2015年J1ファーストステージ、ガンバ大阪のFW宇佐美貴史は初の得点王に向けて快調にゴールを重ねていた。ところが8月、サイドハーフにポジションが変更になってから得点力が落ちた。
どうやってゴールを奪えばいいのか。日々考え、悩むもなかなか解決策が見つからなかった。だが、今シーズン、「あるゴール」がすべてを一変させた。宇佐美は、いったい何をつかんだのか。そして、すぐにドイツへの移籍が決まった。傷心の帰国から3年、ドイツへの再挑戦に臨む宇佐美の胸に去来するものとは―――。
ドイツに発つ直前の宇佐美に話を聞いた。(スポーツライター佐藤俊/Yahoo!ニュース編集部)
「あのゴールが点を取るキッカケになりましたね」
宇佐美貴史は、そう微笑んだ。
今シーズンのファーストステージ、序盤から中盤にかけて宇佐美は、なかなかゴールを挙げられずにいた。2015年度よりもシュート数が減り、ゴールを決めても波に乗っていけない。アクセルを踏んでも遊びが大きく、スピードに乗り切れない感じだろうか。
昨年のファーストステージは、神掛かったように点が取れた。ガンバ大阪は4位だったが宇佐美は17試合で13得点を挙げ、最終的に得点王に輝いた川崎フロンターレの大久保嘉人が「前半の宇佐美が凄すぎた。今年は(得点王)はダメだなって思った」と呆れるほどの好調さで得点ランキングの首位を走った。
ところが2015年セカンドステージになるとゴール数は落ち、それは2016年も続いた。ゴール数は13から5へ。半分以下に落ち込んだ。数字だけ見れば「失速」ととらえられても致し方ない。
しかし、ゴール数半減には明確な理由があったのだ。
「得点が落ちたのはポジションの影響です。ファーストステージはセンターFWだったので、点が取れるPA(ペナルティエリア)内にいやすいし、みんなそこに向けてボールを運んでくれるんでイヤでも決められるんですよ。ぶっちゃけて言うとセンターFWで点を取るのは当たり前。でも、セカンドステージはサイドハーフにポジションが変わって点を取るのが難しくなった。点を取るにはどうしたらいいのか、ずっと考えていました。その作業が一番高いハードルでしたね」
昨年8月16日のFC東京戦から左のサイドハーフに変わった。それは日本代表が戦った東アジアカップで左サイドハーフとして起用されたことがキッカケになっている。そのままガンバでもサイドハーフに置かれたのは、代表定着に向けた長谷川健太監督の親心もあるが、宇佐美のポテンシャルをより高め、攻撃のバリエーションを増やすためだった。
しかし、センターFWとサイドハーフでは見える景色も仕事もまったく異なる。センターFWが専門職だとすればサイドハーフは様々な能力が求められる総合職だ。中盤で攻撃を組み立てることが要求され、サイドを上下動する体力、守備力が必要になる。さらに点を取らないといけない。センターFWのように点を取ることだけに力を発揮すればいいというポジションではない。
どうしたらサイドハーフとして点が取れるか。昨年のセカンドステージは6得点に終わり、今シーズンも開幕から5試合無得点が続いた。なかなか解決策を見つけられず、考えすぎてシュートの本数も減った。
「今シーズン、『点取れへんな』って言われたけど、『今のうち言うとけよ』ぐらいな感じで焦りとかはなかったです。みんなが攻撃を作ってくれた中、ギリギリのところで外したり、シュートのフィーリングが合ってないだけ。ミリ単位のズレが合ってくれば絶対に点が取れるという確信があったんです」
その予感通り、モヤモヤしていた感覚をブレイクスルーする時がやってきた。
サイドハーフの壁を乗り越えた
6月3日、キリンカップのブルガリア戦、後半12分、左サイドで酒井宏樹のクロスを受けた宇佐美はコースを狙った絶妙なシュートでゴールを決めたのだ。
「あの時は『点が取りたい』という気持ちがすごく強かったんです。そういう時って余裕がないし、ただでさえゴール前は焦るんですけど、その時は冷静だったんですよ。宏樹(酒井)くんからボールが上がった瞬間、誰も触らず後ろにくるから待っておこうと。そうしたらボールが来て、シュートを打つ前にテンションを落とすっていうか……1回、深呼吸して胸トラップしてコースをしっかり見て、そのコースに軸足を向けて打った。それまで仙台戦や福岡戦でゴールを決めていたけど吹っ切れて点が取れるキッカケにはならなかった。でも、この時、『あっこの感じだ』っていうのを掴んだんです」
