宗石佳子

「更生の見本になってほしい」――亀岡暴走事故遺族はなぜ元受刑者の支援活動に取り組むのか

10/30(火) 7:14 配信

2012年4月、京都府亀岡市で、軽自動車が登校中の児童の列に突っ込み、10人が死傷する交通事故が起きた。中江美則(54)はその事故で、子どもに付き添っていた娘・幸姫(ゆきひ、当時26)を失った。中江は被害者遺族として再発防止に取り組んできたが、今年から新たに、窃盗罪などで服役した元受刑者の更生を支援する活動を始めている。中江にどのような変化があったのか。そして、中江と活動を共にする元受刑者の思いとは。(ノンフィクションライター・藤井誠二/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

人生が一変したあの日

ゆるやかに蛇行する旧街道。両脇に戸建ての家が立ち並ぶ。200メートル先に小学校があって、通学路になっている。

京都府亀岡市を走る府道402号は、京都から山口へと続く旧山陰道に当たる。南に国道9号が並行して走っており、抜け道としても利用される。

事故のあった府道402号、京都府亀岡市篠町付近=2018年8月(撮影:宗石佳子)

今年8月。中江美則は道路脇に膝をつき、民家の塀に向かって手を合わせた。中江は毎月23日にこの場所を訪れる。

「この6年間で来られなかったのは、鳥取で講演のあった1回だけです」

2012年4月23日、中江の長女・幸姫は登校中の児童に付き添って、最後尾を歩いていた。そこへ後方から軽自動車が突っ込み、はね飛ばされた。暴走車は前を歩いていた児童たちを次々に倒しながら民家の塀に衝突、はね返るようにして道路の反対側の郵便局の前で動かなくなった。

事故のあった場所に膝をつき、しばらくそのままの姿勢でいた。スーツを着ているのはこの日、京都府の保護司会で講演の予定があったため=2018年8月(撮影:宗石佳子)

幸姫と女子児童2人の3人が死亡、7人が重軽傷を負った。幸姫のおなかにいた子も犠牲になった。

「『苦しい、痛い、怖い』と娘は叫んでいたそうです。救助に当たってくれた近所のお母さんは『おなかに赤ちゃんがおること分かれへんかったから、救急車に乗せるのが子どもが優先になって、幸姫さん最後になってしまった。ごめんなさい』と泣きながら言ってくれた。その言葉には救われました」

中江は膝を折り、塀を見つめたままそう言った。

事故の原因は無免許の少年による居眠り運転だった。事故を起こした日はほとんど睡眠を取らずに30時間運転していた。

篠町自治会館前に立つ事故の慰霊碑=2018年8月(撮影:宗石佳子)

事故当時、中江は押し寄せるテレビカメラの前で激しい怒りを隠さなかった。

「なんで俺の娘がこんなにあっけなく死ぬんや!」「自分は心底人を憎むという人生はないと信じて生きてきたはずでした。でも、自分の命と引き換えにしても惜しくない娘を殺されて、復讐しかないのは当然でしょう!」

当時の新聞報道によれば、京都地検は当初、運転していた少年に、自動車運転過失致死傷より刑の重い、危険運転致死傷罪の適用を視野に入れていた。しかし少年の運転状況が構成要件に合致せず、断念。居眠りによる過失が原因として、自動車運転過失致死傷などの非行事実で、2012年5月に家庭裁判所に送致した。

国道9号、篠交差点から京都市方面を望む。写真奥に見える山すその住宅の間を府道402号が走っている(撮影:宗石佳子)

無免許運転が危険運転行為に当たらないことに納得できない中江ら被害者遺族は、加害者少年らを厳罰に処すように阿修羅のごとく運動を展開した。署名活動を行い、国会議員に働きかけた。

翌月、少年が検察官送致(逆送)されると、中江らは21万筆にもおよぶ署名を地検に提出した。しかし地検は自動車運転過失致死傷罪で少年を起訴した。

この事故ではほかに少年5人が逮捕された。同乗の1人は無免許運転ほう助罪で執行猶予付き有罪が確定。車の所有者は同教唆罪で罰金25万円の刑が確定。3人は中等少年院送致などの保護処分となった。

運転していた少年は2013年9月に懲役5年以上9年以下の不定期刑が確定。現在も服役中である。

亀岡市立安詳小学校の敷地内に慰霊樹としてハナミズキが植えられた(撮影:宗石佳子)

中江の人生が一変した日から6年が経った。

今年4月23日。中江は、京都市内で開かれた集会で、元受刑者の再犯を防ぐ更生支援団体「ルミナ」の設立を発表した。2人の元受刑者とともに奉仕活動や講演活動を行っていく。

