「戦争のない時代」として、平成が終わろうとしている。かたや世界に目を向ければ、この30年で戦争が絶えた時期は一度としてなかった。戦争と平和。それらを情報・コミュニケーションの観点から読み解くと、何が見えてくるのか。そんな発想から、これまで戦争に活用されてきたコミュニケーションの技術を平和構築に生かそうとするアプローチがある。(鈴木洋平/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「情報・コミュニケーション戦」という“もう一つの戦争”
2017年7月、アフガニスタンの首都カブール。その街中で銃声が鳴り響いた。
「タクシードライバーが、警察が制止するのを無視してそのまま車を飛ばし、警官によって射殺されたんです。私がいた建物の目の前で起きたことです。あとで聞いた話によれば、ドライバーは自爆テロを企てていたそうです。もし警官が彼を射殺しなければ、大惨事になっていたかもしれない」
この事件が発生した当時、アフガニスタン人のモハメド・アリさん(29)は勤務先である少数言語を研究する機関が入っている建物にいた。機関には、米国人の研究者も何人かいたという。そのためにこの建物が狙われていたのかどうかは分からない。ただ、こうしたテロによる危険は「日常茶飯事だった」とアリさんは話す。
アフガニスタンでは、これまでにテロや戦争によって大勢の一般市民の命が失われている。その被害を生んだ攻撃は誰によるものだったのか。その情報をめぐる争いも常にある。
「例えば、米軍に比べて戦力で劣るタリバンは民家に侵入し、米軍が攻撃することを躊躇させます。民家からタリバンが攻撃を仕掛けることもあり、米軍に銃撃し返されれば、『米軍の銃撃によって多くの国民が被害を受けた』とSNSで拡散して、民衆の支持を得ようとする。そうして、その後の自分たちの攻撃を正当化しつつ、米軍がアフガニスタンに介入することに正義がないと民衆に印象づけようとしていました」
攻撃の正当性を主張していけば、その攻撃を仕掛けた側が支持を得ていくことにつながる。戦争当事者の間には、物理的な戦闘行為だけではなく、情報・コミュニケーション戦が存在している。そんな“もう一つの戦争”によって喚起された国際世論が、実際の戦局を左右するケースもある。
「銃弾よりも大きな力を持つ」
「戦争における情報戦は、国際的には銃弾よりも大きな力を持つようになっている」――。
そう語るのは、現在NHKグローバルメディアサービスでプロデューサーを務める高木徹さん(53)だ。高木さんは著書『ドキュメント 戦争広告代理店 〜情報操作とボスニア紛争〜』で、旧ユーゴスラビア解体に伴う紛争において情報戦が与えた影響を詳(つまび)らかにした。
1992年、多民族国家ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に紛争が勃発。ボシュニャク人(ムスリム)、セルビア人、クロアチア人らの民族間で3年半以上にわたって戦闘が繰り広げられ、20万人が犠牲になったとされている。凄惨な虐殺の実態などが報じられると国際社会の批判が高まり、米国の主導で95年に和平合意が締結され、内戦は終結。ボスニアはセルビア人主体の「スルプスカ共和国」と、ボシュニャク人とクロアチア人主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つの体制が併存する形になった。
紛争の当初はセルビア人勢力が軍事的に圧倒していた。ところが、ボスニア政府がルーダー・フィンという情報戦略のプロフェッショナルであるPR会社を起用したことで戦況は一変する。
「(ボスニア政府の依頼を受けた)PR会社は、セルビア人がボシュニャク人を迫害していると、『民族浄化』のキャッチコピーとともに世に訴えた。そうして被害者としてのボスニアのイメージをつくりあげていったんです」
「国際社会で何をどのように問題とするか。つまり、アジェンダセッティングです。ボスニア紛争では、情報戦という“PR戦争”が国際世論の形成に大きな影響を与えた。『泣かない赤ちゃんはミルクをもらえない』ということわざがボスニアにありますが、このとき、ボスニアはまさに泣くことで国際世論を味方につけたんです」
一方的な悪役に仕立てあげられたセルビア側もPR会社との契約を画策し、情報戦による反撃を試みたという。だが、すでに国際的に定着したイメージを覆すことはできなかった。情報戦だけが戦局を決定づけたわけではないが、国際世論がボスニア側に傾いたことが、旧ユーゴスラビアへの経済制裁や国連追放、NATO(北大西洋条約機構)軍によるセルビア人勢力空爆につながっていった。
