日本の音楽イベントに異変が起きている。この2年あまり、EDM(エレクトロニックダンスミュージック)という新たなムーヴメントのフェス(音楽祭)が、20代の「パーティピープル」に人気を博し、ケタ違いの観客動員力を見せているのだ。なぜ若者はそこに集まるのか。人気はより広い世代へと拡大していくのか。観客、関係者の話を軸に探った。(ライター・岡本俊浩/Yahoo!ニュース編集部)
DJ登場、無数のスマートフォンで撮影が始まる
6月のとある日曜日の夕方。会場には約3万人の観客が集まりつつあった。日焼けした肌に深いVネックのカットソーを着た男子。スリーブレスのTシャツとショートパンツに身を包んだ女子。大胆な肌の露出は「パリピ」ことパーティピープル(パーティやイベントをノリよく楽しむ若者)の定番スタイルだ。多くは20代だろう。ミドルエイジや子連れはほとんど見あたらない。
続々と入場していくのは千葉県千葉市の野球場「QVCマリンフィールド」だが、もちろん彼らの目的は野球観戦ではない。「EDM」のムーヴメントで世界トップを走る音楽プロデューサー兼DJ、スウェーデン出身のアヴィーチーの来日公演だ。
大音量のビートが響き始め、隣りあう男女が「もっと前に行かね?」と声をかけあう。やがてメロディが最高潮に達すると、数えきれないほどの腕が空に掲げられた。その手に握ったスマートフォンの画面はある一点をとらえている。前方のDJブースにアヴィーチーが登場したのだ。観客たちは、撮った画像をその瞬間に、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどのSNSのアカウントに投稿する。会場の中だけでなく、SNSという場で体験を共有することが、EDMの楽しみ方の一部になっているのだ。SNSでの祝祭は、公演開始と同時に始まり、終わった後も続いていく。
チケット18万枚が瞬時に完売
「EDM=エレクトロニックダンスミュージック」は、ディスコやR&Bの流れを汲む「ハウスミュージック」にも似ているが、メロディラインや歌声はより親しみやすいものが多い。「ポップスとしてのダンスミュージック」と考えればわかりやすいだろうか。
DJは事前にデータを準備し、ステージではそれを再生する。バンドのような演奏をしないことを批判する声も一部にあるが、機材を操作し、ステージでダンスし、観客を煽る、それが彼らの「演奏」なのだ。
それまでアンダーグラウンド性の強かったダンスミュージックを、一気に日の当たる場所に連れて行ったEDM。音楽プロデューサーで「EDM PRESS」などの音楽情報メディアを運営する平田知昌さんによれば、世界的な盛り上がりの分水嶺は2009年だ。フランス人プロデューサーのデヴィッド・ゲッタが米国のポップチャートで楽曲をヒットさせた。以降、経験豊かなDJ、プロデューサーたちが音楽面を牽引し、彼らの出演するダンスミュージックフェスやイベントが巨大化。「2012年ごろまでは、毎年が倍々ゲームのように成長していく感があった」(平田さん)。
ダンスミュージックの国際カンファレンス「IMS(国際音楽サミット)」で発表されたデータによると、昨2015年の市場規模は71億ドル(約7800億円)と、巨大な市場になっている。
最大級のEDMフェス、米国・マイアミ発の「ULTRA MUSIC FESTIVAL」は世界中から観客を集め、動員数は16万5000人以上とされる。また、ベルギーで開催される「TOMORROWLAND」は昨年、18万枚ものチケットが、出演者発表前に瞬時に完売している。デジタル音楽ブロガーのジェイ・コウガミさんは「出演者発表される前にチケットが売れるというのは、これまでの音楽フェスならあり得ないこと。もはやテーマパーク的でさえある」と指摘する。
コウガミさんは「EDMは、新たな体験型のアクティビティとして定着したのではないか」と見る。ステージの巨大構造物、LED、レーザー光、そして映像が音と巧みに連動する、圧倒的な非日常の体験は、SNSを通じて膨大な数の写真と動画が拡散され、ファンを連鎖的に増やしてきた。
「みんなで同じ目標に向かっている感じが好き」