「この6年間、仕事の休憩のときも仲間から遠ざかるようになり、食事もひとりぼっちでしか取れんかった僕が、2年前に、ここにいる塀の向こう側に入っていた2人との出会いがあり、僕の心が違う方向に変わりつつあるということが分かってきたんです」

その2人、たつやとマサも、「ルミナ」のメンバーとしてその場にいた。たつやは覚せい剤取締法違反と傷害罪で、マサは窃盗などで、服役した過去を持つ。

現在の日本の制度では、犯罪者や非行少年は、刑務所や少年院などを出ると、保護観察官や、保護司、協力雇用主などの民間協力者の支援を得て、社会に復帰していく。

加害者が社会に復帰した後、被害者と交流を持つこともあるが、それはあくまで個人と個人の関係だ。一切の交流を拒否する被害者もいる。

中江がやろうとしていることは、そのどれとも違う。

2018年8月25日、中江は京都府の左京区保護司会の招きで被害者遺族として講演を行った(撮影:宗石佳子)

中江は、息子の龍生(34)や、同じ事故で次女を亡くした小谷真樹(36)らとともに被害者の会「古都の翼」を立ち上げ、亀岡市の事故で加害者少年の刑法上の処分が決まった後も、無免許運転の厳罰化を求める活動を続けた。その活動は2014年5月施行の自動車運転死傷行為処罰法につながった。

講演などに呼ばれれば、全国どこへでも出掛け、被害者遺族の苦しみを叫ぶように訴えた。

犯罪被害者遺族として「阿修羅のごとく」活動していた中江が、元受刑者、つまり過去になんらかの犯罪に手を染めたことのある者を支援する活動を始めた。周囲は驚きと戸惑いをもって受け止めた。

2人の元受刑者との出会い

中江は1963年に京都府園部町(現・南丹市)で生まれた。父は土木現場の親方をしており、中江も小学生のころから仕事を手伝った。20代で独立すると、自身も親方として人を雇い、土木工事や建設作業の仕事を請け負ってきた。

肉体労働の現場には、塀の向こう側を経験した者が入れ代わり立ち代わり入ってくる。更生保護施設からの紹介でやってくることが多い。彼らの前科は、大半が覚せい剤取締法違反や窃盗罪だ。

中江にとって、亀岡事故の加害者への感情とは別に、元受刑者とともに働くことは事故前から続く日常であり、避けられないことだった。

「荒くれ者たちと仕事するしか、僕は知りません。僕はそれで娘を育てて、嫁に行かせましたし、この仕事が大好きです。ここから他の仕事はできません」

自宅で(撮影:宗石佳子)

職場での中江は、事故について自ら話すことはほとんどなかった。

事故から4年ほど経ったころ、職場にたつやが入ってきた。初めて会ったとき、たつやは中江に言った。「あれ? どこかで会ったことないですか?」。中江は「テレビちゃうか」と答えた。たつやはすぐに思い出した。「娘さんを交通事故で亡くされた人や」

たつやは刑務所のテレビで中江の姿を見ていた。たつやはこう言う。

「恥ずかしい話ですが、当時僕は服役中で、刑務所の雑居房にいました。中江さんのニュースを刑務所で見て『もっと言ってやれ。怒りをぶちまけたらええねん。言ってやれ、言ってやれ』と受刑者みんなで応援していたんです。娘を殺され、おなかの赤ちゃんを殺されたのだからかわいそうすぎると、房の受刑者たちも言ってました」

保護司会での講演の様子(撮影:宗石佳子)

たつやは、中江が「テレビで見たあの中江さん」だと分かると一生懸命に話し掛けた。たつやは、職場での中江の姿をこう語る。

「あるとき、中江さんが『わしな、娘の骨を肌身離さず持っとるんや』と握り締めていた娘さんの骨の入った袋を見せてくれました。僕の解釈ですが、幸姫すまんな、守ってやれなくてすまんな、そばにいて今度はわしが守ってやるからなということだと思いました。(講演などの用事で)仕事を休んでもしょうがないのに、中江さんは大きな体を曲げて(関係者)一人ひとり、すんません、すんません言いながら回っていました。小さくなって……」

保護司会の講演で、「ルミナ」について発言するたつや(撮影:宗石佳子)

