水の事故は毎年繰り返されている。増水する川に近づいていたり、ライフジャケットを着けていなかったり。防げたはずのケースもある。もし、あなたが遺族の一人だったら、どうしているだろうか。大切な子どもを失いながら、事故の原因がなかなか明らかにならず、再発防止にも役立てられないとしたら――。そんな体験をした夫妻がいる。2012年7月、5歳だった吉川慎之介君が愛媛県西条市の川で亡くなった。幼稚園の行事中に起きた鉄砲水。救命用具の用意はなかった。「二度と事故が起きないように」と活動を続ける両親の軌跡を追った。(文・写真:笹島康仁/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「お母さん、落ち着いて聞いてください」
「石鎚ふれあいの里」は、西条市中心部から車で約30分の加茂川上流にある。今年6月の平日に訪ねると、まだ肌寒かった。人影は少なく、遠くの河原で親子らしき2人組が遊んでいる姿が見えるだけだ。
空は厚い白い雲に覆われている。気が付くと、2人組の姿は消えていて、川のそばの民家の前に、子ども用のピンク色のライフジャケットが干してあった。
7年前、ここにライフジャケットはなく、この川で慎之介君は亡くなった。
気象庁のデータや裁判記録などによれば、事故があった2012年7月20日、西条市の最高気温は33.6度だった。午前中の雨も上がり、晴れていた。
学校法人ロザリオ学園「西条聖マリア幼稚園」によるお泊まり保育は、予定通りに行われた。引率は園長と教諭ら計8人の女性。年長園児は31人で、その1人が慎之介君だった。
事故は午後3時半ごろ、川遊びの終盤、次の「スイカ割り」に移ろうとした矢先に起きた。
急に水流が速まり、水かさが大人の腰くらいにまで達した。川にいる園児を引率の大人たちが慌てて助けようとする。ある教諭には慎之介君を含む数人の子どもがしがみついた。しかし、あまりの急流にこの教諭自身が流されてしまう。教諭やほかの園児は助けられたり、自力で岸にたどり着いたりしたが、慎之介君はそのまま流され、やがて、約150メートル下流で川に沈んでいるところを発見された。
母の優子さん(47)には午後4時半ごろ知らせがあった。携帯電話から女性教諭の声が聞こえた。
「お母さん、落ち着いて聞いてください。慎之介君が鉄砲水に流されました」
優子さんは振り返る。
「あれから本当にいろんなことがありました。慎ちゃんが死んじゃっただけでも大変なのに、何度も心が砕けそうになりました」
「何も言えません」を何度も聞かされ
吉川さん夫妻は今、神奈川県鎌倉市に住んでいる。事故の翌年、夫の豊さん(49)の転勤で関東に移ったという。
2人はまず、事実がなかなか明らかにならないことに驚いたという。
「遺族がまず知りたいのは、どういうふうに亡くなったのか、どうして亡くなったのか、ということ。幼稚園に聞いたら、いろいろと教えてくれると思うじゃないですか」
実際は違った。
事故後、優子さんは何度も園に問い合せた。ところが「何も言えません」の一点張り。県や市といった行政機関が事故調査委員会を立ち上げることもなかった。公立の幼稚園ではなく、私立だったからだ。結局、保護者らが求めた事故調査を園側が行うことはなかった。
2人は「待っていても時間が過ぎていくだけ」と考え、ほかの保護者や専門家の力を借りながら、独自に事故の調査を進めるしかなかった。
普通、事故の状況は警察の捜査や裁判を通じて明らかになることが多い。それにならって、吉川さん夫妻らも、現場検証や子どもたちへの聞き取りを重ねた。それでも、警察の捜査にはかなわない。刑事裁判の過程で目にした捜査記録には、豊富な写真資料とともに事故当時の様子や園側の安全管理体制などが克明に記録されていた。
「霧が晴れたようでした」と優子さんは振り返る。
「一番頭に残っているのは、遺体の写真です。事故直後はちゃんと見れていなかったみたい。慎ちゃんの体を見て、ああ、すごく苦しんだんだろうなって」
優子さんは「捜査記録を公表したい」と考えた。社会に共有すれば、再発防止につながるヒントが詰まっていると感じたからだ。しかし、検察官には法律を理由に断られた。「公表すれば、あなたが逮捕されますよ」と告げられたという。
