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薬物依存症の実態と課題――終わりなき闘いの現場

2016/09/15(木) 12:51 配信

オリジナル

著名人による薬物使用・所持事件が、たびたびメディアで報じられている。再犯、再々犯と重ねるケースも少なくない。「クスリ」をやめられないのはなぜなのか。やめる方法はないのか。薬物依存症患者の実態と課題について、当事者、家族、そして治療・研究にあたる医師とカウンセラーに話を聞いた。(ライター・石川れい子/Yahoo!ニュース編集部)

・ゴールのないマラソンを「今日一日」走るだけ
田代まさし 日本ダルクスタッフ
・薬物依存症は「慢性疾患」と捉えるべき
松本俊彦 精神科医
・勇気を出して一歩を踏み出してほしい
横川江美子 NPO法人全国薬物依存症者家族会連合会理事長
・大切なのは「回復する責任がある」という自覚
吉岡隆 カウンセラー/ソーシャルワーカー

ゴールのないマラソンを「今日一日」走るだけ

田代まさし(たしろ・まさし) 日本ダルクスタッフ

田代まさし(たしろ・まさし) 1956年生まれ。シャネルズで芸能界にデビューし、2001年に覚せい剤使用および所持で逮捕。その後も使用が発覚し、2回服役。2014年7月2日に仮釈放。著書に『マーシーの薬物リハビリ日記』(泰文堂)ほか。(撮影:鬼頭志帆)

デビュー直後は僕、トラック運転手とダブルワークをしていたんですが、そのころに眠気覚ましになると人から勧められて、一度だけ覚せい剤を打ったことがありました。でもそのときは、特に気分が良くなることもなく、「ふーん、こんなものか」ぐらいの感じだったんです。

それから20年ぐらい、クスリのことなんて忘れていました。二度目は、ギャグやコントで売れていたころで、ウケなきゃ仕事を干されるというプレッシャーに押しつぶされそうだったんですね。それでまた手を出したら、今度はクスリさえ使えば何でもできるような感覚になって、気がつくと、クスリがなければ何もできないという状態になっていました。そうなるともう、頭の中はクスリのことばっかり。クスリが切れたらどうしようとか、次はどうやって手に入れようとか……。

一方で、「やめなきゃいけない」「絶対やめる」って気持ちはいつもあったし、捕まって出てきて記者会見で頭下げた時は、心の底から「ごめんなさい」「大丈夫です、やめますから」って思ってたんだよ。今度こそ、ってさ。でも、ある時、サイン会で粉の入った小袋をそっと握らされてさ。手に入れてしまったら、やらないではいられなかった。そうすると今度は罪悪感や自分の弱さを責める気持ちに押しつぶされそうになる。いっときでも忘れたくてまたクスリを使う。悪循環だよね。どうして俺、こんなことになってるんだろう、ってただただ自分を責めてね。

「実際、ここに来るまでは半信半疑だったよね」(撮影:鬼頭志帆)

2014年の秋から、日本ダルクでスタッフとして働いています。ダルク(DARC)というのはDrug Addiction Rehabilitation Centerの頭文字を取ったもので、民間の薬物依存症者の回復施設のこと。日本に80か所以上あって、日本ダルクはその一つです。出所してダルクにつながってからは、もちろんクスリはやっていません。自分と同じように回復への道を歩む仲間のお手伝いをさせてもらっています。

毎日電車に乗って、朝10時までに事務所に来て、まず掃除。それから電話応対や発送作業。服役中の方から手紙がくれば返事を書く。手書きです。あと、日本ダルクの近藤恒夫代表のスケジュール管理が僕の仕事です。仕事の後はできる限り自助グループのミーティングに出るようにしていて、週末は近藤代表といっしょに地方へ講演に回ることが多いかな。

ダルクには僕より先に回復の道を歩み始めた先輩たちがいます。その背中を見て「僕もあんなふうになりたい」と思えることが、回復に一番役立つという実感がありますね。ただ実際、ここに来るまでは半信半疑だったよね。そんな「ヤク中」だらけのところで治るはずないでしょう、って。

だけどね、考えてみれば、一人でクスリを始めた人はいないわけ。必ず誰かに教わってクスリを始めてる。だから、同じように、やめるためにも仲間が必要ということ。毒を食らった人のことは毒を食らったことのある人にしかわからないんです。ツイッターで何かつぶやけば今でも「ダメ人間が」「クズが」ってリプをたくさんもらう。俺ら「クズ」かもしれないけど、それ、実は褒め言葉かもしれないと思うようになったよ。クズみたいなことしちゃった経験があるからこそ、今、そういう人たちに手助けをする仕事ができているわけだからね。