もう一人の元受刑者マサも、たまたま中江と同じ職場で働くことになった。会話をするうちに、中江が被害者遺族であることを知った。マサはこう話す。

「中江さんが僕に語ってくれた被害者の苦しみや悲しみは重たかったし、想像をはるかに超えていました。こんなに苦しみや悲しみを背負っているのかと……」

中江はこう言う。

「この2人と、バカ騒ぎしながら仕事をやってきました。2人は僕にやさしさを伝えてくれました。僕ばかりに気を遣ってくれて、なんか信じてやりたいなと、お返ししてやりたいな、と思うようになりました。それまでは加害者に寄り添うことはできないと思ってきましたが、こいつらとやったらなんかできるんちゃうかなと。僕はこいつらに言いました。お前ら、犯罪者から更生したいのやったら自分の罪を心底憎んでほしい。そこから更生の資格がある。僕と出会った以上、お前らには更生してもらわな困る、と」

保護司会での講演の様子(撮影:宗石佳子)

「ルミナ」立ち上げに当たり、中江は「古都の翼」の代表を退いた。代わって小谷が「古都の翼」の代表になったが、小谷は「ルミナ」には参加していない。

小谷は「中江さんには直接伝えていることですが」としつつ、こう話す。

「元受刑者と、被害者や被害者遺族、行政や支援者などの第三者、これらが集まって話し合う機会は、公的な被害者支援を厚くしていくために必要だとは思っていました。ただ、僕自身は『古都の翼』で相談を受けている被害者遺族を支援することで精いっぱいです。いずれ出所してくる、僕の娘を殺した加害者とも、どう向き合っていけばいいのか分からない状態なのですから」

幸姫さんと、おなかにいた赤ちゃん(愛鈴〈ありん〉と名付けられていた)の遺品(撮影:宗石佳子)

4月23日の集会で中江が「ルミナ」設立を発表した後、たつやとマサも壇上に上がった。

たつやがマイクを握る。話し方はつたないが、一生懸命さが伝わる。中江との出会いを説明した後、刑務所で見た「生命(いのち)のメッセージ展」について話し始めた。

同展は、犯罪被害者遺族が中心になり、2001年に始まった運動だ。事件や事故で命を奪われた被害者の等身大の人型パネルと、靴などの遺品を展示する。全国の刑務所や少年院などのほか、学校や行政施設にも巡回する。

「会場に入ると事件や事故で亡くなられた方の人型があり、被害者の写真、当時履いていた靴……事故ですり切れた小さな子どもの靴もありました。綴られたメッセージには加害者への憎しみだけでなく、『守ってあげられなくてごめんね』とありました。殺された側の人間やのに……。相手を責める言葉ではなく、自分を責め続ける言葉で、天国に行ってねと最後は書いてありました……」

たつやはほとんど涙声になって語り続けた。中江は会場の片隅からじっとその姿を見ていた。

「何の感情もなく会場を出ていくやつもいます。でも、足を止めて泣く者もいました。メッセージを読み切れずに、刑務官に『もっと読ましてーや』とせがむ者もいました。犯した罪は違っても、あれを見て涙ぐんでいる自分を思うと、今まで投げやりに生きてきたけど、俺にはまだこんな気持ちがあるんや、変われるんや、がんばろうという……そう俺は思いました」

講演の際に展示された「生命のメッセージ展」の幸姫さんの人型パネル(撮影:宗石佳子)

次にマサがマイクを握った。「今日は呼んでいただいてありがとうございます」と挨拶をしてから語り出した。

「僕は少年のころから悪いことをしていまして、教護院や少年院にずっと行っていました。6年間、刑務所も入っていました。僕は受刑生活の中で自分のやってきたことが、分からないというか、(被害を受けた人の)気持ちを考えることができなくて、自分中心で、人を傷つけてもなんとも思わなかったし、そうやって犯罪を繰り返してきたんです」

「生命のメッセージ展」で展示される人型パネルは「メッセンジャー」と呼ばれる。

「犯罪被害者一人ひとりの『メッセンジャー』を見て、自分は人を傷付けてきて――命は奪っていませんが――多くの人に苦しみを与えてきたと気付きました。刑務所の中で、更生とは何かを考えました。それは自分が傷付けてきた人がどんなふうに苦しんでいるのかを知ることだと思った。その人の苦しみをまず自分が知らなければ、自分は生き直せないと思った」

マサは「受刑者の中には、自分が何をやったかを本当に悔いている人は、少ないかもしれませんが、必ずいる」と言った。

「僕は今まで自分自身の人生に希望を持てなくて、生きていくことが10代のころからつらかった。家の事情もありまして。生活も大変だった。僕みたいな人間が、本当に悲しみや苦しみを背負っている方の前に立つのはできないと思いますけれど、これからしっかり更生して、中江さんの活動の手助けをできる人間になりたいです」

2018年4月23日、事故を考える集会で。中江(中央)、たつや(右)、マサ(撮影:藤井誠二)

2人が話し終えた後、ある来場者が発言した。

私の親族は、東名高速道路を運転中、後ろを走っていた車にあおられて、追い越し車線上に停止させられた。そして大型トラックに激突され、2人とも死亡した。ですが、加害者はまるで反省の色を見せていないのです――。そしてマサに泣きながらこう尋ねた。

