今年10月に実施される消費税の10%への引き上げまで約半年となった。同時に導入が予定されている軽減税率制度では、外食や酒類を除く飲食料品が現在の税率8%に据え置かれる。低所得層の税負担を軽減させるためとされる制度だが、事業者にとっては複数の税率が混在する煩雑さと小売り現場での混乱が懸念されている。また、最悪の事態として、中小零細事業者の廃業が進むと懸念する人もいる。いま事業者はどう受け止めているのか。(Yahoo!ニュース 特集編集部)
お客さんに「2%分払って」とは言えない
日が暮れて、明かりがつくころになると、ぼちぼちと人が集まってくる。東京・阿佐谷の商店街で大正13(1924)年から続くという酒屋「酒ノみつや」。
主に日本酒を各種販売する店舗だが、店の奥に10畳ほどの簡素な立ち飲みスペースがある。ビールケースとベニヤ板でつくったテーブル。仕事帰りの客たちは、店内で酒と数百円の缶詰を買ってから、中で飲んでいく。
だが、今年10月以降、店側も客側も少し戸惑うかもしれない。消費税が8%と10%の複数税率となるからだ。缶詰の場合、持ち帰りだと8%だが、立ち飲みスペースでそのまま食べるなら10%と、消費税率が異なるのだ。一方、酒類はどちらでも10%と変わりない。
では、客が「持ち帰り」と言って購入した缶詰を、そのまま立ち飲みスペースで肴にした場合はどうなるのか。酒屋の3代目の三矢治さん(56)は苦笑いを浮かべる。
「それはもう仕方ないよね。後からお客さんに『2%分の数円を払って』とは言えないでしょう」
今年10月、消費税は8%から10%に引き上げられる。消費税はあらゆる消費活動に広く課税されるため、安定した財源となる。一方で、食費など一定の消費は誰もが避けようがないため、所得の低い人ほど相対的な負担が大きくなる。これは「逆進性」と言われる。
軽減税率はその逆進性を緩和するための制度で、現在二つの分野で適用が検討されている。「外食と酒類を除く飲食料品」と「週2回以上発行される定期購読の新聞」だ。どちらも現行の8%に据え置かれることになっている。
一つ100円の商売で税率を分けていられない
小売りの現場で混乱を懸念する声が聞こえているのが「飲食料品」だ。
例えば、牛丼を「店内(イートイン)」で食べれば消費税は10%だが、「持ち帰り(テイクアウト)」だと8%になる。同じ商品なのに、食べる場所が違うだけで税率が異なる。
そばやピザなどの「出前」は8%だが、パーティー会場などの「ケータリング・出張料理」は10%だ。このほか、水道水は10%だが、店舗で買うミネラルウォーターは8%になる。
イートインとテイクアウトの線引きには曖昧さがあるうえ、似たような商品でも税率が異なるという状況がある。複数税率により、便乗値上げやレジでの混乱も予想されている。
阿佐谷の商店街をさらに歩いた。
その一角に老舗の和菓子店がある。一つ100円から百数十円の団子や大福といった和菓子が売られ、常連とおぼしき高齢者が立ち寄っていく。店内には、その場で座って食べるためのベンチもある。ベンチで食べる人はイートインとして10%の消費税、持ち帰る人は8%の消費税となるはずだ。
仕込みをしていた30代の職人に会計をどう分けるか尋ねると、ぶっきらぼうに「面倒なので、同じ価格でやります」と答えた。
「一つ100円、200円の細かい商売で、そこまで対応できませんよ。カードなどのキャッシュレス対応? 決済会社に払う手数料を考えれば、100円の商品で、いちいちそんなことできない。もし(経理処理について)税務署から指導があれば、そのときに考えます」
飲食料品を扱う業者はすべて税率を分けなければいけない
実際、事業者側の負担は小さくない。
事業者は「売り上げと一緒に預かった消費税」から「仕入れや経費で支払った消費税」を引いて、消費税を納付する必要がある。「仕入れや経費で支払った消費税」を差し引くのは控除するということだが、控除をするためには、定められた書式を使って帳簿や領収書を保存しなければならない。
軽減税率が導入されると、8%と10%という二つの税率を把握するため、請求書や領収書の記載事項に、税率を区分したものを追加しなければならない。2019年10月1日から2023年9月30日までは「区分記載請求書等保存方式」が導入される。経過措置だが、この方式では税率を区分した様式の請求書や領収書が必要だ。
