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葛西亜理沙

「グレイヘア」は女性の解放――染めない勇気が生き方も変える

2018/10/23(火) 07:47 配信

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白髪といえば、若々しくありたい女性には疎ましいものだった。ところが最近、白髪染めをやめ、白黒交じった髪色を生かす「グレイヘア」というスタイルが広まりつつある。なかでも目を引くのは、40〜50代でその選択をした女性の存在だ。なぜ彼女たちは「アンチエイジング」よりも、ありのままの「グレイヘア」でいることを選んだのか。当事者の話から浮かんできたのは、女性の生き方の「解放」だった。(ジャーナリスト・秋山千佳/Yahoo!ニュース 特集編集部)

白髪を染め始めたのは20代後半

「たかが髪の毛と思っていたら、見た目のインパクトは強力なんだなと驚きました」

フリーアナウンサーでナレーターとしても活躍する近藤サトさん(50)は、晴れやかな表情でそう語る。今年5月、グレイヘアでテレビに出演すると、インターネット上などで大きな話題となった。鮮烈な「変身」にメディアからの取材依頼も相次いだ。

対照的に、周囲からは面と向かっての反応がほとんどなかったという。

近藤サト(こんどう・さと) 1968年、岐阜県生まれ。91年にフジテレビにアナウンサーとして入社。7年半ほどの勤務を経て退社し、フリーに。 テレビのコメンテーターをはじめ、ナレーション、朗読など幅広く活躍。日本大学芸術学部特任教授も務める(撮影:葛西亜理沙)

「黒が白に変わったのだから、誰でも気づくはずなのに、(俳優・タレントの)坂上忍さんが褒めてくださったくらい。白髪イコール老いの象徴、醜悪で隠すべきものという固定観念があまりに強くて、皆さん言葉が見つからなかったのでしょう」

近藤さんはフジテレビが視聴率首位を誇っていた1991年の入社。当時花形の“女子アナ”で、芸能人のように扱われることも多かった。白髪を染め始めたのは20代後半だったという。

最初はおしゃれの延長という感覚だったが、退社後の30代後半になると、染めてもすぐ白くなる分け目が重荷になってきた。鏡で見ては「また美容院に行かなきゃ」と焦ってしまうからだ。

染める薬剤が合わず、顔が腫れ上がるほどの皮膚トラブルにも悩まされた。

42歳だった2011年、東日本大震災が起きた。自宅の防災グッズの中に白髪染めを無意識に入れたあとで、「こんな大変な時に何をしているんだろう」と我に返った。染め続けることに疑問が膨らんだ。

(撮影:葛西亜理沙)

40代半ばに、左まぶたが下がって目が開きにくくなる眼瞼下垂(がんけんかすい)になり、手術を受けた。更年期にも入り、「若く見せるために何かを足すより、減らして身軽になるほうが健全ではないか」と白髪染めをやめることに思い至ったという。

近藤さんが振り返る。

「髪を染めるという行為は自分で決めていたつもりでした。でも、社会的要請というか、周囲が決めたことにのみ込まれていただけだった。そう気づいた時、もうやめたい、となりました」

3年前、染めるのをやめた。所属事務所の男性社長は「60代になってからでいいのでは」と反対したが、ナレーターという声の仕事が中心でもあり、無理強いはしなかった。その後、人前に出るときには一時的に色をつけてやり過ごしていたが、今年5月、それをせずにテレビに出た。そこで大きな反響となったのは記した通りだ。

“女子アナ”と呼ばれていたころの自分は「アイドルの派生形」のようだったとし、「先輩方を見て、こういうことが求められるというほうに自分を寄せていって、学生時代までの自分を封印した」と話す。それがグレイヘアを選んだ今、「自分を貫く強さがある」と評されるようになった。元々こういう性格だったんですけどね、と笑いながら近藤さんは言う。

「退社して20年以上経って、私はやっと女子アナというものから解放されたのかな」

(撮影:葛西亜理沙)

女性の4割がグレイヘアを美しいと回答

近藤さんが白髪を公にしたタイミングは、ちょうど世の女性たちのグレイヘアに対する関心の高まりと重なっていた。

主婦の友社が今年2〜3月に実施したインターネット調査(30〜80歳の女性579人が回答)によると、女性のグレイヘアを「素敵だ・美しい」と感じると答えた人の割合は、40.8%。1年半前の調査(8.5%)から急増した。