「(私たちの事件の)加害者は、あなたのように変わることができるのでしょうか」

昨年6月に発生した東名高速道路夫婦死亡事故の遺族だった。会場が静まり返った。マサはうつむいたまま黙り込み、微動だにしなかった。

予想もしなかった質問だろう。明確な答えを出せるはずもない。「ルミナ」のメンバーとして名乗りを上げた初日の試練だった。

「中江さんと出会えたから」

7月上旬、「ルミナ」のメンバーは設立後初めての「活動」を行った。京都府舞鶴市に住む女性の依頼で、住宅の庭先に手すりを取り付ける仕事だ。女性は下肢に障がいがある。

早朝、中江たちは部材や道具を軽自動車に積み込み、車を走らせた。

「ルミナ」の活動で手すり取り付けに向かう中江ら(撮影:宗石佳子)

昼前に到着。施主の女性に挨拶すると、早速、作業に取り掛かる。たつやが慣れた手つきで単管パイプを切断し、つなぎ合わせて施主の身長に合う高さの手すりを作っていく。「こういう技術は刑務所で習得しました」。たつやが手を動かしながら言う。

「犯罪を犯した者の多くは、自分が変われるということを諦めとるやつが多いんです。開き直っとるやつもおりますが。(変わる)きっかけになる出会いがないんです。僕は中江さんと出会えたから、彼の言葉や思いをじかに聞けた。だからまともに生きていこうと思えたんです」

慣れた手つきで作業を進める(撮影:宗石佳子)

午後4時過ぎ、作業が完了した。施主は出来上がった手すりを見て、顔をほころばせた。中江たちは車に作業道具を手早く積み込むと、施主に見送られて現場を後にした。

このような社会貢献的な活動を少しずつ重ねていく。ともに汗を流して働くことで、かつて罪を犯した者が変わっていく。その行動がわずかずつでも社会に伝わればいい。中江はそう思っている。

「(事故後)警察不信もあったし、人間不信になる経験もしてきた。でもやさしさをもらったり助けられたりする中で、少しずつ少しずつ、疑いをやさしさに変えることができるような気がしてきたんです」

(撮影:宗石佳子)

犯罪被害者遺族という立場になって、中江の人生は一変した。

「(犯罪防止活動を)このままやり続けてやる、でも自分に何ができるやろうと思ったときに、彼らの力で動き出してた。更生の見本になってほしい、それが犯罪抑止になるやろうと思った。彼ら2人が、僕らの娘を殺したやつをほんまにひどいやつやと言ってくれました。それがほんまの勇気に変わりました。こいつらは僕の気持ち分かってくれるし、叫んでくれることによって犯罪者を減らすことができると思っています」

迷いや課題はもちろんある。例えば、更生したいと思う者ならば誰でも受け入れるのか。中江は「命を奪った元受刑者は到底受け入れられない」と言う。

「命を奪ったケースだけは、僕にとって限界超えているんです。仕事を通じて何百人というアウトローと付き合ってきましたが、経験上、そういう者は救いようがないと判断してます。他にも、レイプ犯罪を何度もしていたことを隠しているやつもいたし、僕と一緒に写真に収まることで、それを更生の証しみたいに利用しようとするやつもおりました。僕の気持ちをほんまに受け止めてくれて、隠しごとをしない、こいつとなら一緒にできると思ったやつとしか、『ルミナ』の活動はできません」

息子の龍生(右)は自らも被害者遺族として活動し、父を支える(撮影:宗石佳子)

小谷は「中江さんは、そういうリスクを抱えることを覚悟の上の船出だと思う」と言った。

龍生も、父を信頼し、ともに「ルミナ」で活動する一方で、「むやみに人数を増やすことは大変だろうし、父が彼らの全てを面倒を見ることは大変だと思います」と心配を隠さない。中江もそれは十分に承知している。

今も中江は事故現場に足を運ぶ。路上に立ち、手を合わせる。中江の今の生き方はここから始まっている。


藤井誠二(ふじい・せいじ)
1965年愛知県生まれ。著書に、『「少年A」被害者遺族の慟哭』『殺された側の論理』『体罰はなぜなくならないのか』『黙秘の壁 名古屋・漫画喫茶従業員はなぜ死んだのか』など多数。近刊に『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』。


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※初出時、「たつやは覚せい剤取締法違反と窃盗で」としていましたが、正しくは「たつやは覚せい剤取締法違反と傷害罪で」でした。確認が不十分でした。訂正しておわびします。

最終更新:2018/11/2(金) 13:25

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