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土居麻紀子

LGBTって少し変わった人たちなのかな、と思っていた——ダイバーシティ推進、重い腰を上げ始めた企業の現場から

2020/10/30(金) 17:05 配信

オリジナル

厚生労働省が今年5月に初めて発表した、LGBTの社員とその職場環境の実態などを調査した「職場におけるダイバーシティ推進事業報告書」。アンケートでは約7割の企業(従業員数1,000人以上の企業は9割以上)がダイバーシティ推進に賛同しているにもかかわらず、具体的に行動を起こした例は、アンケートに協力した企業全体の約1割にとどまることが明らかになっている。ダイバーシティ推進には何が必要なのか、実際に取り組む企業を取材した。(取材・文:編集者・吉田けい/Yahoo!ニュース 特集編集部)

高まり続ける社会的機運のなかで

新宿区にある損保ジャパン本社ビルに設置されたジェンダーフリートイレ。もちろん誰でも使用可能(撮影:吉田けい)

性的指向・性自認に関する世の中の関心が高まるなか、誰もが働きやすい職場環境の実現が社会課題となっている。LGBTに関する社員研修やトランスジェンダーの社員に対するトイレや更衣室の配慮などを進める企業も現れている。今年5月の厚生労働省による「職場におけるダイバーシティ推進事業報告書」は、そうした企業の取り組み事例を調査し、新たな取り組みや政策の検討に役立てることを目的としたものだ。

また報告書では、LGBT当事者が抱える主な困りごととして「プライベートの話をしづらい」「自認する性別と異なる性別として振る舞わなければならない」「トイレや更衣室を使用しづらい」などが挙げられている。

「同性愛やトランスジェンダーをネタにした冗談、からかい」など、いわゆるSOGI(Sexual Orientation=性的指向、Gender Identity=性自認の頭文字)ハラスメントを見聞きした当事者は約2割を占め、そういった困りごとの相談先もないと約4割が回答している。

そういった働きづらさの結果、就業継続が難しかったり、希死念慮の割合が高かったりするとされるLGBT当事者。しかし、その困難は周囲には見えづらく、理解や共感を得られにくいため、企業による取り組みも進みにくいのが現状だ。

社員のリアルな声を反映した取り組み

損保ジャパンが全職場に配布しているLGBTハンドブック。認定NPO法人 虹色ダイバーシティ発行(撮影:吉田けい)

多くの企業で意識と実態にギャップがある一方で、ダイバーシティ推進に意義を見いだし、誰もが働きやすい職場環境を目指す企業も少しずつ出てきている。

損害保険会社の大手、損害保険ジャパン(社員数:約2万5000人)もそのひとつ。

2003年に女性活躍を促進する取り組みを開始し、2015年からは多様で柔軟な働き方を積極的に推進。同時に、LGBTに対する理解を広めるため、全社で研修会を行った上で、徐々に制度や設備を整えていった。

現在までに、ジェンダーフリートイレや「誰でも更衣室」の設置、新卒採用時のエントリーシートの性別欄に「その他」を追加、福利厚生制度を異性配偶者と同様に同性パートナーも利用できるように見直し、SOMPOホールディングスグループの「人間尊重ポリシー」にLGBT社員の人権に配慮することを明記するなど、多方面で整備を進めてきた。

「アライ(LGBT支援者)」であることを示す、バッジやステッカーなどグッズを多数用意(撮影:吉田けい)

社員研修などを行う人事部ダイバーシティ推進グループの桑原さんは、「全社員が性自認や性的指向について当事者意識をもてるように配慮しています」と言う。

「性にはバリエーションやグラデーションがあって、誰もが性の問題の当事者なんですよ、と研修で繰り返し伝えたりとか。また、社外からの当事者の方だけに講師をお任せせず、社員が中心となって研修を実施しています。そうすることで、LGBTは特別な存在ではない、身近にもアライ(Ally=同盟、味方の意味。LGBTを理解し、支援する意志のある人)がいる、と知ってもらいたいんです」