同社が4月に出版した本『グレイヘアという選択』は、32人のグレイヘア女性を写真つきで紹介して評判を呼び、発売から5カ月で計4万5000部に達した。

なぜグレイヘアにしたのか。同書に登場する女性2人に話を聞いた。

ファッション業界で広報の仕事をしている深井桃子さん(54)は、4年ほど前に白髪を染めなくなった。

「私の母も40代のころには白髪が多く、『夜会巻き』(まとめ髪の一種)にしているのがきれいだった。だから自分の髪が白くなることに抵抗はありませんでした。ただ、流行のように見られるのは嫌かな」

そう朗らかに言う。

(撮影:葛西亜理沙)

他人に媚びず、グレイヘアに

20歳のころから前髪に数センチ幅の白髪の束が目立つようになった。

部分的に赤く染めることでアクセントにしていた。しかし、年齢とともに部分染めでは追いつかなくなり、全体を染めるようになった。そして2週間もすると、分け目の白さをヘアマスカラでごまかさなければならない。煩わしくなってきた折、シャネルのショーウィンドーのマネキンが偶然目に入った。

「シルバーの髪色だったんです。海外の雑誌を見てもシルバーの髪のモデルがいて、かっこいいなと。私も白髪が多いからこんな感じにできるかな、と考えました」

職場の女性上司に「グレイヘアにします」と伝えたところ、「年取って見えるからやめなさい」と反対された。しかし、半年かけて地の色に戻し、ショートヘアにしたところ、「似合うわね」という言葉をかけられた。

若い人たちにも「かっこいい」「きれい」と好評で、そのままグレイヘアが定着したという。仕事で接する相手には顔を覚えてもらいやすくなった。

(撮影:葛西亜理沙)

ただ、グレイヘアに対する男性の見方には肯定的な声もある一方、「主張が強い女性という感じがして怖い」「もしパートナーがしたら、自分が男性として見捨てられた気がして寂しい」という戸惑いの声もある。

そんな意見に対して、深井さんは「自分は自分。誰の所有物でもないと思ってしまう。そんな考え方が『怖い』と思われてしまうのかしら」と苦笑する。

「でも今更、他人に媚(こ)びて生きるのもまっぴら。自分の考えを尊重してくれるパートナーもいるし、若いころのように誰かに気に入られるように振る舞う段階を私は通り越したんでしょうね」

病気で染めるのをやめたら、気持ちが楽に

やむを得ない事情からグレイヘアになり、人生観まで変わった人もいる。

「私の場合、病気になって白髪染めをやめざるを得なかったのですが、結果オーライでした」と、会社員の松橋ゆかりさん(54)は話す。

20代後半から白髪が急に増え、染め始めた。松橋さんの母親も白髪が多かった。

「母は亡くなるぎりぎりまで白髪を染めていました。ただ、叔母に聞くと、母は髪を染めた翌日は、体に合わなかったのか、寝込んでいたとのこと。でも、黒髪は若さの象徴。寝込んででも染めたいという女心があったのでしょうね」

(撮影:葛西亜理沙)

松橋さん自身は、肌への負担が軽いとされる植物性の染料を使っていたが、白髪はオレンジ色に染まってしまう。40代の頃、中学生だった一人息子から、オレンジ色になった髪のせいで「学校に来ないで」と言われたという。

「『お前のママって赤毛のアンみたい』と同級生にからかわれたらしいです。思春期で嫌だったのかな」

結局、こげ茶色の染料に変更した。

2016年、原因不明の不調に襲われるようになった。

1年後、「慢性疲労症候群」と病名が判明したが、半年ほど寝たきりだった。横になっても枕が首に当たると痛く、ひどい時は息を吸うだけで痛みが走った。5分と同じ姿勢でいられないため白髪染めもできなくなり、半年もすると自然とグレイヘアに移行していた。

もっとも松橋さんは、病気になる以前から“ヨーロッパのおばあちゃん”を目指したいと周囲に語っていたという。白髪でも背筋が伸びていて、ビビッドな色の洋服を着こなすチャーミングな女性というイメージだ。

グレイヘアになった自分を見ると「予定より早いけど理想に近づいたかも」と前向きに捉えた。

(撮影:葛西亜理沙)

何より、毎月追い立てられていた白髪染めから解放されて、気持ちが楽になったという。

「家族がこのままの私を理解して受け入れてくれた。ありのままをさらけ出していいんだという解放感がありました。同時に、現時点では治らない病気も受け入れられるようになって、体調も上向きになった。真面目で頑張りすぎていた自分を解放してあげて、これからは楽に、楽しんで生きていこうと考え方が変わっていきました」

