陸上自衛隊の「日報」、森友・加計学園の資料、「桜を見る会」の招待者名簿……。安倍政権では公文書のずさんな管理が次々と発覚した。これらを受け、国立公文書館は、公文書管理の専門家である「アーキビスト」の認証制度を創設することを発表した。今年9月末まで申請を受け付け、来年1月に認証アーキビスト1期生約70人が誕生する。行政による不都合な書類やデータの隠蔽を、防ぐことができるのだろうか。(文:ジャーナリスト・岩崎大輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)
公的な「認証アーキビスト」創設へ
皇居の北側に、日本の近現代を検証するうえで欠かせない歴史的文書が多数収蔵されている建物がある。行政機関で作成された文書=公文書を保存・管理し、2014年までに所蔵量(文書を積み上げた高さ)59キロメートルを誇る国立公文書館だ。
<日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及び関係文書をここに公布する>という一文。さらに、「裕仁」と「内閣総理大臣 岸信介」の署名がある。1960年6月23日に記されたこれは、日米安全保障条約が改定された際の文書だ。また、1945年8月14日に発布され、<朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ……>という一文で始まる終戦の詔書もある。
その公文書館が昨年12月、新たな制度を創設することを発表した。どの公文書を残すべきかを、認定された専門家が判断する「認証アーキビスト」(archives=公文書の意)制度だ。同館首席公文書専門官の幕田兼治氏が言う。
「近年、一連の不祥事を受け、公文書に対する信頼が低下し、行政に対して不信があります。公文書への不信の払拭や信頼回復は霞が関全体で急務です。そこで2018年6、7月に『行政文書の管理の在り方等に関する閣僚会議』が行われました。ここでの議論から、専門的知識を持つ職員を国立公文書館から派遣する仕組みを検討し、アーキビストの役割が注目され、(認証アーキビストが)創設されることとなりました」
認証アーキビストの申請は今月いっぱい受け付けられ、来年1月に1期生約70人を認証し、2026年までに約1000人(認証アーキビスト約400人、実務経験の少ない准アーキビスト約600人)を目標に認証する予定だ。
認証アーキビストは、行政機関が作成した公文書から歴史的な価値を勘案して保存する必要があるかどうかを判断するとともに、適正な公文書管理を支える。公文書の価値を評価する能力が求められるため、政府や自治体で公文書に携わった実務経験がある人、あるいは公文書に関する学術的な研究をした実績のある人が「認証」の対象になる。審査は公文書館のアーキビスト認証委員会の有識者が行う。
ただ、認証アーキビストの創設は、実務に携わる人を増やすことだけが狙いではないと幕田氏は言う。
「『認証アーキビスト』という存在自体が、霞が関(の官僚)全体に公文書に対する意識改革を促せると考えています」
そうした問題意識の背景にあるのが、繰り返されてきた公文書のずさんな扱いだ。
安倍政権で頻発した公文書問題
7年8カ月という憲政史上最長に及んだ第二次安倍政権だったが、この間、繰り返し取り沙汰されたのが公文書をめぐる問題だった。
2016年、南スーダン国連平和維持活動(PKO)での自衛隊の日報について、ジャーナリストが防衛省に情報公開請求したところ、防衛省は「廃棄」と回答したが、隠蔽していたことが翌年発覚した。
2017年にわかった森友学園問題では、翌年、財務省本省の指示で近畿財務局の職員が土地取引の書類の書き換えをしていたことが判明。担当職員は事情を書き置きし、自らの命を絶った。
同じく2017年に明るみになった加計学園問題では、安倍前首相と旧知の仲である加計孝太郎理事長が首相官邸に入っていた疑惑が2018年に持ち上がったが、当該日の官邸の入邸記録は廃棄されていた。
2019年の首相主催の「桜を見る会」問題では、招待者の中に安倍前首相の後援者が大勢含まれていた。招待者名簿は野党議員の資料請求の1時間後にシュレッダーにかけられていた。
このように、安倍政権の後半では毎年のように公文書で問題が起きていた。取材をした毎日新聞社会部の大場弘行記者は、想像以上の隠蔽体質に遭遇したと語る。
「官僚たちは記録をもっているのに、出さない。それは非常に巧妙でした」
隠蔽のやり方はおもに三つ。「公文書を私的文書にすり替える」「文書をつくらない」「文書の存在をわからなくさせる」だ。
2009年に成立した公文書管理法で行政文書の定義は「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書」とされており、保存するのは政策の立案過程が後に検証できるようにするのが狙いだ。しかし、公文書管理の運用に問題があったと大場氏は言う。