日本ダルクでのスタッフミーティング。全国各地で毎週のように開かれている薬物依存症関連のイベントのスケジュールや講演内容の確認、施設の運営、マスコミへの対応など、内容は多岐にわたる。スタッフは全員、薬物依存症からの回復者だ(撮影:鬼頭志帆)

薬物依存症には、完治というゴールがない。でもさ、ゴールのないマラソンを、あんまり長いスパンで考えると苦しくなる。だから、「今日一日だけなら使わずにいられるかも」という日を、「今日一日」「今日一日」と積み重ねていく。

俺、今年の7月2日で「2歳」になったんだよ。ダルクで回復プログラムを始めた日がもう一つのバースデーなんだ。まだまだひよっこだけど、続けていくしかないよね。過去は変えられないけど未来は変えられるからさ。

こういうインタビューを受けるたびに、「マーシーの言うことわかるよ、って人が1人でも2人でも増えていけばいいな」って思うよ。そうやって理解者が増えることが、俺も含めてクスリに依存した過去を持つ人たちが、自分と向き合って、回復していく支えになるはずだから。

今の田代まさしにできること、今の田代まさしにしかできないことをやってます、俺。

薬物依存症は「慢性疾患」と捉えるべき

松本俊彦(まつもと・としひこ) 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。精神科医

松本俊彦(まつもと・としひこ) 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。精神科医。神奈川県立精神医療センター芹香病院医員のころに薬物依存症の再発防止プログラムSMARPPを開発。薬物依存症者の臨床にあたる一方、自傷行為なども研究テーマとしている。(撮影:安部俊太郎)

20年あまり、精神科医として薬物依存症の臨床に取り組んできました。薬物依存症は「治らない」とよく言われますが、僕は最近、「慢性疾患」と表現するようにしています。治らないことを強調すると、依存症者への不信感や偏見が助長され、回復者たちの社会参加が難しくなるように感じるからです。またやるんじゃないかと思われて仕事に就けない、地域住民の反対に遭ってダルクを開設できないといったことで、回復者たちが社会的に孤立してしまうことが、再発のきっかけになり得るのです。

薬物依存症も糖尿病も、慢性疾患という点では同じ。息の長いセルフケア、メンテナンス、アフターケアが必要な病気と捉えてほしい。

そのうえで、薬物依存症者に対して医療ができることは、極めて限定的だと思っています。覚せい剤への依存では、アルコール依存症にみられるような肝臓障害や脳の萎縮など、命に直結する健康被害はあまりありません。あるとしたら、幻覚や妄想といった精神状態、それから注射器の使い回しによるC型肝炎やHIV感染の問題ですが、これは現在の医療で十分に対処可能です。

医療にできることは、長い回復過程のほんの初期段階で、クスリをやめるきっかけを提供すること。その後は、やめ続けるためのケアが必要です。では、ケアとは何かといえば、クスリに依存せざるをえなかった心の痛みを見つめ直すということです。強い意志で心の痛みは消せませんよね? どれだけ強靭な意志で「クスリをやめる」と決めても、やめ続けるためのセルフケアにはならない。必要なのは、強さではない。やりたい気持ちが起こるのを未然に避ける賢さなのです。

例えばどんな時に彼らはまたクスリを使いたくなるのか。ある有名スポーツ選手が覚せい剤所持で逮捕された時、いかにもクスリがキマった顔で護送される様子を、メディアは繰り返し流しました。薬物依存症者は、そういう映像を見ただけで自分もクスリがやりたくなっちゃうんです。彼が逮捕されてからしばらく、「あれ見てまたやりたくなってしまった、どうしよう」と言って再来する患者が絶えませんでした。覚せい剤を使うことは犯罪には違いありませんが、世間の晒し者のように映像を流すことで、やめ続けている回復者たちをリスクにさらしてしまいます。

「実際に会ってみないと、薬物依存者のことはわかりません」(撮影:安部俊太郎)

薬物依存者に対するネガティブな感情は、メディアに限らず、医療や福祉の現場でも根強くあります。でもそれは、回復者に会ったことがないからではないかと思います。

薬物依存者のことは会ってみないとわかりません。病院では、薬物依存者の人生の中で一番ひどいところしか見えませんが、社会に出てクスリをやめ続けている中で変わるんです。海外の研究結果では、薬物依存症の治療成績は、どんな療法を用いたかということよりも、医療者が楽観的な展望をもっているかどうかに左右されることもわかっています。臨床に携わる者は、回復者たちといっしょに仕事をしたり遊んだりすることで、こんなふうに変われるんだというイメージをもつことが必要だと思います。