注意すべきは、ここで関係する事業者は小売りの飲食業者だけではないということだ。例えば、飲食料品を扱う事業者には、小売り以外にも卸、製造業などがあり、そうした事業者でも同じく税率を区分したレジや受発注システムが必要になる。また、飲食料品を扱っていない事業者でも、会議費や交際費といった経費として仕出し弁当などの飲食料品を購入する場合、区分した納税の対応が必要だ。
ある事業者が飲食料品を購入して送る場合はこうなる。「送料別」であれば、送料に10%、本体の飲食料品に8%の消費税。しかし、「送料込み」で「別途送料を求めない場合」であれば全体で8%となる。こんな複雑な仕組みに、あらゆる事業者が対応しなければならない。
東京商工会議所は昨年秋から、講習会やセミナーを開き、周知に躍起だ。安倍晋三首相が同年10月の臨時閣議で、消費税率の10%への引き上げを表明してから、加盟している事業者が慌てだした。
東京商工会議所・中小企業相談センターの担当者は「1年前は800人のホールで参加者が十数人という状況でしたが、現在、100人の会場が満員になるほど」と話す。
それでも、2019年初春現在、「準備できていない事業者が多い」。同会議所には「会計負担が重い」といった相談が寄せられている。同会議所は「混乱をできるだけ少なくするよう、商工会議所として努力しているが、地場の商店への影響は大きなものになりかねない」という。
そんな混乱が景気を悪化させると警鐘を鳴らす国会議員もいる。
「軽減税率は中小零細企業の廃業促進税制ですよ。かえって景気を悪化させる愚策です」
元財務官僚で国民民主党の玉木雄一郎代表はこう断言する。
中小事業者は敬遠され、排除される可能性
なぜ「廃業促進」につながると主張するのか。玉木氏は、2023年10月から導入が予定されているインボイス(適格請求書)制度を挙げる。
「インボイス制度によって、中小零細事業者が取引から排除されますよ」
インボイスとは税額などの明細が書かれた伝票のこと。インボイス制度とは正式には「適格請求書等保存方式」といい、前出の「区分記載請求書等保存方式」を経て導入が予定されている税額控除の方式だ。
問題はこの制度を誰もが利用できるわけではないということだ。「適格請求書発行事業者」になれるのは、税務署長から登録を受けた課税事業者だけ。消費税の納税義務が免除され申告の必要がない売上高1000万円以下の免税事業者は登録できない。つまり、インボイスを発行できないのだ。
玉木氏は「税控除に必要なインボイスを発行できない中小零細事業者は、同じ制度を利用する規模の大きな事業者から取引を敬遠され、排除される」と指摘した上で「消費税はグローバル社会に通用するシンプルな基幹税。それが複数税率になることで公正、中立、簡素という税の原則すべてに反することになる」と批判する。
日本の事業者数は約358万9000社(2016年6月)。うち304万8000社は従業員が商業・サービス業で5人以下、製造業その他で20人以下の小規模だ。小規模事業所ではレジも古くから使っていることが珍しくない。今回の軽減税率導入で、複数税率・インボイス対応のためのレジの買い替えや会計システムの改修への支援策はあるが、事業者の事務負担が膨大になることに変わりはない。
さらに玉木氏は、そもそも逆進性対策であるはずの軽減税率が、格差を拡大するとも言う。
「1世帯当たり、年間に軽減される実額は年収200万円で約8000円、年収1500万円以上だと約1万8000円。一口に飲食料品といっても、高級食材も数百円の弁当も同じ2%の軽減税率。本来、低所得者に配分されるべき1兆円が、中高所得者により多く配分されてしまうわけです」
事業者への負担が大きく、逆進性の緩和にならない可能性もある。にもかかわらず、そんな軽減税率がなぜ導入されることになったのか。
この制度の導入に力を入れてきたのが公明党だ。
3党合意の際、軽減税率を合意条件とした公明党
民主党政権だった2012年、「社会保障と税の一体改革関連法案の修正」で当時の民主、自民、公明の3党が合意した。この協議の際、消費増税を認める一方、軽減税率導入を3党合意の条件としていたのが公明党だった。自民党が政権に復帰した後の2014年12月、自公の与党税制改正大綱に「消費税率10%時に軽減税率導入を目指す」と明記され、検討が始まった。
