Yahoo!ニュース

Yahoo!ニュース 特集編集部

「時効廃止で救われた」——大切な人を奪われた遺族たちの10年

2020/04/24(金) 10:21 配信

オリジナル

殺人事件の時効が廃止されてから、ちょうど10年になる。捜査当局は、事件発生からどれだけの年数が経っても犯人を検挙できるようになったが、長期の未解決事件はなかなか解決には至っていない。遺族たちは不安を抱えながらも、「犯人も追い詰められている」と捜査に期待を寄せている。捜査は進んでいるのか。それぞれの思いに迫った。(取材・文:Yahoo!ニュース 特集編集部、取材協力:高橋ユキ)

妹たち4人を殺されて

「なぜ、なんの罪もない4人が殺されなければいけなかったのか。しかも火までつけられて。なぜ、という怒りしかないですね」 

切り花やブーケ、籠いっぱいのお菓子が供えられた仏壇の前で語るのは、天海としさん(57)。16年前、突然の惨劇で妹とおい、めいの4人を失った。

愛知県豊明市の民家に火の手が上がったのは、2004年9月9日早朝のこと。焼け跡から、母親の加藤利代さん(38=当時)、長男の佑基くん(15=同)、長女の里奈さん(13=同)、次男の正悟くん(9=同)の4人の遺体が発見された。利代さんの夫は会社で残業中だった。

事件当日の現場。2004年9月9日撮影(写真:毎日新聞社/アフロ)

(右上から時計回りに)佑基くん、加藤利代さん、正悟くん、里奈さん(撮影:編集部)

4人は刃物で刺されたり、鈍器で殴られたりして殺害された。さらに部屋には大量の灯油がまかれ、放火された。警察は殺人放火事件と断定して捜査を開始。部屋に財布や貴金属類が残っていたことから、恨みによる犯行とみられたが、物証に乏しく、今なお犯人逮捕にいたっていない。

「当初、『すぐ捕まえるから』と警察の方に言われて期待もしていました。でもなかなか難しいようで……。4人を失った心の穴は、日に日に大きくなっていきました」

天海さんにも3人の子供がいる。4歳年下の妹・利代さんとは、子供も交えて頻繁に会い、毎日のようにメールで連絡を取り合っていた。

当たり前だった妹一家との交流がなくなり、大きくなっていく喪失感。天海さんは犯人を捕まえるべく、情報提供を求めるチラシを現場近くで配り始めた。

愛知県警と情報提供のチラシを配る天海さんと母・信子さん。2012年9月(撮影:編集部)

世田谷一家殺害事件の遺族らと活動

事件から4年が経過した2008年末ごろ、天海さんに焦りが出始める。すでに現場の住宅は取り壊されて更地に。人々の記憶から、事件が薄れつつあった。

事件が起こった2004年当時は、殺人罪の時効は15年だった。「あと11年で時効になってしまう。あれだけ残虐なことをした犯人に逃げられてしまう」――。そんな不安に襲われたという。

今は更地に(撮影:編集部))

天海さんは、2009年2月に発足した時効撤廃を求める「殺人事件被害者遺族の会(宙の会)」に入会。世田谷一家殺害事件などの遺族とともに、署名活動や法務省への働き掛けを進めていく。世論も動き、2010年4月の国会で刑事訴訟法が改正され、殺人罪の時効は廃止された。

2010年4月27日、改正刑事訴訟法が衆院本会議で成立(写真:読売新聞/アフロ)

過去15年に起きた殺人事件で未解決のものも、時効廃止の対象となった。遡及(そきゅう)の適用だ。天海さんの事件や1995年7月に東京都八王子市のスーパーで起きた女子高生らの射殺事件など、約370件の時効が廃止された。

「当日は国会の傍聴席で、宙の会のメンバーとともに採決の様子を見ていました。可決されたときは、ただただうれしくて。妹の利代に『天国から見てたよね、やったよ』と言いました」

10年前の法改正について語る天海としさん(撮影:編集部)

時効が廃止され、捜査に期待するも――

殺人罪の時効が廃止されたことで、捜査当局は事件発生からの年数に関係なく、容疑者を特定できた場合は立件できるようになった。最大の不安だった「時効」がなくなったことで、天海さんは「犯人逮捕」を強く期待した。

しかし、事件発生から16年、時効廃止から10年、捜査の大きな進展はみられない。殺害された4人が飼っていた柴犬のジャッキーを天海さんは引き取り、大切に育てていた。そのジャッキーも2016年に4人の後を追った。

