最後の最後に笑ったのは、名門ジュビロ磐田だった。
Jリーグ1部「J1」の熾烈な残留争い。
18チーム中J2に降格する3チームのうち2チームが決まり、残るはあと1チーム。11月3日、残留争いに4チームが絡む運命の最終節において、昇格1年目のジュビロはアウェイゲームでベガルタ仙台に勝利して13位を確定させ、自力で残留を決めたのだった。
チームを率いるのがジュビロの〝レジェンド〟であり、日本代表としても1998年のフランスW杯に出場するなど活躍した名波浩監督である。
2014年9月に就任し、J2に低迷していたチームを再建。43歳の青年監督は規律と平等をモットーに選手たちに寄り添い、コミュニケーションを活発にした意識改革によって「闘う集団」に変えていった。
厳しくも温かく選手たちに寄り添う名波浩が描くリーダー像とは――。(スポーツライター二宮寿朗/Yahoo!ニュース編集部)
「黄金期」とは一変したジュビロ磐田
10月上旬、春のような陽気に包まれていたヤマハスタジアム(静岡県磐田市)。
1カ月以上勝利から見離されていたものの、トレーニングに沈んだ雰囲気はなかった。シュート数を競わせる〝遊び色〟の強いミニゲームは選手たちの活気ある声で溢れていた。
「ウチの最大のセールスポイントは、選手たちが練習を楽しそうにやってくれること。他のチームがどうかは分からないけど、楽しく練習をさせるというのは心掛けているから」
ジュビロは名波をはじめ中山雅史、藤田俊哉、福西崇史、高原直泰らを擁し、1990年代後半から2000年代前半に黄金期を築いた。だが2013年シーズンに17位となってJ2に初めて降格。シャムスカ監督のもと苦闘が続き、シーズン終盤に入ってクラブOBの名波がバトンを受け取った。だが、グラウンドには自分の現役時代とは違う光景が広がっていた。
「今の選手たちは、やり合うことを望まない。(選手同士の)ディスカッションがないし、俺に何か言われたら、『あ、はい』で終わっちゃう。言ってもはね返らない感じが、俺としてはちょっと嫌だった」
プレーでも意見交換でも、いい意味で周りとぶつかり合いながら結束を生み出してきた世代からすれば相当なギャップを感じた。
改革の第一歩として取り組んだのが、マンツーマンでのダイレクトな対話だった。
ピッチで声を掛け続け、大事な話をする際は監督室に呼んだ。ここぞのときには電話をかけ、選手と食事を取って話を聞いた。叱るときもあれば、ほめるときもある。自ら選手の懐に飛び込んで心の扉をノックした。
「扉がちょい開きなのか、半開きなのか、それとも全開なのかは分からない。でも直に接することで、どう接すればいいか、どういう言い方をすればいいかつかむことができるから」
選手には「監督」と呼ばせなかった。「ナナさん」は選手たちとの距離を自ら縮めていきながら、性格や考え方、心のなかを知ろうとした。
監督と選手の意思疎通と並行して、選手間のコミュニケーションも活発化させなければならなかった。名波は練習をすべて公開にして、ファンや周りに「見られる環境」をつくった。試合に出場するメンバーやセットプレーのやり方など情報を漏らさないために週に何度か非公開にするのが日本でも一般的。だが、名波は逆の手法を取った。
「選手同士が削り合っていたら、絶対に『すまん』となる。見られることで厳しい雰囲気だけじゃなく、楽しそうにサッカーをする雰囲気も出てくるから」
周りの目を意識させると、自然と選手間のコミュニケーションも増えていった。名波の狙いは当たり、縦と横の意思疎通が浸透していくようになる。
ホワイトボードに「逃げるな」と書いた
選手の「見られる意識」を高めるには、名波自身も「見る」必要があった。
ちょっとした変化も見逃さないようにした。たとえば練習前のウォーミングアップを始めるにあたって選手たちはストレッチやリフティングなど各々のやり方で準備するのだが、いつもと違ったときには声を掛ける。「どうしていつもと違うんだ?」とストレートな聞き方は野暮というもの。「最近はどうなんだ」とか軽い感じで。選手からすれば悩みや迷いなどを抱えてちょっとでも集中を欠いているだけで、監督に気づかれてしまう。
