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「客寄せパンダでもいい」新庄剛志、プロ復帰は“70%”の真意

2020/06/08(月) 09:41 配信

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2019年11月12日――新庄剛志の電撃的な“現役復帰宣言”はインスタグラム上でなされた。SNSから発信されたビッグニュースというのも、常に型破りな新庄らしかったと言えるのかもしれない。現在48歳、現役復帰のプランとは?(取材・文:杉浦大介/Yahoo!ニュース 特集編集部)

撮影:京介

48歳、現役復帰をブチ上げた

「みんな、夢はあるかい? 1%の可能性があれば、必ず、できる。今日からトレーニングを始めて、もう1回、プロ野球選手になろうと思います。みんなも何か挑戦しようぜ」

その宣言時点で47歳(現在は48歳)。現役引退からすでに13年が経っている。しかも近年はバリ島に住み、野球から完全に離れた生活をしてきたのだから、普通に考えれば“無謀”と捉えられても仕方ない。中には“野球をなめている”と気分を害するファン、関係者がいても不思議ではなかったのかもしれない。

しかし、何をやってもほとんどのファンからポジティブに捉えられてしまうのは、新庄独特のキャラクターとカリスマ性ゆえか。新庄が再びフィールドを目指す背景には、何より、そのファンを喜ばせたいという思いがあるという。

「みんなの期待に応えたい、もう1回あのグラウンドに立ちたいっていう気持ちから、起きて2秒後にインスタでプロ野球選手になるって発信したんです。まずは自分自身が楽しみたい。そしてみんなを笑顔にさせたい。簡単じゃないし、楽には入れないと思うけど、なんか楽しいんですよ。練習はまあしんどいですけど、しんどさの中に笑顔があるんです」

撮影:京介

インスタライブなどでバリから頻繁にメッセージを送り続ける新庄は、現在、復帰に向けた練習に集中するためにあえて1泊1500円の安アパートに住み、トレーニングに明け暮れる日々を過ごしている。バリには野球の練習に必要な施設は整っていないが、自身のスタイルで感覚を取り戻しつつある。

「休んでいる暇はないよね。釣りにしても、トレーニングひとつとして行っている。買い物にしても、もう歩いて歩いて歩いて、物を見ながらでも歩く。それだけでも全然違ってくる。あとは目にいいブルーベリーのサプリや、インドから注文した目薬やら、いろんなのを試してる。速いボールを打ってないからどんだけ衰えているかっていうのがまだわからないけど、でも俺のセンスなら1週間も160キロくらいの球を打っていれば感覚つかんでくるから」

元スーパースターの再挑戦は大勝負であり大博打。それでもそんな大袈裟なものには感じさせないのが、50歳近くになっても依然として屈託のなさ、天真爛漫さを感じさせるこの人物の魅力なのだろう。今後、6月19日に開幕が決まった日本プロ野球の動向を見据え、オファーを待ち、同時にタイミングを見計らって自分からもアプローチするという。それらが実を結ばなかった場合には合同トライアウトに参加して勝負をかける。風雲児の新たなチャレンジにどんな結果が出るか、それほど遠くないうちに答えが見えてくるのだろう。

撮影:京介

「新庄とバレたくない」。整形手術の理由

阪神でスターダムに躍り出て、メジャーではメッツの4番を打ち、NPB復帰後は日本ハムを優勝に導いた。野球選手としては順風満帆のキャリアを過ごした新庄だが、実は引退後はすべてが順風満帆だったわけではない。

バリ移住の前には信頼していた知人に騙され、10億円以上を横領された一件はすでに大きな話題になった。今でこそあっけらかんと話すが、その時は「(愛犬の)ラナがいてくれなかったら、俺どうなってたんだろっていうくらい人間不信になった」と振り返る。「新庄剛志ってバレたくなくなった。あの件からね。新庄って言われたくない」と“新庄を隠す”ために整形手術までしたというのだから、ショックの大きさは計り知れない。

撮影:京介

2011年には「俺が野球している姿を見るのが毎日の楽しみだった」という父親が死去。現在は姉が筋肉の収縮する難病に悩まされており、「電話とかも持てないから連絡も取れない」状態という。新庄は「俺がテレビに出てたら、姉ちゃんもプレーを見てくれるじゃないですか。可能性は少ないけど、それで治ってくれたら嬉しいなって」と語り、姉の病状も数ある現役復帰のモチベーションの1つになっていることは認めている。

ただ、そういった辛い経験を味わっても、変わらないものもある。持ち前の底抜けの明るさはこれまで通り。頻繁に笑顔を浮かべてプレーするため、メッツ在籍中には批判的になりがちなニューヨーク・メディアをして“シンジョイ(新庄とエンジョイ<楽しむ>を合わせた造語)”と評させた破天荒な新庄らしさは健在だ。