元気だったころのジャッキー。4年前、4人のもとへ旅立った。2011年9月(撮影:編集部)

信頼していた捜査員も昨年春に退職。犯人逮捕に向けて一緒に闘ってきた母親もここ数年、体調を崩すようになった。

天海さんは言う。

「本当に犯人が捕まるのか、裁きを受ける人が出てくるのかという不安はあります。エンドレスで逮捕を待ち続けるのは、なかなかつらいです」

それでも、時効が廃止されたことは良かったという。

「本来なら昨年9月に時効を迎えていました。その日、『法律が変わらなかったら犯人は大手を振って社会復帰できたんだ』と思ったら、ぞっとして鳥肌が立ちました。時効廃止で私は救われたし、逮捕へのチャンスをいただいたと思っています。犯人だって時効という『ご褒美』がなくなり、苦しんでいるはず。何かのきっかけで捜査が動くこともあるし、自首する可能性だってある。期待は持ち続けます」

(撮影:編集部)

時効の存在理由とは

刑事訴訟法に定められている公訴時効は、犯罪の発生から一定期間が経過すると、容疑者が判明しても起訴できなくなる制度だ。(1)時間の経過で証拠が散逸する (2)被害者・社会の処罰感情が薄れる(3)処罰されずに一定期間が過ぎた犯人の新たな生活を尊重する――ことなどが存在理由とされる。容疑者が国外にいる間は、時効は停止される。

凶悪犯罪のうち、強盗罪の時効は10年、傷害致死罪は20年となっている。

(写真:西村尚己/アフロ)

殺人罪の時効は明治13(1880)年の治罪法で最初に定められ、当初は10年だった。1908年に15年になり、1世紀ちかく経った2005年に25年に延長された。25年になった要因として、「人を殺しておいて時効が15年というのは短すぎる」という有識者らの批判があった。

そして、2010年に殺人など法定刑に死刑を含む罪の時効が廃止された。宙の会のほか、全国犯罪被害者の会(あすの会)の遺族らから、「区切りがあるのはおかしい」「犯人への処罰感情は、時間が経過しても薄れることはない」との声が上がったことや、DNA鑑定をはじめとする科学捜査の進歩などがその背景にあった。

それまで毎年、40件から60件の殺人事件が時効になっていることも大きかった。

(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

殺人事件の時効がないことを、捜査側はどう受け止めているのか。元警察大学校長で京都産業大学の田村正博教授(警察行政法)はこう語る。

「犯人逮捕の可能性が増えたわけですから、みな時効廃止を前向きにとらえているはずです。被害者の無念を晴らすために捜査をするのが警察。凶悪犯を野放しにしてはいけない。特に犯人が分かっている指名手配事件や重要な証拠がある事件の捜査員は、思いを強くしているでしょう」

(写真:ロイター/アフロ)

時効廃止には反対意見も

一方、時効廃止をめぐっては反対する専門家も多かった。姫路独協大学の道谷卓教授(刑事訴訟法)もその一人だ。

「冤罪が起こる可能性があります。事件から何十年も経過し、事件の目撃者や証言者が既に死亡していれば、被告人は反論の余地がありません。生前の目撃者の供述調書が証拠採用されることもあるでしょう。公平性に疑問があります」

道谷卓教授(写真提供:本人)

10年前、日本弁護士連合会の刑事法制委員会事務局長代行を務め、反対の意見を述べた山下幸夫弁護士は、今も批判的だ。

「時効を廃止したからといって、犯人逮捕の件数が増えるわけではないと思います。容疑者が自首したり、新たな事件を起こしたりしたことで偶然逮捕に至ることはある。しかし、長期間捜査して、解決するかというとなかなか難しい。2005年に殺人罪の時効が25年に延長された後、その検証をしないまま、拙速に時効廃止を進めた国の姿勢は、今でも問題だと思っています」

山下幸夫弁護士(撮影:編集部)

事件から13年半後の逮捕

山下弁護士の言う“偶然”逮捕に至った例は、実際にある。広島県廿日市市で2004年10月に起きた事件だ。

北口忠さんの長女で高校2年生だった聡美さん(17=当時)が、自宅の離れで男に刃物で殺害された。

それから13年半後の2018年4月、容疑者の男(37)が急転直下、逮捕された。別の暴行事件で逮捕された際に採取された指紋とDNA型が、殺人現場に残されたものと同一であることが判明したからだ。男はその後、無期懲役の判決が確定している。

事件解決は当時の“時効内”だった。それでも北口さんは、「時効が廃止されたのはよかった」と言う。 「もし未解決のままなら、時効を迎えた瞬間に何もできなくなります。そんなことは絶対に許されません」

