「老いは進化」と内村航平は言う。
1月3日に30歳になり、一般的なアスリートであれば確実に年齢を感じるであろう時期にさしかかったことになる。ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪と2大会連続で個人総合金メダル、全日本選手権10連覇など偉業を達成してきた内村にとって、「30」という年齢はどう映っているのか。そして、その壁をどう乗り越えていこうとしているのだろうか。現役アスリートに年齢の壁について聞くのはタブーに近い。しかし内村は、率直すぎるくらい率直に語ってくれた。(ライター・佐藤俊/Yahoo!ニュース 特集編集部)
おじさんだから「引き出し」がある、それでも難しいのは……
30歳を迎えた今も日本のトップに君臨する内村。彼にとって、年齢を重ねるということはどう影響しているのか。
「世界や日本での戦い方が分かってきたし、周囲の状況が見えた状態で戦える。それに演技が円熟味を増してきた。あとは調整ですね。試合の1カ月半前から調整していくんですが、そのときキレがよければ1カ月は追い込んで、あとは疲労を抜いていく。悪ければ徐々に上げていく。そういうやり方を10パターンぐらい持っています。まぁ、おじさんになればいろいろ引き出しがありますよね(笑)」
10年間、世界のトップを走ってきた自負か、話す言葉には自信と余裕が漂う。だが、すべてのアスリートにとって加齢は無視できないもの。内村も年齢を実感する局面が増えてきた。
「まず、モチベーションの維持が難しくなってきた。以前は、世界選手権で優勝という目標を立てたら、ちょっとぐらいマイナスなことがあっても維持できていたんです。でも、今はちょっとでも下がると、『はぁー』って感じで、なかなか戻らない。動けなくなると動けないことにイライラしたりして、モチベーションが保ちづらくなってしまうんです」
当然、肉体の衰えもある。
「疲労が抜けにくくなった。25歳ぐらいから痛い箇所が増えてきて、27歳のとき、一気に体力的な厳しさがきた。朝起きても体がなんか動かないし、年々、痛みと痛い箇所が増えてきました」
体中に痛みを抱えながらも内村は27歳のとき、2016年のリオ五輪で2大会連続金メダルという偉業を成し遂げる。だが、その頃から、静かに「年齢の壁」が内村の前に立ちはだかるようになっていた。
「演技していると、昔の自分と比較してしまうんですよ。一番よかったときの自分と今の自分を重ね合わせてしまう。うまくできないと、あのとき、できていたのになぜ今できないんだって思うんです。特に調子が悪くなると自分と向き合って乗り越えようとするのではなく、昔のいいときの自分にすがりついてしまう。これが年齢の壁かって思いましたね」
「東京五輪のことは1回忘れた」
内村は10代から世界王者として、体操界のトップを走り続けてきた。
最初に世界へその名を轟かせたのは、19歳で迎えた北京五輪だった。男子団体、個人総合ともに銀メダルを獲得。その後、ロンドン、リオと個人総合2連覇を果たし、リオでは男子団体でも金メダルを獲得した。世界選手権では2009年のロンドン大会で個人総合優勝を果たすと、2015年のグラスゴー大会まで6連覇を達成した。
だがリオ五輪以降、体が言うことを聞かなくなり始める。肉体的な痛みを抱えたまま競技を続け、翌年の全日本選手権で個人総合10連覇をなんとか達成するも肉体は満身創痍だった。2017年10月の世界選手権では跳馬の着地で左足首を負傷し、途中棄権。世界選手権個人総合が6連覇で途絶え、「天才」は初めて大きな挫折を味わった。
29歳となった昨年は、左足首のリハビリから始まった。
「その頃は、正直、東京五輪のことは一回忘れました。モチベーションを維持できなくなったんです。でも、逃げずに考えて、考えて、考え抜いたら、なんかパッとひらめきみたいなものが降りてきたんです。こういうことかって。そういう感覚がいつもあって、それに僕はけっこう助けられているんです。そのときは、もう過去にとらわれるのはやめよう、今の自分には今の自分に合ったやり方がある、と思えたんです。そうしたら自分がすべきことが見えて、それをやっているうちに体が動くようになってきたんです」
年齢の壁を越える兆し……それが2018年の春だった。
11連覇を目指した4月の全日本選手権個人総合こそ3位に終わったものの、5月のNHK杯では個人総合10連覇を達成。演技の出来は「笑ってしまうぐらい最低」だったが、「やり方次第で動けるな」と実感した。そして、9月の全日本シニア選手権個人総合でリオ五輪以降最高点となる87.750点をマークして優勝した。