「プロ野球選手になるって言った後から、なんか俺、顔が変わったでしょ。身体もそうだけど、表情と目。さあ何かに向かっていくんだっていう気持ちがあるから目が変わってきた。一番の整形は気持ちなんですよ!」

撮影:京介

NPB復帰の可能性は70%

実際には整形した顔もすぐに元に戻ってしまったというが、それすらも笑い飛ばすだけの度量が新庄にはある。

昨秋の復帰宣言以降、その挑戦の姿勢を真っ向から否定はせずとも、“現実的にはNPB復帰は難しいのではないか”と悲観論を述べる声もある。しかし、新庄本人は「70%はなれる自信がある」と堂々と言い放つ。コロナ禍の後、日本球界に必要なのは自信満々な新庄のような千両役者なのかもしれない。

「(復帰フィーバーが)めちゃくちゃ楽しみですよね。俺が復帰することによって日本では記事になるだろうし、盛り上がってくれるだろうし。いろんな人たちが興味本位で観にくるよね。50前のおっちゃんがグラウンドに立った? なになに、ちょっと観に行ってみるかって」

“客寄せパンダ”でもいい

もともとは実力限定、戦力としての現役復帰にこだわっており、自身の復帰が球団の集客のためだけに使われることには抵抗もあった。だが、コロナショックで考えが変わった。先の見えないパンデミックとの戦いの中で、世界中の人々が苦しんでいる。どんな形でもNPBから関心を得られさえすれば、あとは自分の努力次第でなんとかなると考えている。阪神時代には大震災を、メッツ時代には米同時多発テロ事件を経験した新庄には、自身の存在感とチャレンジ精神で傷ついた人々の心に明かりを灯したいという思いがある。プロ野球開幕を直前に控え、「自らが目指す復帰の糸口はいわゆる“客寄せパンダ”でも構わない」とさえ言い切る。

「トライしたくてもトライできない世の中になっているじゃないですか。そんな中で、みんなに“ちょっと俺も挑戦してみようかな”って思われたらめちゃくちゃ嬉しいですね。もう何万人ものみんなからメールで“僕も挑戦します”っていうコメントは来ているから、それも超嬉しい」

「みんなも前向きに、1日何時間でも、コロナが明けた時にプラスになる勉強やらをやって欲しいですね。24時間中、睡眠8時間、仕事8時間、自由時間8時間のうち、自由時間の1時間を何かに使えばいい。例えば英語を学ぶやら、スポーツを何かするやら……」

撮影:京介

もちろんそれらは言葉で言うほど簡単なことではないのだろう。現在に生きる私たちが、後々まで語り継がれる時間を過ごしていることはもう間違いない。新庄が例に出した震災やアメリカのテロ事件は衝撃的ではあったが、コロナ禍の今ではあの時よりも長期戦を強いられているだけに、ボディブローのようにじわじわと人々が弱らされている感がある。これまで多くの人々の心のよりどころであり続けてきたスポーツが世界中で軒並みストップしたことも、心身の両面で人々に大きなダメージを与えているようにも思える。

ただ、だからこそ、という気持ちが新庄の中にはあるのだろう。世界はもうしばらく元には戻らないかもしれない。そんな現在でも、いや、そんな現在だからこそ、可能な限り前向きに、新しい物事に挑んでいくことに大きな意味がある。

「いつ死ぬかわからないでしょ。それまでに思いっきり自分のやりたいことをやりたい。それが目標。後悔はせずに、いつ死んでもいいですよっていう気持ちのモチベーションを毎日持っていく。今は苦しいけどね。今を乗り越えたら楽しいことがある。でも今がないと、その先はないから。そういう気持ちですね」

これまでも様々な形で人々を驚かせてきた新庄は、開拓者であり、チャレンジャー。いまだに莫大な人気と影響力を誇る48歳の風雲児が立ち止まることはない。後を追いかけてくれるフォロワーたちの先陣を切るように、パンデミックの中でも明るく前に進み続ける。

撮影:京介

新庄剛志 (しんじょう・つよし)

1972年生まれ。福岡県出身。1990年、阪神タイガース入団。1993年、セ・リーグのベストナイン、ゴールデングラブ賞を初受賞。その後、ゴールデングラブ賞10回受賞。2001年、米大リーグ球団ニューヨーク・メッツに移籍し、日本人選手で初めて投手以外の野手として登録。2002年、サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍、日本人選手で初めてのワールドシリーズ出場を果たす。2003年、メッツに復帰。2004年、日本球界に復帰し、北海道日本ハムファイターズに入団。2006年、シリーズ開幕直後に引退宣言。日本ハムを日本シリーズ優勝に導く。2019年11月、プロ野球選手として現役復帰を目指すことを宣言する。6月15日に『もう一度、プロ野球選手になる。』(ポプラ社)を発売する。

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