そんな思いから、LGBTに関する意見交換や情報共有のため、社員のリアルな声を反映できる「LGBT-ALLYコミュニティ」を2019年に創設。さらには、多様に活躍している社員を紹介する「ロールモデルチャンネル」にLGBT当事者社員も出演し、全社員に向けてウェブ配信を行っている。

また、当事者の立場で取り組みを牽引する同グループの今さんは、こう話す。

「当事者社員から個別に相談をいただくケースも多くなってきました。やはり、人事部に当事者がいることで、困難を共感的に分かち合えると安心感をもってもらえているようです。また、私がメディアに登場することで、LGBT当事者が一般企業の一社員として働いているという事実を、大きなインパクトをもって社会に伝えられると考えています」

同社では、同性パートナーを配偶者として補償対象に含める自動車保険や傷害保険、火災保険を用意するなど、ダイバーシティの観点から商品やサービスも見直している。

人材確保の点で大きなメリットに

「人材確保にダイバーシティ推進は不可欠」と、大橋運輸の代表取締役社長である鍋嶋さんは言う(撮影:黒坂明美)

ダイバーシティ推進に力を入れているのは、都内の大企業ばかりではない。

愛知県瀬戸市を拠点とする運輸会社、大橋運輸(社員数:約100人)は2014年から取り組み始め、LGBTを含む多様な人材が働きやすい環境づくりの重要性を実感している。

「もともと女性や外国籍社員の活躍をサポートしてきたんですが、トランスジェンダーの方も入社したことから、さらにさまざまな社員のことを考えて制度を変えていきました」

「そのきっかけとなったのが、ある社員の履歴書です。男性と女性の両方に丸がついていて不思議に思ったんですが、話を聞いて納得しました。とても悩んだ末に、丸を二つつけたのでしょう。その後、履歴書の性別欄をなくしました。あとは、通称名を使えるようにしたり、トイレを性別問わず使えるようにしたり。そういった変更は、お金も時間もほとんどかかりませんし、中小企業であれば、トップができると思えばできることが多いと思うんです」

トランスジェンダーの社員が入社して以来、大橋運輸のホームページからダウンロードできる履歴書には性別欄がない(撮影:黒坂明美)

このように語る社長の鍋嶋さんの呼びかけから、以下のようなことが実行された。

性的指向・性自認に対するハラスメントを禁止する条項を就業規則に追加、同性パートナーを福利厚生の対象とするように改定、トランスジェンダーの治療など個別の事情に対応できる勤務形態へと調整、制服の自由化など。

また、LGBT理解促進のための研修を行い、支援イベントにも参加している。

アライ企業を表彰する各賞を獲得し、他企業や団体からダイバーシティに関する相談も寄せられる(撮影:黒坂明美)

「当初は、私が率先して取り組むのは良くないんじゃないか、と心配する社員もいたんです。『社長が当事者なのでは』と噂されるからと。でも、働きたいのに働けない人がいる現実や、そのことを気に病んで自殺する人の存在のほうが重大に思えて。できることから変えていけば、命を投げ出す人の数が少しでも減らせるのではと考えたんです」

「メディアによる当事者の取り上げ方にも問題があると思います。ドラァグクイーンのような人や権利を求めて活動しているような人ばかりではなく、ただただ“普通”に働こうとしている人もたくさんいるんです。そういった偏った意識を変えるには知ることが大切。より多くの人に知ってもらえるように、アライである立場から発信し続けなければ」

取り組み開始から6年が経ち、現在は各部署にLGBT当事者がいるという。

「もっとも大きなメリットは、人材が確保できるということです。これからは性別も国籍も多様な人材なくしては日本の企業は成り立たなくなると思います。互いを尊重し合うことで社員みんなが成長できますし、さまざまな人材がいることで企業や地域の課題解決のヒントが見えてくるのでは。それこそが企業の付加価値となりますし、今後の時代の変化にもついていける力を蓄えられるのではないかと考えています」

性別の問題から解放されて仕事に専念

運営している鯛焼き店では配達サービスも行っている。店長の坂本さん(左)が焼きたてを手渡し(撮影:黒坂明美)