ストライカーは不思議な生きものだ。点が取れず、死神に取り付かれたような表情をしていても1点取ると、それを切っ掛けに劇的にポジティブに変化する。「俺にパス出せよ」的な自信が表情にやどり、ゴールを重ねられるようになる。宇佐美は、ブルガリア戦のゴールをきっかけに湘南戦でゴールを決めると、つづく浦和戦、鳥栖戦と3試合連続で得点を決めた。
「サイドハーフで3試合連続ゴールというのは、個人的に手応えを感じましたね。しかも浦和戦、とくに鳥栖戦のゴールは自分が望んでいたゴールの形だった。ヤット(遠藤保仁)さんからアデミウソンにパスが入って右の阿部(浩之)ちゃんにボールを出した瞬間、走り出したんです。その時、ついて来た相手サイドバックよりも早くクロスのコースに入って決めることができた。サイドハーフで点取るのはこういうことだなっていうのが分かったし、このゴールはすごく大きかった」
ブルガリア戦、さらに浦和戦、鳥栖戦の得点はドリブルからシュートという自己完結型のゴールとは異なり、味方が攻撃を作った中から仕留めたゴールだった。
「それが重要なんですよ。メッシとかネイマールは個人の力で点を取れるんですごいんですけど、それだけじゃあそこまで鬼のように点が取れない。それプラス味方に攻撃をつくらせて、しっかり待って点を取っている。先を読み、味方がどう攻撃を作り上げていくのかをイメージする能力と相手との駆け引き、ポジショニング。それらを全部まとめた“待ち方の技術”があるともっと点が取れる。ハッキリいうと、どこで待つのかを突き詰めていけば意外と簡単に点が取れるんです」
宇佐美は、そう言って難解な問題を解いた数学者のようなちょっと自慢気な笑みを浮かべた。長らく悩み、探し続けたキッカケをようやくつかまえたのだ。
3年間で、いちばん成長したこと
宇佐美は今夏、ドイツ・ブンデスリーガのFCアウクスブルクと4年契約を結んだ。
これで宇佐美は、2度目のドイツ挑戦になる。5年前、ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンに期限付き移籍を果たした。19歳の若きサムライは欧州での成功を目指したが、ライバルのフランク・リベリ、アリエン・ロッベンらの壁が厚く、リーグ戦はわずか3試合の出場に終わった。翌年、出場機会を求めて移籍したホッヘンハイムでは初スタメンとなったフライブルク戦で初ゴールを挙げ、上々のスタートを切った。しかし、その後、成績不振で監督が4人も交代。宇佐美はその余波を受け、実力とは関係なく2軍でのプレーを強制された。眠れない日々を過ごし、最後は戦力外の烙印を押された。
「ボロボロの状態」で帰国したが、それからガンバで再生、成長したことが評価されてのオファーだった。
「アウクスブルクはガンバでの3年間の成長を高く評価してくれた。それをドイツで見せたいですし、結果を出して自分が成長したことを証明したいですね」
3年前、J2だったガンバに戻ってきた時、活躍できなければ引退するつもりだった。その覚悟が「このままで終われない」と宇佐美を駆り立てた。 チームのJ1昇格に貢献 、2014年はリーグ戦、カップ戦、天皇杯の3冠達成を実現した。しかし、すべてが順調だったわけではない。2014年はケガでブラジルW杯を断念。昨年はハリルホジッチ監督に体脂肪率の減少を指示され、苦しんだ。サイドでの得点方法に悩み、シーズン後半は失速した。苦しみ、喘ぐ時間が多かったが、それこそが宇佐美にとって糧となった。
「いろんなことがあったけど、ガンバでは心技体のすべてが成長したと思います。とくに心、思考ですね。人って努力したらその分、見返りを求めるじゃないですか。返ってこないと『こんだけやってんのになんで返ってけぇへんねん』ってなる。でも、努力して見返りがなかったらやめるんかというとやめるわけじゃない。そうしてちょっと良くなったら喜んでダメになったら落ち込む。そういう一喜一憂が面倒くさくなったんです。そんな振れ幅は必要ないし、どっちにしろやり続けるんやったら見返りを期待せず、ただ努力を続けて必要なものを求めていくのが一番強い。それで成長できなかったら、それまでという風に思ったんです」
