには、体調面、メンタル面に加え、普段の練習内容と練習で気を付けること、また気が付いたことを書く。たとえば小学6年まではスマッシュ系、ドライブ系が得意だったが、それだけでは世界で勝てないのでノートに「回転、回転」と書き、練習で回転を意識するようにした。さらに試合を見て得た戦術的なことを詳細に書き留めている。試合中にノートを取っておくと次の試合でまた同じ相手と対戦する時、どういう戦術で点が取れたのかを容易に思い出すことができるし、すぐに対応できるからだ。

年間400本の動画分析

ただし、それはよくイメトレなどで使用しがちな良いシーンだけを切り取って編集されたものではない。

「大会前は、今度対戦する選手に勝った試合、負けた試合の動画を見ますし、美誠にも見せます。その良い場面、悪い場面を切り取って見せるのではなく、1試合すべてです。試合には流れがあるので、それも含めて見てほしいので」

ノートと動画でしっかりと復習し、準備する。当たり前のことだが、こうした地道な作業が試合の時に成果となって表れてくる。実際、ノートと動画で幾多の厳しい試合を勝つことができた。香港で行われたリオ五輪アジア予選(2106年4月)の準々決勝で世界ランク2位の丁寧(中国)に勝利した試合も、まさにそうだった。

「その試合の前のクウェートオープンで丁寧に負けていたんですけど、内容が良くて勝てるチャンスがあったんです。その試合の得点になったプレーなどを見直して、その試合で良かったところを練習して最後に試合の動画を見て、臨みました。その対策がハマって勝つことができたんです」

その時は「してやったり」と心の中で呟いたという。

もちろん、松﨑の必勝ツールが「ハマらない」試合もある。

リオ五輪での団体戦1回戦ポーランドの選手は1度も対戦経験がなかったが、試合前に対戦相手のプレーとその動画からクセをみつけて、アドバイスした。2回戦では欧州王者のオランダが勝ち上がってくると思い、入念に準備していたがオーストリアになり、慌てたこともあった。また、準決勝のドイツとの1回戦では狙い通り相手の弱点をつき、勝てた試合だったが相手が分析を超えた予想外の粘りを見せ、敗れてしまった。

「五輪だからという特別な感じはしなかったのですが、やはり五輪は怖いなって思いました。こっちのペースになり、優位に試合を進めて勝てたと思っても最後にひっくり返されてしまう。コーチとして貴重な経験をすることができました」

試合では想定外のことが起こる場合があるし、分析が結果につながらない時もある。しかし、松﨑は決して準備を怠らない。試合の趨勢は情報分析を事前にどれだけやれるかで決まると考えているからだ。

「僕は、卓球において情報分析は非常に重要だと考えています。たとえば実力がトントンの状態だと最後に勝利を決めるのは、事前準備をどのくらいやれたかというところだと思うんです。それにノートを見て、動画を見て、分析し切れずに負けてしまうと絶対に後悔する。勝負の世界でそういう後悔だけはしたくない。だから、準備不足がないようにやれることを全部やります」

今でも卓球の動画を1日1本は見る。1年前に勝った選手でも1年後、全く別人のようになっていることがあるので、常に追いかけていかないといけないので終わりがない。

ノートは80冊を超え、海外に持っていくには重量オーバーで超過料金を取られるほどになってしまった。今はパソコンに切り替えたが、試合ではいまだにノートを開く。フリーズして、書いたデータが消失する可能性がゼロではないからだ。勝つためのヒントを1行でも逃さない。それが専属コーチを生業としている松﨑の流儀だ。

伊藤に見えた意識の変化

今は伊藤の自主性を重んじている。中1の時は松﨑が練習メニューの8割を決めていたが、現在は伊藤が8割を決めている。最近は松﨑がやってほしいと思う練習を伊藤がやるようになり、「感じるものがシンクロしてきました」という。だが、分かっていないと感じた時は何度も口に出して言う。伊藤から「うるさい!」と言われるまで言い続ける。また、長く一緒にいれば衝突だって起きる。お互いにズバズバ言い合うが、5分後にはスッキリして普通に話ができる。