なぜ軽減税率だったのか。公明党参院議員で党税調会長の西田実仁(まこと)氏は、軽減税率に合理性があると説明する。
「5%から8%(2014年)になってからの4年間、飲食料品に軽減税率が適用されなかったため、所得が低い世帯ほどエンゲル係数は上昇しています。やはり飲食料品は家計支出の中では削れない。また、世界的にみても飲食料品の消費税率は5〜6%が平均です」
与党内の議論で、公明党は酒を除き、外食を含むすべての飲食料品を対象にすべきだと主張。それに対し、税収減を抑えたい自民党と財務省が対象を絞り込む方向で議論は難航した。すると、安倍首相は2015年10月、自民党税調会長で軽減税率導入に否定的だった野田毅氏を更迭した。翌年夏に控えていた参院選をにらみ、公明党への配慮を示した格好で、軽減税率導入が事実上決定した。
こうして決まった軽減税率だが、西田氏も課題があることは認める。地元の選挙区に戻れば、事業者から、レジの問題や消費者とのトラブルの懸念、区分記載請求書等保存方式やインボイス制度についての負担が大きいという声を聞く。
「現場に苦労をかけていることは認識しています。ただ、現行の帳簿方式でも、改ざん防止や追跡可能性が実現されるなら必ずしもインボイス制度にこだわる必要はない。インボイスの導入で混乱が生じないかどうかの検証規定も法律に書かれています」
増税不要だが、軽減税率はセカンドベスト
ソシエテ・ジェネラル証券の会田卓司チーフエコノミストは「そもそも財政再建を急ぐ必要はなく、2019年に消費税を上げる必要はまったくない」と指摘する。根拠は、政府・企業・家計という三つの経済主体のうち、企業の内部留保ばかりが異常なプラスで、まだデフレ脱却という状況ではないためだ。
「将来世代の所得を上げるためにも経済成長は必要。ミクロで見ると財政再建論が強くなるが、マクロで見ると成長のためデフレ完全脱却へ、アベノミクスの矢を放ち続けなければならない」
その意味で、消費増税で財政再建を重視するよりも、インフラ投資、中小企業のIT化や人手不足対策、そして企業の投資と研究開発の促進など、さらなる財政支出で経済活性化策をとるべきだと会田氏は言う。ただ、政治的理由で消費税を上げるのであれば、“痛税感覚”の緩和のため「セカンドベストの策として軽減税率は必要」とも指摘する。
メリットもあるという。
将来、消費税が12%、15%とさらに引き上げられた場合、軽減税率の対象となっていたものは、それ以上の増税が歯止めになる可能性があるためだ。だが、現状では、軽減税率の事業者への配慮は十分だったかといえば、疑問が残ると言う。
納税時期に大混乱の可能性
昨年8月にオープンしたばかりという阿佐谷の四川料理の店「アイム・バオ」では、タブレットが組み合わさった最新のレジ機器を導入しており、「イートインもテイクアウトもソフトをアップデートすればすぐ対応でき、会計や経理で混乱する心配はありません」(店長の劉少虎さん)と気楽な構えだった。
一方で、同じく阿佐谷でテイクアウトもやっているという10席未満の地中海料理のレストランの店主は「テイクアウトを注文されても8%の軽減税率など導入している余裕はありません」と答えた。
「とてもじゃないけど、そこまで対応できない。そういう業者は多いんじゃないですか」
そんなさじを投げる声は個人商店では少なくなかった。ほかにも商店街では、こんな声が聞かれた。
「税務署の人に聞いても、ルールにのっとった答えだけで、個別の相談はできない(と言われる)」
「結局、やってみないと分からないんじゃないですか」
軽減税率導入の10月、そして申告時期を迎える2020年明けに何が起こるのか。
東京商工会議所は「政府広報をより充実してほしい」と政府に伝えている。
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
[写真]撮影:塩田亮吾
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ラチカ
最終更新:2019年3月25日13時55分