「先生が『安全』教わっていない」ならば……
事故後、元園長や教諭ら計3人は業務上過失致死傷罪に問われ、2016年6月、元園長に対する罰金50万円の有罪判決が確定した(教諭2人は無罪)。
判決は、園には子どもの生命・身体を守る義務があり、当時の天候や地形から増水は予見できたのに、情報収集をしなかったこと、救命用具の準備を怠ったことなどの過失を認めている。一方で、求刑の罰金100万円を下回る判決になった。個人に対する厳しい刑罰よりも、ガイドラインづくりなど「個人の努力を超えた部分での安全対策の中で、個々の教諭が注意義務を果たす」べきだとの理由だった。
2018年12月には民事裁判の判決も確定し、裁判所は吉川さん夫妻の損害を約6264万円と認定した。
法廷でのやりとりが終結するまで6年5カ月。この間、夫妻には納得できないことがいくつもあった。例えば、愛媛県の職員には「『安全、安全』ばかり言っていては、保育士のなり手がいなくなりますよ」と言われた。裁判で園側が「教員免許課程で安全については教わっていない。だから責任はない」と主張したことにも驚かされた。学校の事故に関する争いでは、同じような主張が繰り返されていることも知った。
「『園や学校が安全じゃない』と思っている親はいないのに」と思ったという。
吉川さん夫妻は2014年に「吉川慎之介記念基金」を設立し、水の事故の予防に向けた活動を続けている。豊さんは「教える場がないなら、自分たちでつくろうと思った」と話す。
さらに、事故後に保護者らでつくった「吉川慎之介君の悲劇を二度と起こさないための学校安全管理と再発防止を考える会」を発展させる形で、夫妻は「日本子ども安全学会」を立ち上げた。「子ども安全管理士」という資格も創設した。安全管理や事故予防、事故後の対応について、医療・教育・法律などの専門家や遺族らから学ぶ講座を開き、子どもの安全に関する専門家の養成を目指している。
「子ども安全管理士」の試み、全国に広がる
吉川さん夫妻の手掛けた活動は、少しずつ全国に広がってきた。その一つが、長崎県大村市による試みだ。
大村市は2017年度、吉川さんらのつくった資格を基に、「子ども安全管理士」を市が独自に認定する仕組みをつくり上げた。NPO法人「Love&Safetyおおむら」が実施を担い、年10回の講座を開催。多くの保育士や教員が認定を受けようと足を運んでくる。
この6月の講座は「法律」がテーマだった。弁護士の石井逸郎さんが登壇し、子どもの安全に関わる法律や裁判例を紹介していく。
石井さんによれば、1994年に子どもの権利条約を日本政府が批准して以降、子どもの安全を取り巻く法的な環境は変わってきたという。特に大きかったのが、2009年に施行された学校保健安全法。教育機関を設置する国や地方自治体などの責任を明記し、教育機関に対しては、地域の実情に応じた対策や「学校安全計画」の策定などを義務付けた。
東日本大震災で多くの子どもが犠牲になった大川小学校(宮城県石巻市)の裁判では、2018年の高裁判決において、危機管理マニュアルの改訂などを怠ったとして、学校や市教委の過失を認めた。根拠の一つになったのが、この法律である。
2019年度からは、教員免許を取るための教育課程にも「学校安全への対応」が組み込まれた。
石井さんは言う。
「『子どもが好き』だけでは保育士、教員にはなれません。教えられてないから責任はない、ということは法的にはもうあり得ませんから。万が一事故が起きると、組織だけではなく個人も責任を問われる。このことを知らない人があまりに多いと思います」
「7年前と今は違う」
事故予防を学ぶ取り組みは香川県丸亀市でも始まっている。2018年に発足した「子ども安全ネットかがわ」はこの6月にシンポジウムを開き、登壇した専門家らがプールで起きたさまざまな事故を分析しながら、「『目を離さないで』だけでは不十分。十分な準備と安全体制を」などと訴えた。
慎之介君の母・優子さんは言う。
「水の事故のニュースを見る度に、何も変わらないのかな、と暗い気持ちになる時はあります。でも、振り返ってみると7年前とは全然違って、水の事故に対する意識は確実に高まりました」