「引きずらないのがお互いの良さです」と松﨑は笑う。

そんな師弟関係だが昨年、二人でひとつ山を越えられた経験をしたという。

昨年の4月、伊藤は団体戦のメンバーとしてリオ五輪に出場することが決まった。その頃、日本はリオ五輪団体戦のシード権争いをしていた。第3シードになってしまうと準決勝で中国と対戦することになる。金メダルを目指す日本にとって準決勝で中国との対戦は回避したい。第2シードを取るためにはワールドツアーで伊藤が勝利を重ねることが必要だったのだが、スロベニアオープンのベスト16でシンガポールのツォン・ジエンに敗れてしまった。普段は敗れても松﨑は怒ることはしない。伊藤の話すことに耳を傾けて必要な助言をする程度だが、その時は違った。

「いい内容だったけど、負けちゃった」

松﨑は、伊藤の言葉に鋭く反応した。

「美誠が『内容』っていった瞬間、意識がズレているなと思いました。日本がシード権争いをしている状況では内容どうこうよりもとにかく試合に勝たないといけない。それを理解していない発言だった。それで『今はそういう時期じゃないだろ』って怒って、1時間ぐらいベンチに座って話をしました」

それから13日後のジャパンオープンのベスト32で再びツォン・ジエンと対戦することになった。伊藤は切り替えが早い方だが調子そのものが良くない。だが、第2シードを獲得するためには勝たなければならず、松﨑にもプレッシャーがかかっていた。

「3-3になって、第7ゲームが0-3になったんです。そこでタイムを取って今日は美誠はこういうプレーがいいからこれを続けよう。得点したシーンを思い出して攻めていこうというアドバイスをしました。そこから試合をひっくり返して11-7で取り、ゲームカウント4-3で勝ったんです。絶対に勝たないといけない試合でかなり追い込まれましたが、ひとつのタイム、アドバイスで流れを変えることができた。調子が悪いなりにシード権獲得のため、勝ちにこだわって結果を出した。スロベニアの大会から2週間弱でしたが、美誠の意識が変わったのを感じることができてすごくうれしかったです」

専属コーチとしてのポリシー

初めて伊藤を見てから、もう12年が経過した。

伊藤はリオ五輪の団体戦で銅メダル獲得に貢献するなど日本を代表する選手へと成長し、これから世界のトップを狙おうとしている。若手のホープとして2020年東京五輪での活躍を期待する声も非常に高い。

「いろいろ期待されるのはうれしいことです。でも、僕は先を見ないタイプ。それは美誠も同じですね。目の前の試合に勝つために集中して、大会で優勝できなければ負けた原因を突き止め、練習に取り入れていく。同じ失点を繰り返したら違う練習を考える。それを繰り返していくだけ。その積み重ねが将来につながっていくと思っています」

強くなるための即効薬などない。一枚一枚の努力の積み重ねが選手を強くする。だから今日も試合会場や練習場でノートに何かを書き連ねる。

そして、松﨑には専属コーチを始めた時から大事にしているポリシーがある。

「コーチとして必要ないと感じたらいつ切ってもらってもかまわない」

伊藤美誠には、そう伝えている。

その潔さと責任感がなければ、選手の競技人生を左右するコーチなどできないのだ。

松﨑太佑

(まつざきたいすけ)
静岡県出身。静岡理工科大学在学中から静岡県磐田市の豊田町卓球スポーツ少年団でコーチとなり、伊藤美誠が4歳の時に出会う。LEDの検査装置を開発製造する会社で勤務しながらコーチを続けていたが、伊藤が大阪に拠点を移す際に専属コーチとしてのオファーを受け、脱サラを決意。動画を利用し、優れた分析力と鋭い観察力で独自の練習メソッドを築き、伊藤を世界トップ10入りする選手に育てた。現在は、女子ナショナルチーム強化スタッフ伊藤美誠担当。

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