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安川啓太

箱根3連覇へ 常勝・青学駅伝部、“肉体改造請負人”の哲学

2016/12/21(水) 12:25 配信

オリジナル

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである。

青山学院大学陸上部は、2015年1月に箱根駅伝初優勝を果たすと10月の出雲駅伝に勝ち、2016年は箱根2連覇を達成。4月にスタートした新しいチームは、すでに出雲駅伝を制し、全日本大学駅伝を初制覇するなど2冠を達成。史上4校目となる3冠達成、そして2017年箱根3連覇を目指している。

その強さゆえに他大学から羨望の眼差しで見られている青学だが、そのチームをここまで強化し、サポートしてきたのがスポーツモチベーション・フィジカルトレーナーチームである。そのチーフトレーナーである佐藤基之に話を聞いた。チームに携わって、まだ3年弱。いかに“史上最強の青学”を作り上げたのか。(ライター佐藤俊/Yahoo!ニュース編集部)

撮影:安川啓太

走りにつながらないトレーニング

青山学院大学陸上部は、練習前後のケアに時間をかける。合宿では選手は集合時間の30~45分前から各部屋でバランスボールなどを使って走るための準備を始める。全員集合するとトレーニングが始まり、さらに関節可動域を広げて体を温め、ようやく練習がスタートする。

終わると軽くジョグをしてクールダウンし、アイシング。その後、マットを敷いてゴムを使って約20分ほどストレッチをする。不安箇所がある選手は部屋でケアを続ける。トータルで90分以上、ケアがつづくのだ。

「これだけ時間をかける大学は他にはないでしょうね。それが青学の強さでもあると思います。今では全選手が当たり前のようにやっていますが最初の頃は、私たちの伝えたいことが理解してもらえず、なかなか大変でした」

佐藤がチーフとして青学陸上部をサポートするようになったのは2014年3月、箱根駅伝初優勝の9ヵ月前のことだ。当時の青学は2012年に出雲駅伝で初タイトルを獲ったものの実力的にも意識的も箱根駅伝に勝つだけの力が足りなかった。そこで上司の中野ジェームス修一が主宰するフィジカルとメンタルを指導するスポ-ツモチベ-ションに「走ること以外のトレーニングを教えてほしい」というオファーが原晋監督からあり、二人で箱根駅伝優勝を目指す大学がどんな質の高い練習をしているのかを見にいった。

だが、期待感はすぐに吹き飛んだ。

「選手たちは、フィジカルトレーナーがイメージするようなウォーミングアップや、練習後のクールダウンを行っていなかった。筋トレも腹筋、背筋、手押し車など古典的なものばかり。体幹も長友選手の体幹トレーニングのようなメニューをやっているように見えたんですが、それはサッカー選手に必要な体幹で陸上(長距離)に特化したメニューではなかった。青学がやっていたトレーニングは走ることに結びにくい内容だった。これが優勝を狙っているチームの練習なのかというのが率直な印象でした」

夏季選考合宿では、ほぼべた付きで選手のコンディション調整に携わった

上級生の抵抗

本格的な指導をする前に陸上部マネージャーに事務所に隔週で来てもらい、研修を行なった。そこで中野と佐藤は3本の柱を彼らに提示した。

1.動的ストレッチ(練習前)
2.静的ストレッチ(練習後)
3.コア(体幹)

動的ストレッチは刺激を入れ、走るために必要な関節や筋肉がスムーズに動くようにする。

静的ストレッチは筋肉を一定時間伸ばして血流を促進させることで疲労回復や障害予防に効果がある。

コアトレは、体幹の深層部にある筋肉(インナーマッスル)の腹横筋、多裂筋、横隔膜、骨盤底筋群を使えるように鍛え、それを習得することで体幹を安定させ、無駄のない効率的な走りを実現する。

これらをマネージャー同士で実践してもらい、大学で選手に教えた。マネージャーは一生懸命に取り組んだが、しかし部内では反発も起きた。

「マネージャーが大学に戻ってトレーニングをすると、『これ本当にいいんですか』って声が上がったり、中には『何で今さら変えるの』と露骨にトレーニングを拒否する選手もいたようです。ただ、その時のマネージャーがすごく熱心だったんです。部内のそういう声に対して『とにかく強くなるにはこれを信じてやればいいんだよ』とみんなに言って引っ張ってくれた。それに積極的にコアトレをやっている子に効果が出始めたんです」

夏合宿の時、トレーニングに取り組んだ選手、やらない選手の間に差が出てきた。特にコアを習得できた選手は頭がブレず、腰が反ったり、お尻が落ちたりせず、疲れた時も姿勢を維持して走れていた。決定的だったのはトレーニングをした選手のタイムが上がったことだ。

「それでみんなやる気になってくれた。2015年の箱根駅伝初優勝の時の青学の選手のフォームは衝撃的でした。他大学を圧倒する走りときれいな姿勢で、しかもみんな余裕でゴールした。3月から始めて9ヵ月で、これほどの結果が出るとは思いませんでした」

選手は次々と5000mの自己ベストを更新していった。翌シーズンには前年で10人程度いた故障者が激減した。腰痛と挫骨神経痛から解放された小椋裕介は「奇跡だ」と喜んだ。トレーニングに異義を唱える選手はいなくなった。

フィジカルトレーナーの役割

佐藤は自らのことを「フィジカルトレーナー」と称する。ウォーミングアップやクールダウン、コンディショニングや日常のトレーニングを行なうのが主な仕事だ。

外傷の対応のメディカルやマッサージ、リハビリなどを行なう「アスレティックトレーナー」とは異なる。もっとも今はその境界線が微妙で両者がそれぞれの分野を行き来している。予算に余裕がないチームは、両方を兼ね備えた人が求められているからだ。

