「家庭でできる性教育本」が相次いで出版されている。今年だけで10冊以上。どれもマンガやイラストをふんだんに使い、平易な言葉で書かれている。保護者も子どもも理解しやすい内容だ。「性教育本ブーム」の背景に何があるのか。普及に取り組む医師夫婦と産婦人科医、教育委員会などを取材した。(ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
子ども向けの性教育ワークショップ
12月上旬。東京都中央区のビルの一室で、とあるワークショップが開かれた。参加者は小6と中1の男子4人と保護者。講師は、性教育を広める夫婦ユニット「アクロストン」のみさとさん(38)とたかおさん(38)だ。二人とも医師である。
みさとさんが画用紙を見せながら、子どもたちに話しかける。
「おなかのあたりの絵です。ここに脚があって、ここがおまたのところですね。ここに2つの丸が描かれています。さて問題です。ここは卵子が詰まっている臓器なのですが、なんて言うでしょう? 『卵の巣』と書いて……?」
生徒の一人が元気に答える。
「らんす!」
「惜しい! 卵巣(らんそう)です」
子どもたちの手元には、みさとさんと同じイラストが描かれた画用紙と、小さく切った布やスパンコールなどのクラフト素材が配られている。
子どもたちはみさとさんの指示で、丸の中に小さなスパンコールを貼っていく。卵巣に入っているたくさんの「赤ちゃんのタネ」だ。「赤ちゃんが育つ部屋」である子宮にはふわふわの布を、「赤ちゃんの通り道」である膣には薄い布を貼って、女性の生殖器官を表現する。
次は排卵と生理の説明。男の子だからといって、はしょったりはしない。
「ホルモンって聞いたことある? 脳から体へのメッセージを運ぶ物質なんだけど、そろそろ大人の体になる準備をしましょうというころになると、脳下垂体というところからホルモンが出て、卵巣のあたりにやってくるんです」
妊娠の準備をするために子宮内膜が分厚くなり、排卵をうながすホルモンが分泌され――という一連の仕組みを平易な言葉で説明する。
男性の体の仕組みの説明は、たかおさんから。同じように布や糸を使って、睾丸やペニス、精子を表現する。勃起の仕組みやセルフプレジャー(マスターベーション)についても、「悪いことではないんだよ」と伝えつつ、どんなことに気をつければいいかを丁寧に説明する。コンドームの着け方は、ペニスの模型を使ってかわるがわるやってみる。
2時間のワークショップ終了後、男の子たちに感想を聞いた。少し高揚した表情で、一人がこう答えてくれた。
「学校の理科で習ったこともあった。新しく知ったことは、未来の自分のためになると思いました。それまで覚えているかはわからないけどね!」
「性教育本ブーム」とその背景
みさとさんとたかおさんは、2018年から「アクロストン」として性教育に関する活動を始めた。みさとさんは言う。
「もともと子どもたちに性について教えることはやりたいと思っていて、どう伝えるかをずっと考えていました。あるとき、クラフト素材を使うやり方を思いついて、『これだ!』と思って始めました。実際に手を動かさないと身につかないので」
子ども向けのワークショップのほか、小学校の保健体育の授業を担当したり、保護者向けの講演で性教育についての悩みに答えたりする。
今年は性教育の本を2冊、出版した。幼児期から小学校低学年の子を持つ保護者の悩みと、思春期の子を持つ保護者の悩みに、それぞれ答えている。
この2冊を含めて、今年だけで10冊以上の「性教育本」が出版された。書店の子育てコーナーに行くと、『親子で話そう!性教育』『おうち性教育はじめます』といったタイトルが並ぶ。著者は、産婦人科医や助産師、人権教育や児童福祉の研究者などだ。「性教育YouTuber」として人気の著者もいる。
産婦人科医の高橋幸子さん(45)も、11月に性教育の本を出版した。「性教育をしたいと思って産婦人科医になった」という高橋さんは、以前から性教育の普及や啓発に力を入れており、小中学校や高校での講演は年間100回以上になる。
一般向けの本を出すことになったのは、小学生の子どもを持つライターと編集者の熱心なオファーがあったからだ。高橋さんはこう話す。
「ここ数年の刊行点数の増加の背景には、世界のスタンダードに見合わない日本の公教育の現状に不安を抱く保護者のニーズがあると思います」
性交はカリキュラムに入っていない
現在の学習指導要領では、小学4年生の保健体育で月経や射精について学ぶことになっている。5年生の理科で「人のたんじょう」という単元があり、母親のおなかの中で受精卵がどのように成長し、赤ちゃんになって生まれてくるかを学ぶ。