「情報戦の影響を抜きに、現代の戦争は語れない」と高木さんは話す。近年その動向は顕著になっているという。
IS(イスラム国)やアルカイダといった過激派のテロ組織は、自前のメディアを立ち上げ、「グローバル・ジハード」という思想を世界中に流布している。「対テロ戦争」を掲げる米国はじめ主要国も、自国が加担する戦争の正当性を主張することに余念がない。
「SNSが浸透していくにつれて、情報戦が戦争に与える影響はますます強まっています。憎悪の共感は、SNSを通じてより簡単に広がっていく。戦争におけるメッセージはこれまで以上に伝わりやすくなっているといえます」
伝わりやすい戦争と、伝わりにくい平和
そもそもなぜ、戦争において情報・コミュニケーションが活用されるのか。
数々の戦争や紛争の現場を渡り歩き、紛争処理や武装解除に当たってきた伊勢﨑賢治さん(61)は「戦争はプロパガンダによって起こるもの」と語る。
「多くの戦争が民主主義体制の下で、正当な手続きを経て選択された結果として起こっています。ヒトラーでさえ、ナチス・ドイツの素晴らしさを国民にアピールし、選挙によって民主的に選ばれた。その後の戦争も国民が支持したものです」
政権を掌握したナチス・ドイツは、大統領緊急令の連発などで反対勢力を抑え込み、言論を封鎖して権力を強化していった。その過程で人々の戦意を高揚させ、戦争への支持を得る。そうした情報・コミュニケーションは、国民を戦争へと駆り立てるプロパガンダとして活用されてきた。
「つまり、戦争はつくられるものなんです」と話す伊勢﨑さんは現在、東京外国語大学大学院 総合国際学研究科 世界言語社会専攻 Peace and Conflict Studies コース(以下 PCS)で教鞭を執る。
前出のアフガニスタン人のアリさんも、PCSに籍を置く留学生だ。アリさんのような紛争当事国出身者を主な受講対象とするPCSからは、2004年の開講以来、実務家として活躍する人材が100人以上輩出してきた。
自身も実務家である伊勢﨑さんが教えるのは、どのように紛争が起こり、国際社会はどんな関わり方をしたのか、それがどういった結果をもたらしたのかということ。平和よりも戦争や紛争に焦点を当てている。
「平和というのは、やはりアンチテーゼでしかないと思うんです。戦争を語らずして平和は語れない。たいていの戦争は平和を守るため、少なくとも、それを口実に始められることが圧倒的に多いですから」
その口実がプロパガンダであり、それによって多くの人が戦争に駆り立てられていくことを伊勢﨑さんは「戦争は“セクシー”だから」と表現する。
「大義のために戦うとか、命を懸けて戦うことは格好良いじゃないですか。暴力というのも人を惹きつけてしまう魅力がある。僕が武装解除などで関わったシエラレオネの紛争では、反政府組織が若者を動員するために、ファッション感覚で戦うことのイメージをつくりあげていました」
戦争の持つ“セクシーさ”は過去、情報・コミュニケーションのあらゆる技法を駆使して伝達され、プロパガンダの主軸を担ってきた。
では、こうしたコミュニケーションの技術を「戦争」ではなく、「平和構築」に生かすことはできないのか――。
戦争や紛争に直接携わるうち、そんな思いを抱いた伊勢﨑さんは、10年ほど前に伊藤剛さん(43)にカリキュラム開発を依頼し、コース内に「ピース・コミュニケーション」という授業を立ち上げた。伊藤さんは、平和学者や戦場ジャーナリストではない。企業や行政、NPOなどの課題をコミュニケーションデザインによって解決するクリエイターだ。
ピース・コミュニケーションのカリキュラムは、メディア構造やプロパガンダ史、そして平和教育まで、あらゆるトピックをコミュニケーションの観点からひもとく内容で構成されている。
実際の授業も担当する伊藤さんは、戦争と平和について「コミュニケーションの観点からすると、戦争は伝わりやすく、平和は伝わりにくい」と話す。
「例えば、“War(戦争)”と“Peace(平和)”を検索エンジンで画像検索してみると、戦争には絵になるものがあり、具体的なイメージが出てきます。一方の平和には絵になるものがない。つまり抽象的な概念なんです。それが何を意味するのかといえば、コミュニケーションとして伝わりにくいということです」
戦争は目に見える形として存在するからこそ、恐怖のイメージを訴求しやすい。その「伝わりやすさ」が、情報戦に活用されてきた理由でもある。
「伝わりにくい平和」をどう伝えるか
伊藤さんが続ける。