「実業団や他大学はすべてを監督やコーチとかがやってしまうところが多い。しかも今だに昔ながらの練習をつづけて、それができないのは根性が足りないからだと選手に責任を負わせる。それでは記録も伸びないし、勝てないですよ。世界で戦える選手も出てこない。青学の強さはフィジカル、メディカル、練習プログラムを作る監督が役割分担をして仕事をしているのも大きいと思います」

練習後は、クールダウンをした後、アイシングをしながらストレッチに時間をかける

佐藤たちはケアを重視し、ただケガをしない体作りを実践しているだけではない。

心、技、体。

その言葉があるように体と心はつながっている。そのためメンタルケアにも積極的に取り組んでいる。

「スタート前はとくにメンタルケアが重要になります。緊張するだけでエネルギーがロスしてしまうからです。また、選手が緊張している時、よく『いけるよ』って声をかけるけど、それは的確ではない。その選手の性格に合った的確な言葉を考えてかけてあげることが仕事として大事なんです」

箱根を救ったメンタル

メンタルで選手を救ったケースがある。

2016年の箱根駅伝当日、佐藤はコンディショニングのためにある選手について宿舎にいた。その時、選手は「おまえ、試合でタレるなよ」と仲間に言われたことを気にしていたという。タレるというのは思うような走りができず、気持ちが落ちて失速することだ。繊細な性格の選手はその一言に過敏に反応していたのだ。佐藤はその選手の性格をよく知っていたので「あれ、昨日、俺が話した時はあいつは絶対にやってくれるといっていたぞ」とポジティブな話に変えた。

「えぇ、ほんとですか?」

その瞬間、その選手の表情が変わった。

だが、まだ油断できない状態だと判断し、一緒に中継所に行った。

「当たり前ですが緊張しているんです。ただ、それだと本来の走りができなくなってしまう。彼は楽しいこと、面白いことが好きなので周囲がピリピリしている中、ふたりでジャンケンとかしていました。いよいよってなった時、『面白いことを言ってください』と言ってきたんです。そこで監督車にいるマネージャーに連絡を入れました。どんな面白い事を言われたのか分からないですけど、そうしたらあの快走です」

彼は区間賞を取る走りを見せ、青学優勝に貢献したのだ。

練習前、原晋監督は話をしながら選手の表情やしぐさで調子を読み取る

もちろん、すべてがうまくいくわけではない。今年の全日本大学駅伝で駅伝デビューしたある選手は3日前から緊張してガチガチだ った。大会前夜は「大丈夫」と言っていたが緊張を取れずに本番を迎えた。その結果、本来の走りができなかった。

「走りを見ても緊張を取りきれなかったのが明白だった。大会後、なんとかできなかったのか。反省点としてスタッフ内で共有しました。箱根では間違いは許されないですし、同じ失敗はできないですからね」

全日本大学駅伝の屈辱を晴らす

今年は新たな取り組みをスタートさせた。2015年、出雲駅伝に勝ったが3週間後の日本大学駅伝は2位に終わった。その間、選手の疲労を取り切れずに大会に突入し、ベストの状態で走らせることができなかった。東洋大に負けた悔しさよりも選手をいい状態で走らせることができなかったことを悔いた。

その反省から選手個々のカルテを積極的に活用し、情報共有を強化した。大会、合宿だけではなくできるだけ長い時間チームに関わるようにした。その一環として今回の出雲駅伝後は寮などで徹底して選手の疲労を抜くケアをした。それが全日本大学駅伝初優勝に結び付いたのだ。ゴール付近で待ち、アンカーの一色恭志が入ってきた時、佐藤は胸が熱くなったという。

「うれしかったですが、ホッとしたという思いの方が強かったですね。なんとか仕事ができたなぁって」

陸上部の朝は早い。朝5時に青トレを開始するが、1時間前に選手は起きて準備を行う

2冠を達成したがこれで終わりではない。箱根駅伝まで選手のコンディションに細心の注意を払い、ベストに仕上げていく。

箱根の先にある目標

これからも箱根駅伝を終えるまではオフのない日が続く。合宿はチームと同宿して選手の体を見て、大会前日は選手が寝るまで体をケアし、その後はマネージャーやスタッフと打ち合せをして万全を期す。選手が翌朝3時起床の場合は同時刻に起きて一緒に戦う準備をする。原監督からは「ブラック企業だよな」とよくイジられている。

「24時間営業ですね」

佐藤は、そう苦笑する。

「好きなことをしているわけですし、結果が出るとうれしいので忙しさは気にならないですね。2冠取りましたけど満足はしていない です。ウォーミングアップ、クールダウンの時間はまだ足りないし、走りだして10キロで力を100%発揮するのではなくヨーイドンで100%の力を発揮できるようにしたい。目指す先は箱根3連覇ではなく、どのくらいチームを高められるかですから」

体とメンタルを整える。

「それを形にしてみせてくれた」

OBで山の神・神野大地はこのトレーニングを絶賛し、今も継続している。

青学の強さは、そんな達人の手腕に支えられているのだ。

撮影:安川啓太

佐藤基之

さとう・もとゆき
1974年生まれ。南米ブラジル体育大学卒業後に帰国し、大手スポーツクラブを経て、中野ジェームス修一が主宰するスポーツモチベーションに所属。フィジカルトレーナーチームのチーフトレーナーとして青山学院大学陸上部を始め、アスリートから一般の人まで幅広くトレーニングを行なう。青学大陸上部の原晋監督はもちろん部員からの信頼も厚く、チームに欠かせない存在になっている。

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