「それまでは実績やプライドもあって、過去の自分にしがみついていた。そうした必要がないものを捨てて、今ある自分の体でいいパフォーマンスを発揮できた。このとき、年齢って関係ないんだな、年齢の壁を越えられたなって思いました」
そこから調子が上がり、世界選手権もいい状態で臨めると思っていた。だが、内村を右足首の負傷が襲う。世界選手権のうち、個人総合の出場は断念した。3位に入れば東京五輪の出場権を獲得できる団体戦に絞ったのだった。
日本代表は白井健三ら3名が22歳で、田中佑典が28歳、内村は当時29歳でチーム最年長。これまで10年以上、日本代表として団体戦を戦ってきた内村だが、このときに限らずチームでの役割にも変化が生じてきている。
「最初は一番下の年齢だったので、切り込み隊長としてみんなに勢いをつける役割で、中堅の時は安定した力を求められた。今は一番上になり、チームを引っ張ることが求められています。自分が下だった頃は背中で引っ張るタイプの先輩が多かったですが、僕はいろんな経験を言葉でも下の世代に伝えていかないといけない義務があると思っています」
内村の発した言葉は徐々にではあるが確実に下の世代に影響を与えている。例えば白井が日本代表の現状を憂い、「航平さんにおんぶにだっこの現状を早く打破しないといけない」という発言を耳にしてちょっとホッとしたという。
団体金メダルへの道は黄信号だが
ただ、日本の体操界はリオ五輪から一変し、やや危機的状況にある。世界選手権の団体戦で内村があん馬、つり輪、平行棒、鉄棒の4種目に出場した日本代表だったが、中国、ロシアに次ぐ3位止まり。2020年の東京五輪の団体戦出場の権利こそ獲得したものの、団体が銅メダルに終わったのは2006年以来のことだ。
「ヤバいなって思いましたね。特に中国は大会前から脅威を感じていたんですが実際に試合をしてみると『こんなにすごいのか』って驚いたし、その衝撃はすごかった」
だが、内村は中国とロシアに絶望的な差を感じてはいない。
「中国、ロシアに勝つためには相当な努力が必要ですけど、勝てなくはない。努力すれば勝てるようになる。“勝てる”を“余裕で勝てる”ようにするために、これから東京五輪までやっていかないといけない」
そのために必要なのは、「美しい体操」の完成度を高めることだ。
中国やロシアにはDスコア(演技評価点)の高い技を何回も繰り出す選手がいる。内村はDスコアの難易度の高い技を完璧にしつつ、完成度を問われるEスコアでも美しい演技で高い得点を狙う。たとえ技が完成しても、Eスコアが伸びなければ大会では絶対にトライしない。例えば鉄棒でH難度のブレットシュナイダーが完成しても、着地や足の曲がりなどで技が美しくないと判断すれば大会では披露しない。
「難しい技を美しく見せる」のが、これまで内村が勝ち続けてきた最大の要因であり、彼の美学でもある。それを最後まで貫くことが東京五輪で金メダルを獲得するための絶対的な手段になる。
「この2年間、自分の競技人生でこんなにうまくいかなかったのは初めて。挫折も味わいました。リオまでいい思いをしすぎたかなぁという感じですね。そのツケが回って今、多くの試練を与えられている。ただ、苦しんだけど東京五輪までやるべきことが見えているんで、この2年間は決してムダじゃなかったです」
体操界のウサイン・ボルトに
2019年は、プレ東京五輪イヤーだ。
内村は2018年の世界選手権で自らの存在が日本代表に必要であることを証明し、チームメートからの信頼も厚い。これからも「KING会」と称して若手選手を食事に連れていくなどコミュニケーションを図り、自ら長老(キャプテン)となって日本代表を引っ張る覚悟だ。東京五輪での目標は個人、団体での金メダル。だが、もうひとつ目標がある。内村が挙げたのは意外な人物の名前だった。
「極端な話、五輪で2大会連続で個人総合金メダル、世界選手権6連覇をしたけど、何かすごいことを成し遂げたとは1度も思ったことがない。ウサイン・ボルトは陸上界のスーパースターだけど、いろんな分野に刺激を与えている。そういう存在が本物だと思う。僕も体操界でそういう影響を与えられる選手になりたい」
ただ、そのためには、結果が求められる。
勝たなければ説得力を失う。今年の世界選手権、そして2020年東京五輪はボルトの域に達するためにも勝たなければならないのだ。
その一方で東京五輪後は、引退説もささやかれる。2024年のパリ五輪は35歳で迎えることになる。
「五輪は東京で最後になると思いますけど、引退するかどうかはまだ決めていない。たぶん、やるでしょ、体操バカなんで」
東京五輪の先は、何を目指していくのだろうか。
「体操界の仙人になりたい。それくらいまで代表で戦って、体操のすべてを知り尽くしたい。だから、今もまだ修行中なんです」
内村は「老いは進化」を、修行の成果として最後の五輪の舞台で証明するつもりだ。