その境地に至ったのは、昨年だった。セカンドステージでゴールを奪えず、点を取るためにどうすべきか、考えに考え抜いた。しかし、らちが明かなくて開き直った時、こうした考えにたどりついたのだという。
「もうひとつ分かったのは成長するためにサッカーをどうとらえるかということです。サッカーに人生に賭けるのか、人生の中にサッカーを持っていくのか。サッカー中心の人生だと悔しいことやムカつくことがあると耐えられないんですよ。なんやねんってなる。でも、それだと成長できない。今は人生の中にサッカーを置いている。その方が幅が広がるし、努力を積み重ねて頑張れるんですよ。それが成長しやすいスタンスなんです」
ドイツへは、トランクひとつでまるで隣の町に試合に行くように旅立った。それは「サッカーは人生の中のひとつ」という今の宇佐美の考えを端的に表している。
内心は煮えたぎるぐらいギラギラしてる
では、宇佐美はドイツで成功できるのか。 宇佐美の成長を間近で見てきた遠藤保仁は「十分やれる」と太鼓判を押している。
「貴史はシュートがうまいし、バリエーションも多い。しかもオンザボールの技術が非常に高いし、オカ(岡崎慎司)よりもうまい。それが一番の武器だし、それで勝負してほしいね。最初は点が取れなくても相手に脅威を与えるとか、自分の武器を出していけば自然と出場機会は増えていくと思う」
移籍すると日本人の特性としてチームに求められるものを第1に考え、自己犠牲的なプレーをする選手が多い。だが、成功している選手は適度に要求を流しながら自分の良さを出すことに集中する。岡崎にしても5得点は少ないが、自分の武器を出して評価された。遠藤の「自分の武器で勝負しろ」は、海外で成功するための重要なポイントだ。
宇佐美自身は、2度目の挑戦が心底楽しみで仕方ないという表情だ。
「不安はないです。ガンバですべてが成長したし、子供もできた。成長への意欲は並大抵じゃないし、成功したいという気持ちも強い。もう楽しみしかないですね」
その言葉には無理やりな感じもビッグマウスもない。極めて自然体だ。
5年前、バイエルン・ミュンヘンに行く時、まだ10代だった宇佐美は尖ってギラギラしていた。ドイツから帰国した時も何かに苛立ち、野心を隠さずギラギラしていた。気持ちやプレーなど波が大きかったが、その未完成さも彼の魅力だった。しかし、今は若い選手に礼儀を教え、相談に乗り、食事に誘うなど立ち振る舞いが大人になった。年齢を重ね、父親になり、これも成長なのかもしれないがギラついた感が薄らいでいくのはちょっと寂しい気がする。
--まだ、ギラギラしている?
「してますよ」
宇佐美は、即答した。
「内心は煮えたぎるぐらいギラギラしています。でも、表に出すのは髪の毛の色(金髪)ぐらいかな(笑)。それを表に出してやるのはもう面倒くさいです。静かに闘志を燃やして結果を出せばそう見えてくると思うんです。それが今の自分らしさかなって思う」
それも成長なのだろう。
ドイツで成功するための準備は整った。サイドハーフでの得点方法の尻尾を掴み、思考と視点を変えて成長していく先に何が見えてくるのか。どんな選手になっていくのか。宇佐美にとってはドイツでの成功とともに未知なる自分の姿が楽しみで仕方ないはずだ。
図表制作:栗田直也
プレイデータ提供:データスタジアム
佐藤俊(さとう・しゅん)
スポーツライター。北海道出身、青山学院大学経営学部卒業。ワールドカップは1998年フランス大会から、五輪はサッカーを96年アトランタ大会から取材。現在はサッカーを中心に野球、陸上、ゴルフなど自分の好きなスポーツと選手に首を突っ込み、「Number」「Sportiva」など各種雑誌、WEB媒体などに寄稿。著者は、「中村俊輔リスタート」「宮本恒靖 学ぶ人」(文芸春秋)、「輪になれナニワ」(小学館)、「越境フットボーラ―」(角川書店)など他著書あり。