グレイヘアや闘病のことをブログで発信することで、仲間もでき、楽しみが広がったという。

白髪のスタイルブックを作りたい

白髪をおしゃれに楽しむ「グレイヘア」と言い換え、書籍で広めてきたのが、主婦の友社の編集者・依田邦代さん(59)だ。自身も40代から白髪染めを始め、50代になってやめたいと感じていたと言う。

「黒く染めることで見た目の変化をゼロに戻せてもプラスにはならないし、染めた直後からまた少しずつマイナスになっていく。その空しさを、ある時とても大きく感じたんです。この空しい作業を一生続けていくのかなと」

依田さんは2014年、銀座などの街を歩くおしゃれなシニア女性たちを撮影したファッション写真の本を手がけた。上がった写真を見ると、髪を染めていない白髪の人の割合が高かったが、みな美しさがあった。白髪をおしゃれの一部として生かすことができる――それに気づき、白髪を前面に打ち出したスタイルブックを作りたいと考えた。

(撮影:葛西亜理沙)

だが、企画会議にかけてみると「白髪の本が売れるのか」と疑問視する声もあった。依田さんも「白髪」という言葉をタイトルに使っては、おばあさん向けのようで世間に受け入れられないだろうと感じていた。かといって、従来からあった「プラチナヘア」「シルバーヘア」という言い換えは美化しすぎているようでピンとこない。そこで英語の辞書を引くと、出てきたのが「グレイヘア(灰色の髪)」だった。

「最初に目にした時は、日本では“白”髪なのにと違和感がありました。ただよく考えてみると、もし私たちが白髪染めをやめたら、真っ白になるよりも、黒と白の髪の毛が交ざってグレーになる人のほうが多い。この等身大の言葉を日本でも伝えたいと思いました」と依田さんは振り返る。

2016年、「グレイヘア」という言葉を広める第一歩として、フランスの女性を撮影した『パリマダム グレイヘアスタイル』を出版。想定していた読者層より若い40代からも反響があり、グレイヘアという言葉がブログなどで使われだすようになった。一方で、登場するモデルが日本人でなく、フランス人だから美しく見えるのだという意見もあった。

依田さん自身も、この時点ではまだ白髪染めをやめられなかった。

「いざ自分の問題として引き寄せた時に、会社の中に白髪の女性がいないので、勇気が出なかったんです。周りに何と思われるかと自意識過剰になってしまって」

イギリスのメイ首相もグレイヘアだ(写真:Press Association/アフロ)

韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相(写真:ロイター/アフロ)

「こうあるべき」という固定観念からの解放

日本の女性だけを取り上げた本『グレイヘアという選択』を作るにあたり、昨年10月、依田さんも染めるのをやめた。グレイヘアにすると宣言したところ、夫はたじろいだという。だが、依田さんは決断によって「新しい人生を歩む気持ち」になり、強くなった自分を感じた。

それから1年。

グレイヘアになりつつある依田さんは「白髪を隠さなければいけない」「若々しくあらねばならない」といった固定観念から解放されたと話す。そのうえで、かつてフランスのデザイナー、ココ・シャネルがファッション業界で起こした革命との共通項を感じるという。

「シャネルがウエストを締めつけなくてもエレガントに見える服を作り、女性たちはコルセットから解放されました。昔から女性には男性に比べて束縛や抑圧が多く、白髪染めもその一つなんだと思います。でも、グレイヘアにするという選択肢もあるよね、という時代になれば、無理せず素敵に生きていける女性が増えていくはずです」

そう感じているのは、依田さんだけではない。

冒頭に登場した近藤さんも、グレイヘアを単なるファッションの話に終わらせたくないとして、こう強調した。

「海外を見ると、英国のテリーザ・メイ首相や韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相などもグレイヘアです。日本の女性政治家も早くやらないかなと思っています。白髪に限らず、『こうあるべき』という固定観念が日本には何かにつけてありますが、もっと多様性があっていいと思うんです。『私は私』と堂々と自分らしさを打ち出せる人が世間に認められる時代になってほしいし、グレイヘアをきっかけに女性たちが自由になったら素敵ですよね」

(撮影:葛西亜理沙)


秋山千佳(あきやま・ちか) 1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当。2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』『戸籍のない日本人』。公式サイト

[写真]
撮影:葛西亜理沙


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