今年3月の初公判で聡美さんの遺影を抱える北口忠さん(撮影:高橋ユキ)

娘を殺害された父親の苦しみ

遺族の中でもう一人、話をうかがうことができた。時効廃止の活動を続けた「宙の会」の発起人の一人で、現在会長を務める小林賢二さん(73)。

時効廃止が正式に決まった2010年4月27日、小林さんも国会の傍聴席に座り、固唾を飲んで審議を見守っていた。

「当日のことは私も鮮明に覚えています。娘の事件の時効が1年4カ月後に迫っていましたから、緊張もありました。無事に賛成多数で可決されたとき、胸が熱くなりましたね。これで娘に報告できると思いました」

小林賢二さん(撮影:岸本絢)

小林さんは1996年9月9日、次女で上智大学4年生だった順子さん(21=当時)を失った。事件現場は東京都葛飾区柴又の自宅。2日後のアメリカ留学を控え、順子さんが一人でいたところ、何者かが侵入し、刃物で刺して殺害。さらに火をつけて逃走したのだ。

自宅前で聞き込みをする捜査員(読売新聞/アフロ)

留学、社会人生活という希望にあふれていた娘を殺害され、深い悲しみ沈む小林さんに、捜査員は「必ず捕まえます。難しい事件ではないから待っていてください」と勇気付けたという。

しかし捜査は難航し、時間だけが過ぎていった。その頃を小林さんは振り返る。

「徐々に膠着状態になってきていることが分かるわけです。警察の方が来てくださる頻度も最初は毎日だったのに、週に1回になり、月に2回になり、だんだんと疎遠になってくる。本当に捜査しているんだろうかという不安も出てきた。そして事件から10年が経って、頭に『時効』の2文字が浮かんでくるようになったんです。時効まであと3年となったときは、時計の秒針を見るたびに、時効へのカウントダウンだと思いました」

2010年から公的懸賞金の対象事件になっている(撮影:岸本絢)

犯人はA型、現場からDNA型も検出

宙の会での懸命な活動が功を奏し、殺人罪の時効は廃止された。その後、事件現場に残された血痕から、犯人の血液型はA型でDNA型も検出されたとの新聞報道もあり、小林さんの期待は再び高まったが、事件は依然として解決していない。

事件現場となった自宅は更地となり、地元消防団の格納庫と順子さんの冥福を祈る「順子地蔵」が立っている。事件を風化させないように家を残したかったが、傷みが激しく、事件から1年半後に取り壊したという。

(撮影:岸本絢)

時効が廃止されて10年。本来ならば時効が成立した殺人事件が、時効廃止の効果で容疑者が逮捕され有罪になったケースは、編集部で調べた限り1件しかない。

1997年4月に三重県のビジネスホテルで起こった強盗殺人事件で、発生から16年後の2013年に元従業員の男が逮捕され、その後無期懲役が確定した。仮に時効が廃止されていなければ、12年に時効が成立していた。

この10年間で1件という現状に、小林さんも悔しさをにじませる。
「明治以来130年続いた悪法が改正され、時効が廃止されたのに、その効果が残念ながら出ていません。遺族が求めるのは当然ながら事件の解決です。1人でも多くの犯人が捕まってほしい」

「それでも、希望を持って過ごします」

事件の解決を願う一方、小林さんは2011年から、愛娘を奪われた体験や命の尊さを中学生に伝える講演を70回以上行ってきた。また、国が遺族への損害賠償を立て替えた上で加害者に請求する「代執行制度」の実現を目指す活動も進めている。一昨年、脳の近くにがんが見つかり大きな手術をしたが、歩みを止めない。

小林さんに改めて、時効廃止について聞いた。

「私の事件は今年で24年を迎えます。これだけ長く待っていると、不安になるときもあります。でも昨年、警察が捜査を続けていることを知人から聞きました。捜査員に久々に会って『まだやってくれてるんじゃん』と言ったら、『やっていますよ』と。それこそまさに、時効廃止の効果だなと。残念ながら法改正前に時効が成立してしまったご遺族もいますが、われわれを応援してくれています。希望を持って過ごしていかなければと思っています」

(撮影:岸本絢)

未解決の殺人事件は、全国で400件以上にのぼる。事件発生から時が経つにつれて、難しくなっていく捜査。だが、捜査員の力と科学技術の進歩で、1件でも多くの難事件が解決することを小林さんは願っている。


社会の論点 記事一覧(36)