「ピース・コミュニケーションの出発点になったのは、平和構築においてコミュニケーションを生かす視点があまりに欠けていたことです。多くの人が正しいことは伝わると思っている。ただコミュニケーションの観点からいえば、正しいか否かは伝わる理由にはならないんです」
伊藤さんがつくるカリキュラムでは、実際の戦争や紛争を通じて、双方が求める「正しさ」が伝わらない理由を考え、議論することを取り入れている。
授業を受けたアフガニスタン人のアリさんは、捕鯨をめぐるNHKの番組『鯨の町に生きる』を取り上げた授業の場面を回想する。
和歌山県太地町は、伝統的な捕鯨やイルカ漁で知られる。しかし近年、捕鯨に反対する海洋環境保護団体などが激しい抗議運動を展開し、町は捕鯨をめぐる国際紛争の舞台と化している。
授業では、捕鯨反対の目線で描かれた映画『ザ・コーヴ』と、伝統としての捕鯨を行う漁師やその家族らの葛藤に迫ったNHKの番組を視聴する。真逆の立場を理解し、双方が求める平和とは何かを考えさせるのが狙いだ。
一方は、捕鯨は悪だとして何とかやめさせようとし、もう一方は、捕鯨を伝統と文化と捉えて納得してもらおうとする。授業を通じ、アリさんは自らの体験と通ずることを感じたという。
「自分たちが正義だと思っていることが、相手の視点に立ってみると違うものに映るんだと痛感したんです。でも、それがぶつかり合ってしまう。自分が体験した戦争にも当てはまるのかもしれないと思いました」
平和を伝える上では、コミュニケーションの原理を理解することが欠かせないと伊藤さんは話す。情報伝達というコミュニケーションでは、常に情報の受け手側が主導権を握っている。一方にとっての正しさは「伝わる」理由にならず、むしろ争いを助長することにもなりかねない。だから授業の根底にあるのは、「相手の前提に立つ」という視点を導入することなのだという。
「『伝えている』のに『伝わっていない』ことの代表格がまさに平和であり、その伝わらない理由を考えるためには、敵対する相手の視点から眺めてみるしかない。正しさではなく、その前提を擦り合わせることがコミュニケーションなんです」
アリさんと同じく授業を受けたファフーム・ディマさん(25)は、イスラエル国籍のアラブ人というルーツを持つ。住んでいた街が砲撃を受けるなど、「戦争」を体験しているディマさんにとって、コミュニケーションの観点から戦争を考えることは「とても実用的な考え方だと感じた」と話す。
ディマさんは、ヘブライ語とアラビア語を理解できる。二つの言語で書かれたメディアを読み比べると、同じ出来事でもトーンがかなり違うことに気付いたという。
「ユダヤ人とアラブ人は、同じ地域に住んでいてもお互いのことをほとんど知らず、メディアや周囲の人から聞いた情報しか持ち合わせていません。私が経験したイスラエル・パレスチナの紛争も、コミュニケーションが紛争を長引かせる要因になっているんです」
ディマさんはこうも言う。
「授業を通じて、平和はとても主観的で、表現するのは難しいことだと学びました。クラスのみんなが思い描く平和も人によってバラバラでしたから」
「伝わりにくい平和」をどう伝えるか――。
それは、紛争当事国だけでなく、戦後74年が経ち、「戦争のない時代」として、平成が終わろうとしている日本に向けられた問いでもある、と伊藤さんは言う。
「平和を伝えるアプローチは、戦争被害者の語りに大きく依存しているのが現状です。戦争の悲惨さを伝える場所を訪れて、戦争被害者に話を聞く。そうしたコミュニケーションがこの先数十年で成立しなくなり、今後どのようにして平和を伝えていくべきかということも問われていると思います」
伊藤さんは、日本におけるピース・コミュニケーションとして、新たな平和教育のコンテンツをつくることにも取り組んでいくという。
「『戦争はダメだ』『平和は大事だ』と説く教育アプローチはあっていいし、大切なことだとも思います。戦争と平和という選択肢があれば、多くの人が平和を選ぶ。にもかかわらず、世の中から戦争はなくなっていない。だからこそ、どのように戦争が起こるのかを学ぶことも必要なんです」
「これから何をどう語り継いでいくか。戦争におけるコミュニケーションからヒントを探り、どのようにして平和に活用できるかを模索していきたいと思っています」
鈴木洋平(すずき・ようへい)
1988年生まれ。編集・メディア専門誌の『編集会議』や広告・マーケテング専門誌の『宣伝会議』などの編集者を経て、2018年より“社会の無関心の打破”を掲げる社会問題に特化したメディア「リディラバジャーナル」の記者。さまざまな社会問題の現場を取材している。
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
撮影:塩田亮吾