多くの人の協力を得ることができた、と吉川さん夫妻は振り返る。慎之介君の友だちやその親たち。遺族の訴えに耳を傾けてくれた検察官、裁判官。大学教員や弁護士、同じような思いをしてきた遺族たち……。
事故の現場だった西条市にも思いの通じた人がいた。市経営戦略部長の越智三義さんはその一人。当初から「事故は絶対に風化させない」と約束してくれたという。
事故後、市の主導により、私立と公立の幼稚園が連携できる連絡会を設立した。慎之介君の通った幼稚園も参加している。2018年度からは、吉川さん夫妻と協力して、子ども用ライフジャケットの無料貸し出しも始めている。
「個人の熱意が動かす」ではなく「制度」を
遺族がけん引する事故の再発防止活動は、各地にある。それは「水の事故」に限らない。ただ、「遺族の思い」や「個人の熱意」に頼るのではなく、事故を防ぐ「制度」を社会でつくり上げようと考える人たちもいる。
「CDR(Child Death Review)」に着目し、日本への導入を訴えているのが、横浜市の小児科医・山中龍宏さんだ。CDRは、子どもが死亡した際、その事故や事件を検証して情報を共有し、同じような死を防ぐ仕組みだ。欧米では法的根拠を持つ「制度」として運用され、子どもの事故死の減少に大きな成果を挙げているという。
NPO法人「Safe Kids Japan」の理事長でもある山中さんは、こう言う。
「日本では『子どもから目を離さないで』という注意喚起で終わりがちです。でも、動き回る子どもから一瞬も目を離さないのは無理。事故を防ぐ仕組みを考えなければなりません」
山中さんは「これを見てください」とノートパソコンのキーボードをたたき、「Safe Kids Worldwide」(本部:米国)が制作した動画を見せてくれた。
ボタン電池をのみ込んだ幼児の母親へのインタビューだった。どういう状況で子どもが電池をのんでしまったのかを語っている。
山中さんは「日本では、家庭内の事故がほとんど表に出ませんが、再発防止には当事者の声が一番効果があるはずです」と指摘する。
「家庭外の事故に比べ、家庭内の事故はもっと隠れてしまう。親たちは自分を責めてしまい、事故の情報はなかなか共有されません。でも、再発を防ぐためには、客観的な検証が必要です。責めるだけでは事故はなくなりませんよ」
「遺族に対話はできないから」
慎之介君を亡くした吉川さん夫妻は、あの事故の後、園や教諭らとはほとんど接触できていない。園が命日に行う慰霊行事の案内は、吉川さん夫妻の元には届かない。「本当は先生たちと話したい。裁判が終わった今だからこそ対話をしたい」と優子さんは言う。現場にいた教職員の証言が一番、再発防止につながると考えているからだ。CDRの必要性も感じているという。
豊さんは少し考えて、首を横に振った。
僕には、対話はできないよ、と。
「今でも胸の中は、息子を奪われた怒りでいっぱいです。どうしたって感情的になってしまいます」
夫の言葉に、優子さんもうなずく。
「だから、ちゃんとした仕組みが必要だよね。今の日本には、責任を追及する仕組みは裁判であるのに、事故原因を探り、再発防止策をつくっていく仕組みがない。当事者になって初めて知りました」
豊さんは「みんな思いは同じですよ」ともう一度口を開いた。
「子どもを亡くした親たちが思うのは、子どもの死を無駄にしたくない、それだけです。活動の形は変わっても、この思いは変わりません。子どもを守ることを中心に考えた、社会の仕組みができればいいと思います」
慎之介君の遺影のそばには、「子どもたちにライジャケを!」の文字を添えたイラストがあった。ライフジャケット着用の啓発活動を続けている男性が作ったという。吉川さん夫妻も、このイラストを広めている。「ライフジャケット一つで救える命がたくさんある」との思いからだ。
イラストの下にはこんなメッセージが添えてある。
〈思いはただ1つ…子どもたちの命を守ること。〉
笹島康仁(ささじま・やすひと)
1990年、千葉県生まれ。記者。高知新聞記者を経て、2017年に独立。
最終更新日時:2019年8月2日5時45分