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松園多聞

宇宙にゴジラ、レーシングまで。川崎フロンターレに所属する“Jリーグ最強の企画屋”

2016/09/23(金) 12:37 配信

オリジナル

フォーミュラカーが爆音を立ててトラックを走り、西城秀樹が「ヤングマン」を唄い上げる。ゴジラが始球式でボールを蹴り、行司がスターティングイレブンを大相撲調で紹介する。これらはすべてJリーグ、川崎フロンターレのスタジアム企画である。

スタジアムで楽しむのは、試合のみならず。地域密着をモットーに、来場者に寄り添ったユーモアたっぷりのオリジナル企画がファンを喜ばせている。一連のユニークな企画を仕掛けているのが天野春果サッカー事業部プロモーション部部長。”Jリーグ最強の企画屋”との呼び声も高い。(スポーツライター二宮寿朗/Yahoo!ニュース編集部)

撮影:松園多聞

Jリーグスタジアム観戦者調査の「地域貢献度」では、2010年から5年連続で1位を獲得。ホームスタジアムの等々力競技場が改修作業を終えて再オープンした昨年、1試合平均観客動員数で初めて2万人を突破した。そしてクラブ創立20周年を迎えた2016年、平均観客動員数は2万1593人(9月18日時点)まで上昇している。要因としては年間順位で首位を走り、リーグ初優勝を視野に入れるチームが好調であること。そしてアットホームなエンターテイメント路線がファンの心をガッチリとつかんできた証だと言える。

“企画屋”天野は自らの哲学をこう語る。

「フロンターレが目指しているのはいかに勝利以外の結果を愛してもらえるか。チームが勝てなくても楽しめた、勝ったらさらに楽しかったっていう空間をつくることなんです。結果に左右されず、幸せになってもらってまた等々力に行きたいって思ってもらえるようにすることが事業に携わる僕たちの責任だと思っています」

実車版エアロエバンテとラジコンのエアロエバンテの対決(C)KAWASAKI FRONTALE

ラジコンの操作をしたのはラジコン好きとして名高い元プロ野球選手の山本昌さん(C)KAWASAKI FRONTALE

いつも“幸せのタネ”を探し回っている。携帯電話は防水カバーつき。お風呂に持ち込んでまで企画を練るそうだ。

「欽ちゃんのどこまでやるの!?」ならぬ「フロンターレのどこまでやるの!?」。

この夏、創立20周年記念イベントのテーマはなんと宇宙であった。8月16日夜、試合がないにもかかわらず等々力競技場は多くの人でにぎわっていた。国際宇宙ステーション(ISS)と回線がつながると「オーッ!」と歓声が上がる。大西卓哉飛行士の声が届くと、また「オーッ!!」。約20分の生交信。「宇宙でオーバーヘッドキックはできますか?」などの子供たちの素朴な質問に、スタジアムは笑いと笑顔に包まれた。スタジアムと宇宙の生交信という試みは世界初だったという。

ISSとの交信の様子(C)KAWASAKI FRONTALE

なぜ、宇宙だったのか。

「2012年に南極と生交信をやってみて、サポーターから『もう宇宙しか残ってない』と言われて、確かに面白そうだなと。やれそうにないものをやってのけると、みんな喜んでくれるじゃないですか。サッカーと宇宙がつながるなんて、誰も思ってないでしょうから」
45歳のアイデアマンはそう言って豪快に笑った。

だが、簡単に物事が進んだわけではなかった。

4年に及ぶ準備期間。最初、企画をJAXA(宇宙航空研究開発機構)に持ち込んだ際には色良い返事をもらえなかった。作業の合間を縫って交信してもらうには、それなりの大義名分が必要であった。川崎市と一緒になって熱意を伝えれば、きっと実現できる。そう踏んだ天野は川崎市に全面協力を仰ぎ、市を動かすことでJAXAも次第に前向きになっていった。市の教育事業と連動した「JAXAフロンターレ算数ドリル」が市内の小学校に配布されるなど、宇宙との接点が強まっていった。

「行政の協力なくしては難しかった。10年前だったらこの企画は出来なかったと思います」

フロンターレと川崎市は良好な関係を築いてきた。市が資本参加し、ファンクラブも市の外郭団体がフロンターレ後援会として運営している。フロンターレは新人選手の商店街挨拶回りや選手による絵本の読み聞かせ会の開催など、市民に溶け込む取り組みを地道に取り組んできた。今では市とクラブが市民のためにお互いを活用する関係性に発展。クラブと行政のタッグが、JAXAをそしてNASA(アメリカ航空宇宙局)を動かしたのだ。