2018年に入社し、大橋運輸が運営する鯛焼き店の店長を務める坂本さんはトランスジェンダーFtM(生物学的性別は女性で性自認が男性の人)だ。これまでは、どこで働いても性別の問題がついて回ることもあって、働き続けることが難しく、転職が多かった。

実は、坂本さんは大橋運輸に就職するため愛知県へ引っ越してきた。かつて暮らしていた県では、LGBTに理解のある職場を見つけられなかったのだ。

「一番困ったのはトイレです。戸籍上は女性なので、女性用トイレに入ったら『違うでしょ』と言われてしまい、どちらにも入りにくくて。前職では、自認する性別に体を近づけるための治療をしていることが会社全体に知れ渡るというアウティングもありました。つらかったですね、かなり」

現在は、勤務している店舗には「誰でもトイレ」が設置され、制服に性別の区別はない。一緒に働くスタッフは、国籍も年齢も障がいの有無もさまざまだ。

「ここでは特別扱いをされません。性別について取り沙汰されることが多かった以前と比べ、いまは仕事ぶりを正当に評価していただいていると感じています。あと、一緒に暮らしているパートナーとの人生設計が、ようやく立てられるようになりました。会社にパートナー証明を提出して、ふたりとも福利厚生を受けられるようになったんですよ」

今後は、性別適合手術を受け、戸籍を女性から男性に変更し、パートナーと法的に結婚することも考えているという。

岡田さんのデスク。個々の事情に合わせて働き方を調整できるため、退社時刻を示すカードを掲示(撮影:黒坂明美)

総務課採用担当のほか、遺品整理事業のデジタル部門を受けもつ岡田さんも、坂本さんと同じく2018年入社。それまでは、愛知県内の自動車販売会社に13年間勤続していた。トランスジェンダーFtMであることは社内の一部にしか伝えておらず、戸籍通りに女性として働いていたなかで、転職を考えたのは30歳のときだった。

「前職を辞める2年前くらいからマナー研修などで教える立場だったんですが、自分が女性社員に対して、化粧をしなさいとか、お茶はこう出しなさいとか、指導することに違和感を感じて……。女性社員として任された責任を果たせていないように思えて、自分自身を許せなくなったんです。それに、ホルモン治療を始めたこともあり、変わっていく自分を社内でオープンにできるかどうか、長く勤めているからこそ決心がつきませんでした」

そこで、LGBTに理解がある会社を探した先に大橋運輸との出会いがあった。

「以前は、性別に対して引っ掛かりを感じながら働いていたんですが、ここでは何も気にすることなく、思う存分に仕事と向き合えます。弊社が取り組んでいるように、LGBTも外国籍の方も、障がいのある方も、誰もが働きやすいように、どんどん世の中は変わってきています。性別とか、他人との違いを気にせずに働けるいまは、自分の幅を狭めることなく生きていけるのだと、採用の面接にいらした当事者にもお伝えしています」

岡田さんの左胸には、2030年に向けて社会問題や環境問題の解決を目指すSDGsのバッジが光る(撮影:黒坂明美)

職場で得た経験を周囲にも伝えたい

では、職場のダイバーシティ推進に対する、ほかの社員の反応はどうだろうか。

総務課CSV・ダイバーシティ推進室の部坂さんは、アメリカ留学時の経験が大橋運輸へ入社する動機になった。人種の異なる学生たちで協力して、ひとつの作品を作ったことが、とても刺激的で忘れられず、ダイバーシティのある職場で働きたいと思ったのだそうだ。

「就職活動では、経済産業省主催の『ダイバーシティ経営企業100選』から企業選びをしました。ダイバーシティ関連の研修を企画するほか、外国籍社員のための研修資料などの翻訳を担当しています。最近では、ボランティア活動に参加したりすると、地域の方から『大橋運輸って新しいことに取り組んでるね』と言われることもあるんですよ」

地域での認知度が上がっただけでなく、大橋運輸の名は全国的に知られるようになった。他府県からの採用応募や取り組みの相談も多数寄せられているという。

部坂さん(左)と川本さん(右)。20代の彼らにとってダイバーシティのある社会は、もはや当たり前(撮影:黒坂明美)