日本で火がついたのは、「ULTRA JAPAN」が初開催された2014年。昨年の第2回は3日間で9万人を集めた。動員数はわずか2年で、「フジロック(FUJI Rock Festival)」「サマソニ(Summer Sonic)」といった国内の大型ロックフェスに迫りつつある。
今年に入ってからも、大小のEDMフェスが次々と開かれている。5月の大型連休、千葉県・幕張海浜公園を会場に、内外のDJが出演した「Electric Zoo Beach Tokyo 2016」もそのひとつだ。動員は1万人。
広大な砂浜に3つのステージを設置。波打ち際には封鎖線を張り、等間隔で警備スタッフが配置された。クリーンで安全で、馴染みがない女子だけでも来られる。これがダンスカルチャーの現在のスタイルだ。
目の前には東京湾。海風を浴びながらパーティピープルが闊歩する。観客はやはり20代が大半で、「動物園(Zoo)」のテーマに合わせて猫やウサギの「耳」をつけた子も見かける。
夕陽に染まったビーチを、バニーガール姿の女子2名が歩いてきた。ともに東京から来た25歳。1人は金融関係で1人はホテル勤務。彼女らに「フェスのなにが醍醐味なのか」と聞くと、「みんなで同じ目標に向かっている感じが好きですね」。
福島県会津若松市から来た25歳男子コンビからも、相通ずる言葉を聞いた。ともに建設資材関連の会社勤務。1人は上半身裸で、背中に「フリービンタOK」と書いてある。両腕を広げてこう言った。「仲間! ここにいる人たちは音楽でつながっている友だちなんですよ!」
地元・千葉県の25歳男子。トラック運転手をしながら、月収の3分の1をEDMフェスに注ぎ込んでいる。手に握った大きな旗には、ULTRA JAPANのロゴがプリントされ、余白に無数の寄せ書き。フェスで彼が積み重ねてきた時間を物語っていた。「この旗を持っていると、目立つ。写真も撮られるし、新しい知り合いができるきっかけにもなる」。
人とつながれる場が「EDM」
欧米とは異なり、日本のEDMイベントの観客は20代が圧倒的多数を占めている。そして彼らは、「同じ目標」「仲間」が大切だと口々に言う。なぜなのか。
大手広告代理店アサツーディ・ケイ(ADK)のマーケター、藤本耕平さんは、若者向け商品やキャンペーン開発を通じて得た実感として、「同じ目標、仲間を重視するのはこの世代の特徴です。人とのリアルなつながりを、年長世代以上に求めている」と言う。
「彼らはソーシャルメディアという自己完結性の高いツールを使うことで、『自分は1人なんだ』ということを発見してしまう。会話、買いもの、ゲーム。なんでも1人の空間でできてしまう。自分からアクションを起こさない限り、誰ともしゃべらない状況に陥ってしまうリスクがあるんです。人とうまくコミュニケ―ションがとれない子を『コミュ障』などと呼びますが、彼らは自分がそうなることを極度に恐れている」
藤本さんは、「ゆとり」「さとり」とも重なり合う現在の20代にふさわしい呼び名を、「つくし世代」だと考える。「この世代は、自分ひとりではなく、誰かのためにと考える傾向があるからです。言うなれば『尽くし』世代でしょう」。
「ゆとり」「さとり」ではなく、誰かとのかかわりあいを含む「つくし」......。藤本さんは、この世代が「個性尊重教育」を受けてきたことが関係しているのではないかと分析する。
個性尊重教育(新学力観)を謳う改訂学習指導要領の実施が始まったのが、1992年。85年生まれ(2016年現在31歳)の小学校入学の年にあたる。それ以降の世代が受けた個性尊重教育は、人とつながることの価値と困難さを彼らに教えたかもしれない。みんなそれぞれ違うのが当たり前と教えられ、単純に「同じだね」と言いあうことさえ難しくなった。学歴、ルックス、親の収入、性や趣味など、かつては問題にならなかった「違い」がソーシャルメディアで見えるようになったことも、人とつながることの困難さを深めただろうと藤本さんは言う。
だから、この世代にとっては、複雑なコミュニケーションなしにみんなでシェアできる場所としてEDMフェスの価値が高まってきた。ハロウィンやカラーラン(カラーパウダーを浴びて2km~5km程度を走るランニングイベント)が若い世代に広まっているのも、同じ理由かもしれない。そしてEDMのフェスは、規模感でハロウィンやカラーランを上回り、写真映えでも劣らない。