ただフロンターレらしいのは「宇宙との生交信」を目玉としながらも、もう一つの軸として人気漫画「宇宙兄弟」とコラボレーションした点だ。8月6日のヴァンフォーレ甲府戦では16日の生交信を前に、宇宙にまつわるトークステージ、望遠鏡づくりや無重力体験ブースなど盛りだくさんのイベントを行なった。チームも「宇宙兄弟」の作者・小山宙哉氏のデザインによる「宇宙服ユニホーム」で試合に臨んでいる。

「宇宙というテーマを教育のほうに寄ってしまうとどうしても硬くなってしまう。話題性、ユーモアがないと一般の人には受け入れられないというのが僕たちのスタンス。話題性で言えば宇宙兄弟は絶対に外せなかったですね。僕も大好きなんですよ、宇宙兄弟(笑)」

宇宙兄弟のコラボレーションの横断幕(C)KAWASAKI FRONTALE

人々をスポーツで喜ばせたい。

天野の原点は大学時代にある。1994年にあったアメリカW杯を現地で見たいという単純な理由で海を渡り、ワシントン州立大学に入学。サッカーをやっていたとはいえ、特に大きな理由もなくスポーツマネジメント学部に入ったという。だが彼はすぐさまスポーツの魅力に取りつかれてしまった。

「人口は3万人弱しかいないのに、大学チームのアメフトの試合となるとどこからともなく人が押し寄せて6万人のスタジアムが満杯になるんです。それだけじゃなくて、ジイさんたちがガンガン盛り上がって楽しんでいる。バスケットだろうが、ベースボールだろうが競技は関係なく、要は自分たちの町のチームを応援している。空気を楽しんで、人との交流を楽しんでいました。凄く衝撃を受けました」

忘れられない思い出がほかにもある。野球の独立リーグを見学するため、グランドキャニオンの麓にあるスタジアムを訪れたときのこと。延々と荒野を車で走らせた先に、小さなスタジアムがあった。そこにも人々が溢れていた。

「フィールドとの距離が圧倒的に近いし、ピクニックゾーンがあってそこでみんなバーベキューやってるんです。あっ、これがスポーツを楽しむってことなんだなって感じました」

将来、スポーツ事業に携わる職業に就くと心に決めた。

夢を持って同年秋に帰国した天野は翌年、フロンターレ前身の富士通川崎フットボールクラブに入社する。地域に愛されるクラブを目指し、そしてスタジアムの楽しい空間をつくり出そうと20年間突っ走ってきた。

彼がこだわり続けたのは手づくりで企画を提供する温もりである。ファン、サポーター、行政、関係者の声を大切にした。月に一度、サポーターの代表者たちと“定例会議”を行なってきたのもそのためだ。フロンターレのスタッフも天野に負けず劣らず、アイデアを生み出してきた。

「シン・ゴジラ」は川崎が舞台となるシーンがある(C)KAWASAKI FRONTALE

主演の長谷川博己も登場した(C)KAWASAKI FRONTALE

「つくり手と、受け取り手が分かれちゃうとつまらなくなるんです。厨房に入ってもらって、一緒に料理をつくってもらう感覚。一緒にみんなで汗をかくから共有できる」

だからこそスタンドとピッチが一体となる独特の雰囲気が生み出されているのかもしれない。

天野は今年限りで一度フロンターレを離れ、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向することになる。スタッフの一人として大会成功に力を尽くし、4年後にまた復帰する予定だ。

創立20周年で初めてJ1のタイトルが手の届くところまで来ている。優勝すると等々力がどんな雰囲気になるのかと考えるだけで、天野の顔に柔らかい笑みが広がる。

「フロンターレって、面白いと思ったらどんなイベントでもやってきたから〝色物〟だと思われてきたところもある。でも決して〝色物〟なんかじゃない。勝ってファンに愛されるんじゃなくて、ファンに愛されるから勝つってところを示してもらえたら嬉しいですよね」

等々力競技場は、今日も盛り上がる。

スタジアムの片隅にはスタンドを楽しそうに見つめている天野春果の姿がある――。

撮影:松園多聞

天野春果(あまの・はるか)

1971年4月、東京都生まれ。1992年、ワシントン州立大学でスポーツマネジメントを専攻し、96年アトランタ五輪では現地ボランティアとして携わる。五輪後に帰国。97年、川崎フロンターレの前身となる富士通川崎フットボールクラブに入社。2001年にJAWOC(2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会)に出向。W杯後クラブに戻り、サッカー事業を手掛けるなかで〝アイデア企画〟が注目されるようになる。現職はサッカー事業部プロモーション部部長。著書に「僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ」(小学館刊)がある。

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