中学3年生になると保健体育で性感染症予防のためにコンドームを使うことを学ぶ。しかし、どのようにして妊娠するか=性交はカリキュラムに入っていない。
「セックスを取り扱わずに性感染症予防を伝えるという、そんな謎かけみたいなことで真の理解は生まれるでしょうか。『寝た子を起こすな』と、性交を教えることに反対する人もいますが、今の子どもたちは寝てなんかいません。インターネットには性の情報が氾濫していますし、アダルトビデオもいくらでも目に入ってきます。『AVで起こされるのと正しい知識で起こされるのと、どちらがいいですか?』ということだと思うんです」
学校現場での取り組み
小学校や中学校での「性教育」は、教師が教えられない部分を、外部講師として招かれた産婦人科医などで補っている面がある。
川越市は2010年度から、市内の子育てNPOや産婦人科医と協働で、命の大切さを教える「いのちの講座」に取り組んでいる。赤ちゃんとの触れ合いや妊婦体験、心肺蘇生術といった「命」の授業に加えて、4年ほど前から「性」をテーマに取り入れ始めた。同市教育委員会学校教育部長の内野博紀さん(58)はこう語る。
「望まない妊娠や性的虐待が社会問題になっています。子ども自身が性について知らなければ身を守ることもできないし、SOSを出すこともできません。そういうことが起こらないように学校でも取り組んでいかなければいけないと、この事業を始めました」
埼玉医科大学の助教である高橋さんは、地元である川越市の小中学校とつながりが深い。今年度中に、22ある市立中学校の約半数で、性感染症予防の講義をする予定だ。しかし、全校分の予算をつけているにもかかわらず、残る半分の中学校では実施の予定がない。内野さんはこう話す。
「話の内容がストレートと言いましょうか。『そこまで話していいのかな』という戸惑いが(学校側に)あるのも事実かと思います。すでに実施した学校の実践を伝えながら、(性の授業の)必要性を呼びかけていこうと考えています」
高橋さんはこう言う。
「自治体として取り組んでいるところは多くありません。一方で、熱心な学校から個別に依頼をもらうこともあり、温度差がありますね」
家庭で性を教えるために
編集者の當眞文さん(29)は、高橋さんが監修した本に記したあとがきの一節を読み、「性教育の本を書いてもらうならこの人だ」と思ったという。
《本来、性は豊かなものであるはずです。この本ではタブーや恥の意識にとらわれず、性や体のすばらしさが明るく語られていて、女性たちは自分の体に誇りを持てるようになるでしょう。》
《科学に即して語られているのも重要な点です。価値観が多様化している現代、年代を超えて語り合うときの最低限の共通言語は、押しつけの倫理観ではなく、科学です。》
『世界中の女子が読んだ! からだと性の教科書』のあとがきである。ノルウェーの医学生による女性向けの性の本で、2019年12月に日本語訳が出版された。
高橋さんの著書の構成を担当した小宮山さくらさん(42)は、娘が小3のとき、「赤ちゃんってどうやってできるの」と聞かれた。「嘘はつきたくないと思いました。だけど私自身も親からきちんと性教育を受けた世代ではないので、伝え方に悩みました」。
小宮山さんは、ベストセラーから翻訳絵本まで、片っ端から性教育の本を見ていった。いいなと思う本もあったが、「家庭での性教育」をうたう本の多くには、気になる点があった。
「これは(娘に)読ませたいなと思う本と、読ませたくないなと思う本の違いは何かというと、科学的に語っているかどうかでした。例えば、『あなたはお母さんに望まれて生まれてきた大事な命なんだよ』みたいな、ほわっとした教え方をするのは、子どもが本当に知りたいことに答えていないと思うんです」
「愛されて生まれてきた」「いずれお母さんになるあなた」といった倫理観やジェンダー観を前提にして語ることにも疑問を持った。
「母親を知らない子もいるし、虐待を受けている子や理由があって施設で育つ子もいます。同性愛者の子もいるし、将来子どもを産まない選択をする子もいるはずです。多様性への配慮を欠く本が多いなという印象を持ちました」
できあがった本を前に、小宮山さんはこう語る。
「伝えたいことは、どんな境遇にいようとも、あなたの体はあなたのものなんだよ、だから大事だし、自分の体と心について知ることは、あなたの権利なんだよという、ごくシンプルなメッセージなんです」
性教育の国際的なスタンダード
冒頭に紹介したアクロストンのみさとさんは、著書で伝えたいことについてこう話す。