やめるきっかけになる医療が変わり、さらに薬物依存に苦しむ人に対する報道が変われば、一般の人たちの受け止め方も変わるはずです。偏見が低減すれば、回復者が社会の中に居場所を見つけやすくなり、現在6割とされている再犯率も下がるでしょう。すべては地続きなんです。

勇気を出して一歩を踏み出してほしい

横川江美子(よこがわ・えみこ)NPO法人全国薬物依存症者家族会連合会理事長

横川江美子(よこがわ・えみこ) NPO法人全国薬物依存症者家族会連合会(通称「やっかれん」)理事長。薬物依存症の息子をもつ母として家族会に参加したのをきっかけに、薬物依存に対する国の支援を求めて活動を始めた。2016年4月より現職。(撮影:岡村大輔)

覚せい剤取締法違反で警察が息子を自宅から連れて行ったのは、彼が高校生の時でした。息子は少年院を出てから働き始めたのですが、どんな仕事も長続きしませんでした。そのうちに家庭内暴力が始まり、私は下の子を連れて家を出ました。まさに家族は崩壊していました。

それからも息子は自殺未遂をしたり、窃盗で捕まったり、そのたびに一人、その対応に追われました。その後、彼が体を壊したという話を聞き、「生きて会えるのは最後かも」と思った私は、医療刑務所へ面会に行きました。家庭が壊れてから、14年が経っていました。

薬物依存の被害者は、ほんとうのところ家族かもしれません。ウチのように、家族が離散してしまう家庭も多いですし、我が子が薬物依存症になることの苦しさは、親兄弟でさえ理解してくれません。理解されないどころか、「育て方が悪い」「親がしっかりしてないから」と責められるんです。

もちろん自分でもさんざん責め続けました。仕事をもっていましたから、子どもに寂しい思いをさせたかもしれない、目が行き届かなかった部分があったかもしれない、取り返しのつかないことをしてしまったんだ、と責めて責めて打ちのめされても、滅多なことでは人に相談などできません。耐えるしかなかったし、なんとか更生してくれることを祈るしかありませんでした。借金をしたり盗みを働いたりしたことも、親が謝って尻拭いをしてきました。ほかに何ができるのか、知らなかったのです。

岩井喜代仁さんの本との出会いが転機となった(撮影:岡村大輔)

それが変わったのが、薬物依存症の家族会に参加するようになってからです。薬物依存症という病気であることを理解し、目指すべきは「更生」ではなくて「回復」なのだということ、そして回復する責任は本人にあるんだということがわかるようになりました。

今思うと不思議なタイミングなんですが、医療刑務所での息子との再会から間もなく、町の小さな本屋さんでダルクを運営している岩井喜代仁さんの本を見つけ、読んですぐ、著者の岩井さんに電話をしました。「お母さん、それはよかった。間に合ったよ。本人が刑務所にいるうちが家族を立て直すチャンスだ」と、岩井さんは次の家族会の予定を教えてくれました。

初めて家族会に参加したときの私は、きっと見るからに憔悴しきっていたと思います。ともかく行ってみるしかないという心境ではあったんですが、身内の恥をさらしに行くのにどんな顔をして出たらいいんだろう、何を着て行ったら「とんでもない親だ」と思われずにすむだろうか、何を話したらいいんだろうか、と際限なく考えてしまって、前日は一睡もできませんでした。ところが会場に着いてみたら、ほかの方はみんな笑顔だったんです。家族が大変なことになっているのに、なんでみんな笑っていられるんだろう、と思ったものです。

最初から笑顔の人は一人もいません。いまにも泣きそうだったり、疲れ切って無表情だったりするんです。でも回を重ねるうちに、例外なく笑顔を取り戻していきます。家族会では、「クスリ」「刑務所」という言葉もふつうに飛び交います。それぞれが自分の体験や思いを正直に話し、全員が同じ苦しみをもつ「仲間」であることが、とても大きな意味を持つんです。

今年の春から、NPO法人全国薬物依存症者家族会連合会(通称「やっかれん」)の理事長を務めさせていただくことになりました。「やっかれん」は、全国に約30ある家族会の連携組織です。設立から12年の間、行政や司法の諸機関に対して、薬物依存症の家族の声を届けてきました。

息子は、私が家族会に参加するようになった後、出所しダルクにつながりました。薬物依存には、依存症者本人だけでなく、家族にもケアが必要です。もし、誰にも言えずに、苦しんでいらっしゃる方がおられましたら、どうか勇気を出して家族会にいらしてください。