さらに藤本さんは、バブル崩壊後に成長期を迎えた20代の特徴として、「モノやサービスを1人で消費することに限界を感じている」一方で、価値があると判断したものに払うお金は惜しまないと指摘する。EDMフェスのチケットは1万円を超えるものが多いが、「高すぎる」という声が目立たないのも、ここに理由がある。
人と人がつながる圧倒的パワー
日本でブームが起きて2年あまり。急激に膨らんだEDMブームに「乗った」若者は、「降りる」のも早い、ということもあり得る。前出の平田知昌さんは今後を懸念する。「マスコミや企業には、『アゲアゲのパリピ』というイメージをおもしろおかしくおだてて、ブームが去ったらおしまい、なんて態度では接して欲しくない」(平田さん)。
日本のEDM文化を切り拓いた「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクター・小橋賢児さんも、ブームの先を見据え、「どう飽きさせないか」を考えていた。「一度来たお客さんが、次の年、新たな仲間を誘ってくれるには、どうしたらいいか、毎年試行錯誤しています。去年は巨大花火を打ち上げたし、会場内に特設の公園もつくった。ハンモックなどを吊るして、キャンプ感覚の楽しみ方も提案した。今年も新しい試みをやろうと考えている」。
小橋さんは、2006年頃から数々の海外フェスを訪れた。そのときの体験から、EDMが日本でも瞬間的なブームで終わるものではないと確信している。マイアミの「ULTRA MUSIC FESTIVAL」。ネバダ州の砂漠で行われる「バーニングマン」。いずれも長い歴史を経て祭典として定着しているのを、目の当たりにした。
「バーニングマン」は、期間限定の共同体で暮らすことそのものがイベントとなっており、音楽も常に流れている。共同体のルールは、自給自足、金銭のやり取り禁止など、フラワーチルドレンを思わせる代物だが、シリコンバレーで働く人びとからウォール街のビジネスエリートまでも惹きつけていた。とめどなくグローバル化が進展するなか、小橋さんは、国籍や性別、階層を超えて人と人がつながるパワーに圧倒されたという。
世界で活躍する日本人DJは現れるか
「瞬間的なブーム」を乗り越えるには、ファンとともに5年、10年と続けていく持続性がいる。気にかかるのは、1公演あたり数千万円も珍しくない、海外トップDJのギャランティだ。「いまが限界。これよりも上がったら、招聘なんてできなくなる」(小橋さん)。
トップクラスのDJは、フェスだけではなくラスベガスなどのカジノにも出演する。カジノが圧倒的な資金力を背景に全体の価格水準を押し上げているというのが、ギャランティ高騰の要因のひとつだ。
ある業界関係者は、「日本から世界トップクラスが出てくれば、海外勢に頼らなくていいのに」とこぼす。確かにいま現在、日本人DJの曲が海外で成功した例はない。
「輸入商品」にとどまっているEDM文化に、どれだけ日本発のコンテンツを加えられるか。――前出の平田さんも、こう指摘する。
「みんなDJにはなりたがるけど、楽曲づくりは盛り上がっているとはいえない。いまの世界トップは自前の曲がヒットしたからここまでのぼりつめられた。彼らがDJでかける楽曲は、大半が自分のもの。自前の楽曲なしには世界的な競争に参加できません。頑張ってほしい」
EDMの過熱人気はしばらく続くだろう。しかし、夢のテーマパークのその先に、どんな風景を描けるかはおそらく、DJを中心とする作り手と、会場を埋める若者たちと、その両方にかかっている。
岡本俊浩(おかもと・としひろ)
1976年生まれ。ライター、朝日新聞出版「AERA」記者。社会、文化問わず、幅広く取材を行っている。主な著書に『「選挙フェス」17万人を動かした新しい選挙のかたち』(共著、星海社)、『野外フェスのつくり方』(共著、フィルムアート社)。
[写真]
撮影:岡本裕志
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