「“My body, My choice”(自分の体のことは自分で決める)ということです。それはつまり、“Your body, Your choice”なんですよね。自分のことも相手のことも尊重できるようになるのが、性教育のゴールの一つだと思っています」
こうした考え方のベースになっているのが、UNESCO(国連教育科学文化機関)が2009年に発表した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」だ。2018年の改訂版では、意図しない妊娠や性暴力のリスク、インターネットによる劣悪な性情報の氾濫によって、子どもや若者の健康と幸福(ウェルビーイング)が脅かされているとする。
ガイダンスが提唱する「セクシュアリティ教育」は、若い世代が家族や友人や恋人とよい関係を結び、知識に基づいた意思決定をすることを励まし、自尊感情を高めるように導くものだ。
今年次々に刊行された「性教育本」には、このガイダンスを参照しているものが多い。高橋さんはこう語る。
「今の『性教育本ブーム』を牽引する書き手は、『性教育が大事だ』と気づいた助産師さんだったり看護師さんだったりします。お子さんを持つお母さんであることも多い。そういった人たちが、小難しくならないようにガイダンスの要素を盛り込んだり、マンガにしてわかりやすくしたりするなど、工夫されています。そうした工夫が、『子どもに性のことをどうやって伝えよう』と悩む保護者や、『自分たちは性について学ぶ機会を奪われている』と思い始めた若い人たちに響いたのではないでしょうか」
すべての子どもたちに学ぶ機会を
アクロストンのたかおさんは、家庭での性教育で大事なのは、普段からなんでも話せる関係をつくっておくことだと話す。
「大事なことは、親がはぐらかさないことです。子どもが質問したときに、親が話題を変えたりごまかしたりすると、子どもは『語っちゃいけないことなんだ』と思ってしまうんですね。その場で答えがわからなかったら、『日曜日までに調べておくね』という感じで、期限を切ってあとで伝えればいいんです」
子どもが小さい場合、「どこまで話していいかわからない」というのもよくある悩みだ。みさとさんはこう話す。
「リミットはありません。子どもが知りたいと思うところまで話してあげてください。飽きたらそこでやめればいい。本来子どもにとってはセックスも自然科学なんですよね。科学的な態度で淡々と伝えてあげればいいと思います」
みさとさんとたかおさんのところには、全国からワークショップやセミナーの依頼が次々に舞い込む。それぞれ産業医、病理医として働きながらの活動になる。
「ただね」とみさとさんが言う。
「ワークショップに参加したり、本を探したりする保護者の方たちは、放っておいてもちゃんと(子どもへの性教育を)やるんですよ。問題はそういう環境にいない子どもたちです。だから学校が大事なんです」
文科省の「生命(いのち)の安全教育」
文部科学省は2021年4月から、「生命(いのち)の安全教育」という新しい授業を、幼稚園から大学までの各段階で導入する方針だ。具体的な内容は検討中だが、プライベートゾーン(水着で隠れる部分)を他人に見せないことや、デートDVの危険性、SNSで人と出会うリスクなどを教えるとしている。
ただし、「生命(いのち)の安全教育」は「性犯罪・性暴力対策」の側面が強い。相変わらず性行為には触れないし、「性教育」という言葉も使われていない。
ガイダンスの訳者の一人で、埼玉大学教授の田代美江子さん(58)は、「日本の性教育のイメージは『包括的性教育』へとアップデートされるべき」と説く。
「『生命(いのち)の安全教育』は『性教育』とイコールではありません。包括的性教育は、性をポジティブにとらえるものです。子どもや若者が、年齢や発達段階に応じて、性や生殖についての正しい知識を身につけ、ジェンダーやセクシュアリティーといった社会規範がどのように人生に影響するかを学んでいく。それによって、自分自身をかけがえのない存在だと思えたり、他者の権利を認めて尊重できるようになったり、まわりの人たちといい関係を築くことができるようになったりする。そういうことなんです」
古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいを抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。著書に『きょうだいリスク』(社会学者・平山亮との共著、朝日新書)