遺品整理部門でグループリーダーを務める川本さんは、大橋運輸で働くことで自分の認識が大きく変化したと話してくれた。

「社内で実際に会うまでは、LGBTって少し変わった人たちなのかな、と思っていました。でも、2013年に入社してから、研修などで理解を深めて、当事者の方々を受け入れていくなかで、いまは職場にいろんな方がいるのが当たり前になっています」

研修で学んだ知識は、3カ月に1度行われる筆記テストで理解度を確認する。インプットだけでなくアウトプットも行うことで、より理解が深まっていくのだ。

「僕の友人には、いまだに『LGBTって本当にいるの?』なんて聞いてくる人もいて、世の中の理解は広まっているものの、まだまだと感じる部分もあるので、これからは職場で得た経験や知識を友人たちにも伝えていけたらいいなって思います」

ダイバーシティ推進にデメリットはない

記事の冒頭では、厚生労働省の「職場におけるダイバーシティ推進事業」調査によると、約9割の企業が具体的な取り組みへと進めていない、と書いた。

しかし、それでも確実に、一歩を踏み出すための追い風が強まっていると、企業や団体に向けてLGBT研修を行うマーケティング企業、アウト・ジャパンの代表・屋成さんは語る。

LGBTの企業セミナーでは、アライが語ることにも意味があるという考えから、屋成さんは当事者とともに登壇する(撮影:土居麻紀子)

「2016年からLGBT関連の事業の立ち上げに関わり、研修は毎年100回以上開催していますが、2020年度はウェビナーを含め、上半期ですでに100回を超えていました。今日もこのあと、今後取り組みを始める企業向けのセミナーがあるんですが、20社ほどが参加される予定です。『そろそろ、うちもやらなければ』と腰を上げる企業が増えていると感じています」

職場環境における問題としては、LGBTのなかでも特にT(トランスジェンダー)に関する内容が具体的に挙げられることが多い。トイレや通称名の問題がそうだ。

しかしそれは、働き続けるためにトランスジェンダーがカミングアウトせざるを得ず、存在が可視化されやすいからである。外見では判断されにくいLGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル)の問題は見えにくいだけなのだ。

「職場に『私の周りにはいない』という同調圧力のような認識があると、当事者は『自分がそうです』とは言い出せず、我慢して黙っているしかないんです。なかには、黙っていることで相手を騙しているように感じて、罪悪感に苛まれる人だっています」

LGBTアライ企業のステッカーが貼られたPC。「取り組んでいる企業の、ほんの一部です」と屋成さん(撮影:土居麻紀子)

「人口の約8%と言われるLGBTの問題は、92%側が取り組むべきだと考えています。LGBTが、ただ“普通”に働いて生きていくことすら難しいのは、彼らが悪いのではなく、92%側の人間の責任です。だからこそ、アライである僕らが職場を変えていかなければ」

「ダイバーシティ推進は、いまや学生たちの企業選びの指針となっており、企業のブランディングに不可欠となってきています。ひいては社員のエンゲージメントの向上や生産性のアップにもつながるはず。誰でもトイレを用意して迷惑する人はいますか? 通称名でやりとりして困ることはありますか? メリットこそあれ、デメリットはないんですよ」

「周りにはいない」のは、見えていないだけで存在しないのではない。間違いなく約8%は存在するLGBTにとって働きやすい職場環境は、ほかの社員にもメリットを生み出すことができる。変化し続ける現代社会において、企業が今後も成長していくため、ダイバーシティへの一歩を踏み出すときは“いま”なのだ。


吉田けい(よしだ・けい)
1976年生まれ。出版社勤務を経て、現在フリーランスの編集者として雑誌や広告で記事を制作している。主なテーマは住まい、家族、ジェンダー。2018年11月に構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。自らの不妊治療と養子縁組の体験を綴ったブログ『うんでも、うまずとも。』を執筆中。

[写真]
撮影:黒坂明美、土居麻紀子

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