「たとえば官僚は政策や法案をつくる際、メールを使って同僚や他官庁と連絡をとるケースが増えているのですが、そのほとんどは公文書として扱われていない。彼らはそれを『私的文書』『電話で話すのと同じで文書じゃない』と言うのです。明らかに公的な業務についてのやりとりなんですが」
官僚はたいていメモをとっていると大場氏は言う。とくに政治家とやりとりをした場合、政策立案に影響があり、何かあったときに身を守るためにもメモで残す。「マル政」案件と隠語で呼ぶが、こうしたメモは公文書としては残されていない。
また、自分たちが作成した文書についての保存と廃棄の基準も曖昧だと大場氏は指摘する。
「公文書の扱いとして、どの文書を1年以上保存し、どの文書を1年未満で廃棄するのかの判断は各府省庁に委ねる仕組みのまま。そのため、担当者たちで恣意的に管理できてしまう。『桜を見る会』の名簿が廃棄されたのも、保存期間が1年未満の文書に分類されている、との理由からでした」
また、「文書をつくらない」というケースにも驚いたと大場氏は言う。2001年施行の情報公開法で、行政文書は開示請求すれば誰でも閲覧できるようになった。だが当然、「存在しない文書」は請求できない。だからこそ、「つくらない」ケースが出てくるようになった。
出てこなかった首相の面談記録
大場氏の情報公開請求で1件も出てこなかったものがある。安倍前首相と各省の幹部との面談記録だ。首相動静を見れば、年間1000件近く首相と省庁幹部は面談していることが明らかだった。また、2017年12月、公文書管理のガイドラインが改定され、重要な打ち合わせをした場合、日時、参加者、やりとりの概要を記録するよう義務づけられた。
しかし、ガイドライン改定後から約1年分、首相と省庁幹部の面談記録を大場氏が請求したものの、1件も出てこなかった。
理由は簡単だった。首相へのレクチャー(説明)の際、総理執務室に入れるのは局長など幹部クラスだけで、メモをとるための随行者は入れないようにされているという。
「官僚側はどう残すのかといえば、執務室に入った局長が省庁に戻り、課長を呼んで、総理から聞いた内容を話して聞かせ、メモにとらせる。つまり、直接執務室にメモ要員は入れないということは、『総理の言動をいちいち残すな』という意思だということでしょう。公文書にするな、と単純に脅すのではなく、メモ要員を執務室に入れさせないことで、官邸の意思を忖度させるのです」
そして、公文書を残しても「文書の存在をわからなくさせる」手法もある。国の制度では、公文書を綴じたファイル名を政府のウェブサイトで公表しなくてはならない。ところがファイルに「イラク人道復興支援」といった具体的な名前を付けず、「報告書」「運用一般」などきわめて抽象的な名前で保存する。これでは第三者が当該文書を探そうとしても、手がかりがつかめない。ただ、この手法については安倍政権で始まったものではなく、2001年の情報公開法施行当時から連綿と官庁で行われてきた慣習だと大場氏は言う。
「こうした『ファイル名ぼかし』を一部の省庁では『丸める』という言い方をします。長く続いてきたことなので悪いと思っていない。その意識自体が問題だと思います」
安倍政権では公文書を軽んじたことで、いくつもの問題が生まれた。だが、国の重要情報を国民に知らせないようにしてきたのは、長く官僚機構の間で浸透していた意識のようにも映る。
なぜなら75年前の終戦時、多くの公文書を焼却するなど、公文書への意識がひどく欠けていた歴史もあるからだ。
公文書焼却で不利になった東京裁判
「公文書管理の違反に対してさまざま議論はありますが、罰則を設ければいいという話ではないと思います」
日本の政治外交史に詳しい学習院大学の井上寿一・前学長はそう指摘する。今年6月まで内閣府の公文書管理委員会で委員を務めた。
「罰則で厳しくすると、かえって文書を作成しなくなる恐れもあります。官僚の公文書管理への意識を大きく変えていかないと、同じことは繰り返し起きうると思います」
井上氏が各国の公文書管理の実情を調べたところ、日本は欧米諸国を始め、韓国、台湾、シンガポールよりもアーキビストの数や予算などで格段に劣ることに気づき、愕然とした。1980年代に井上氏は英国で公文書を調べる機会が多くあったが、当時から英国の公文書の保存と利用は優れていたという。
「たとえば英国の公文書で、1930年代の資料を読めば、重要な政策の意思決定過程が正確に再現できるほどに資料が保存されている。文書作成者のコメントまで残されている。翻って、同時期の日本の資料といえば、たとえば他の省庁と比較すれば記録保存の意識の高い外務省でも、細かいプロセスを再現できるほど資料は残されていません」
そうした公文書の軽視がもっともよく表れたのが、終戦前後の焼却だろう。敗戦が決定的になると、戦争犯罪で裁かれるおそれがあると気づいた陸海軍や内務省、外務省の中枢は公文書の焼却に踏み切った。