そこには若手もベテランも関係ない。平等に見て、平等に声を掛ける。
「見る」ことは選手たちのやる気を促す意味もある。コーチやスタッフの目も借りながら、見守ろうとしてきた。ジュビロは練習場もスタジアムも自前のため、極端を言えば選手たちが練習したいと思えば24時間使える環境だ。
「やっぱりうれしいと思えるのは、選手がうまくなろうとやっているとき。午前の全体練習が終わって、午後に誰かが来て自主練やっていると『あいつ、うまくなりたいんだな』って感じると、思わず声を掛けたくなっちゃうよね。ウォーキングでも何でもいい。グラウンドに来ていることに意味があると俺は思うから」
J1に昇格した今季、開幕2戦目(3月6日)には強豪の浦和レッズからアウェーで勝ち点3をもぎ取っている。
指揮官は試合後、力強い言葉で語ったのが印象的であった。
「(名古屋グランパスとの)開幕戦は逃げのサッカーをして、勝ち点1も得られなかった。(試合前に)ホワイトボードでバーッと書いていくなかで全部消して最後に〝逃げるな〟と一言書いて送り出した。そういった意味では逃げずに戦ってくれた」
以心伝心。
同点に追いつかれても焦らず、集中力を切らすことなく終盤に勝ち切る。昨季J2の戦いで見せた〝勝負強いジュビロ〟を象徴するゲームでもあった。
「平等」と「規律」を重んじる、最後は突き放さない
一体感を植えつけるために名波は「平等」と同様に「規律」を重んじる。
エースストライカーの元イングランド代表FWジェイ・ボスロイドが練習でボールを追わないなど身が入ってないと判断すると、6月25日のベガルタ仙台戦ではベンチメンバーから外した。7月30日の柏レイソル戦でも途中交代後、ピッチにペットボトルを投げつけて警告を受けると次の試合に帯同させなかった。一番の得点源を欠くことは痛手だとしても、名波は厳しい態度を貫いた。
「勝ち点と規律、そのどっちを取るかと言ったら俺は規律を取る。残り5試合となったら別だけど、1年通してチームを見なければならないし、俺は3年先を見ているから。アイツはそういう監督なんだって思わせないと、選手はナメてくる。そういう態度で練習や試合に入ってくることを、俺は許さない」
だが厳しく接しながらも、ジェイとのコミュニケーションは欠かさなかった。
「練習後に俺が選手から離れたところに座っていたら、アイツもリフティングしながらゆっくり近づいてくるんだよね。そこで俺のほうから話しかけたりして……。大体はそんな感じだから」
突き放すことなく、厳しく温かく接する。ジェイはリーグ終盤、J1残留に貢献する働きを見せることになる。
最終節のベガルタ戦に勝利して残留を決めた名波は試合後の会見でこう述べている。
「髪の毛が抜けようが白髪が増えようが、お腹が出ようが睡眠が取れなかろうが何があっても逃げ出さないと覚悟していた。そういう意味で男として最低限のことはできた」
選手たちも逃げ出さず真っ向から苦難に立ち向かい、打ち勝った。指揮官の意志は選手たちの意志そのものであった――。
名波は昨年11月に父・元一さんを亡くし、母・祥江さんは2007年1月に他界している。彼の心には、両親の教えがしっかりと刻みこまれている。
「親父は威厳があってリーダー的な存在でちょっと近寄り難かった。それをお袋が陰で支えている感じ。親父から言われてきたのは『仲間を大切にしろ』、お袋からは『人に優しくしなさい』と。2人の教えを守っているつもりではいるから」
名波の周りにはいつも多くの人が集まる。
彼はリーダーとしてどんな将来を描いているのか。
「リーダー像で言うと、俺はワンマンじゃないし、俺についてこいというタイプでもない。プレーでもそうだったけど、永遠のバランサーだから。ジュビロでサッカーをやりたいと言ってもらえるようなチームづくりをしていきたいと思う」
人を大切に、人に優しく、厳しくも温かく人に寄り添う。
人に慕われる「永遠のバランサー」は、己が信じるリーダーの道を往く。