大切なのは「回復する責任がある」という自覚

吉岡隆(よしおか・たかし) カウンセラー/ソーシャルワーカー

吉岡隆(よしおか・たかし) 東京都立松沢病院、埼玉県川越児童相談所、埼玉県立精神保健総合センターなどで27年余りにわたり、思春期・青年期の相談や精神保健福祉相談、依存症の相談などに携わる。ライフワークのテーマは相互援助グループとの協働。共著に『《治らない》の意味』、編著に『援助職援助論』他。(撮影:稲垣 純也)

埼玉県さいたま市を拠点に、薬物依存症者やその家族をはじめ、さまざまな依存症者を対象にカウンセリングを行っています。なぜその人に「依存症」が必要だったのかを一緒に考え、必要に応じて裁判官に提出する意見書を書いたり、情状証人に立ったりもしています。また、少年刑務所の教育プログラムなどにも携わっています。

薬物に限らず、アルコールでもギャンブルでも、性でも、すべての依存症に共通することですが、依存対象に対するコントロールを完全に取り戻す人はいません。では、回復への道を歩む人となかなかその道につながらない人の違いはどこにあるのか。

それは、病気になった責任は自分にはとれないけれども、「回復する責任がある」という自覚を持てるようになるかどうかです。そして、その自覚は、自分と同じ問題を抱えながらも、生き生きと生活している「回復者」に出会うことによって生まれます。その回復者に出会える場所が、相互援助グループです。薬物依存ならNA(Narcotics Anonymous;薬物依存症者同士の自助グループ。通称エヌエー)、アルコール依存ならAA(Alcoholics Anonymous)があります。

ぼくは、依存症者本人が相互援助グループに行くことをカウンセリングを引き受ける条件にしています。しかし、実際には薬物依存の場合、なかなか相互援助グループにつながるところまでいきません。困り果てた家族が相談に来たり、無理やり本人が連れて来られることも多いのですが、結局は、依存症者本人が「藁をもすがる」ぐらいの気持ちにならないと、相互援助グループに参加するようにはならないのです。

依存症を理解する上でのキーワードのひとつは「必要」です。その人が生き延びるために「必要」だったものを、「手放せ」と言っても無理です。手放したくないのが当たり前だからです。本人にも「手放さなければいけない」という気持ちはある。でも手放したら自分は死んじゃうんじゃないかという気持ちもあって、そのせめぎ合いの毎日なんです。イソップ童話にたとえれば、それほど必要としてきた依存対象を「北風」で無理に引っ剥がそうとしても決してうまくはいかない。「回復者」という「太陽」に出会って初めて、依存症者は、依存対象を手放すことができるんです。

依存症になっても、人は成長し続けることができるんです(撮影:稲垣 純也)

相互援助グループの大切さを、確信をもって語れるのは、ぼく自身が、依存症であることを自覚してから30年以上、相互援助グループに通っているからです。同じ苦しみをもつ仲間にメッセージを伝えることが自分の生きてきた意味なのかなと気づいたのが、今から10年ほど前、60歳ぐらいのときです。

相互援助グループのミーティングは、互いの弱さを分かち合う場です。互いに言いっぱなし、聞きっぱなしがルールで、それは違うんじゃないかと思っても、意見は言わない。決して楽しい気分で行けるような場ではありません。ただ、そういう場で仲間の話を聞き、自分の話をし、仲間の物語を読み、自分の物語を書き換えていく。その繰り返しです。

自分自身の物語を書き換えるということは、生きてきた道と正面から向き合うことです。そのためには、これまで蓋をしてきたことを全部開けて棚卸しをしなくてはなりません。それを常にやっていくのは、つらいですよ。でも、やりたいことをやった末に依存症になってしまったわけです。回復するために、やりたいこととは真逆のことができるかどうか、そこが回復の道への分かれ道だと思います。

依存症という「治らない」病気にかかっても、人は何歳になっても、成長してゆくことができる。ぼくはそう考えています。


石川れい子(いしかわ・れいこ)

1962年愛知県生まれ。医療、介護をおもなテーマに編集と取材・執筆に携わる。共著『「がん治療」のウソ』『変わりつつある 健康診断の異常なし?異常あり?』『認知症の人とのおつきあい』、編著『図解 やさしくわかる統合失調症』など。日本せきずい基金理事。

[制作協力]
夜間飛行
[写真]
撮影:鬼頭志帆、岡村大輔、稲垣 純也、安部俊太郎
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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