だが、こうして公文書を大量に焼却したことで、東京裁判で不利になったこともあると井上氏は指摘する。
「焼き過ぎてしまったということです。反論できる資料があったのに廃棄した。それで反論ができずに罪が重くなってしまいました」
東京裁判では、日本政府は陸軍主導で開戦に踏み切ったと解釈されている。ところが、現在残っている資料を読むだけでも、当時は外務省と陸軍の対立があり、開戦には陸軍よりも海軍の方が積極的だったことがわかるという。
「陸軍トップの東条英機がA級戦犯となりましたが、開戦前は外交交渉で和平の道も探っていました。もっと資料が残っていれば、反論できたはずです。日中戦争が起こるまでの閣議決定はほとんど残っていません。もし残っていれば、廣田弘毅(元首相)も極刑を免れることができたかもしれません。一見すると不利な資料もその他の資料と読み合わせると、本当はこう言いたかったのではないか、やむを得ずこうなったのでは、と多様な解釈につながります。反論できる資料が残っていれば、後世での印象も異なったはずなのです」
公文書はすべて残すべき
前述のガイドライン作成にも公文書管理委員会で助言した井上氏だが、歴史的な検証を確かなものにするためにも、公文書はすべて残すべきだと言う。
「いつ、誰から、どういう指示があったのかを再現できることが公文書を残すうえで重要です。ただし、メールやLINEそのものをすべて残さなくてもいい。その過程でどういう意思決定があったのかというメモを残す。デジタルを利用すれば、もっと簡単にできるのではないかと思うのです」
作成から保存、移管まで一貫して電子的に行う仕組み。政府も提言を受け、現在はデジタルでの一元管理に取り組み始めた。
公文書がデジタル化で利用しやすくなれば、人々の意識も変わる。そうした事例はすでに英国でも起きている。
日英で大きく違う「公文書の認識」
英国市民にとって公文書館は親しみやすい存在だと言うのは、在英ジャーナリストで、『英国公文書の世界史』という著作もある小林恭子氏だ。
「英国は日本と異なり、移民も多く、先祖のルーツを探しに市民が公文書館を訪れることは特別なことではありません。そもそも公文書の認識が日英では違います。たとえば、パブリック=公という言葉を聞くと、『お上』という言葉もあるように、日本では行政機関などを思い浮かべる人が多いかもしれません。ところが、英国では大概の人はパブリックといえば『国民・市民』が浮かびます。公文書はみんなのための資料という認識なんです」
だから、公務員が仕事で残した資料はどのような形でも公文書にあたる、という意識が根づいていると小林氏は言う。
「英国はメディアが権力を監視する意識も強く、かつ政権交代がしばしば起こるので、隠してもいずれ発覚する。隠蔽が発覚すると、メディアや世間からのバッシングは凄まじく、上司や関わった政治家も辞職せざるを得なくなる。緊張感のもとで仕事をし、下手な小細工はできない、という土壌があります」
英国以外でも欧州にはユニークな取り組みがある。フランスでは文化省がアーキビストを各省に派遣するミショネールという制度がある。同国では、省庁側が廃棄と判断した公文書でも、ミショネール(アーキビスト)の指示で公文書館に移管するよう進言できる。日本でも認証アーキビスト制度が広がれば、各省庁や地方自治体などで認証アーキビストが専門的に公文書管理の業務を担うことが目されている。実務の詳細は未定だが、そうなれば、官僚の意識も変わる可能性もある。
日本では少ないアーキビスト育成の大学
前出の井上氏は、短期間で劇的に公文書の扱いが変わるわけではないとしつつ、認証アーキビスト制度の創設に利点はあるという。
「有能なアーキビストの働きによって、官僚たちの意識改革につながる可能性はあります。そもそも現在、日本の大学は全国に700校ほどありますが、そのうちアーキビストを育成できる大学は学習院と九州大学など数えるほどです。もっと増設され、欧米やアジア諸国のように一般の方にもアーキビストが認知されるようになれば、霞が関に残存する『由らしむべし、知らしむべからず』の意識が変わっていくのだと思います」
米国では大統領記録法により、大統領の通話記録、回覧文書は廃棄されずに保管されている。トランプ大統領がビリビリに引きちぎったメモも、記録担当者がゴミ箱から破片を集めて復元しているという。新しく生まれる「認証アーキビスト」は、日本の公文書管理の変化に一役買えるだろうか。
岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
ジャーナリスト。1973年、静岡県生まれ。講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎 「異形の宰相」の蹉跌』『激闘 リングの覇者を目指して』『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』など。