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太田好治

「便利さが想像力を減らしている」――平成の終わりに野田秀樹が考えていること

2018/09/04(火) 09:05 配信

オリジナル

劇作家・演出家の野田秀樹が手がける舞台は絶大な人気を誇る。常にチケットは入手困難。妻夫木聡、深津絵里といった人気俳優が何カ月もの期間を稽古に割いて、公演に臨む。最新公演『贋作 桜の森の満開の下』は、平成元年(1989年)に初演した作品だ。「平成時代」に演劇界のトップを走り続けてきた野田は、平成の終わりが近づく世の中をどう見ているのか。「文化が衰えると世の中がつまらなくなる」と言う野田に、社会と文化について聞いた。(ライター・内田正樹、撮影・太田好治/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

意識し始めた「国の輪郭線」

妻夫木聡、深津絵里をはじめとする総勢30人の役者が身体をほぐしている。その中に62歳の野田秀樹もいる。劇作家・演出家であるとともに役者でもあるその体は、20代や30代のそれと見劣りのないしなやかさで動いている。

野田が率いるNODA・MAPの最新公演『贋作(にせさく) 桜の森の満開の下』の稽古場だ。本作は1989年の初演以降、キャストを変えて2度上演され、2017年には歌舞伎版も上演された。野田作品のなかでもとりわけ人気の戯曲だ。

――初演当時、この戯曲を書いた動機は?

手塚治虫さんのマンガ『火の鳥 鳳凰編』を芝居でやりたかったんです。それで手塚さんに連絡したら「ぜひやってくれ」と言ってくれたのでその気でいたんですが、しばらくすると「野田君、実は『火の鳥』の権利が他のところにあることを僕が知らなかったんだ」と連絡があったんです。

手塚さんは俺に300冊ものマンガを送ってくれて「『火の鳥』以外だったらどれをやってもいい」と言ってくれました。でも、その時、俺がやりたかったのは「物作り」の話だった。そこでふと、「『鳳凰編』に近いイメージなら安吾の『夜長姫と耳男』があるな」と気がついたんです。

『火の鳥 鳳凰編』の舞台は奈良時代、賊に右腕を斬られた仏師が主人公だ。彼の物作りへの純粋な思いは、権力の横暴、政治的な駆け引き、自らの嫉妬心や名誉欲によって変質していき、悲劇的な結末を迎える。

一方、坂口安吾の短編小説『夜長姫と耳男』の主人公・耳男は、飛騨の彫物師。夜長姫のために弥勒菩薩を彫るよう命じられた耳男は、姫の無邪気な残酷さに翻弄(ほんろう)されるうちに、ある境地へと達する。野田はこの『夜長姫と耳男』を主な下敷きに、いくつかの安吾作品の要素を大胆に組み合わせて、『贋作 桜の森の満開の下』を書き下ろした。

『桜の森〜』には「物作り」と「国造り」という二つのストーリーがあります。国家において権力者というのは、制度の固定化を望むもの。制度が固定すればするほど、権力は安定するからです。同時に、既得権益の構造が出来上がると共同体から柔軟性が失われて、未来がない社会になっていく。

一方、インターネットの時代というのは、実は最も揺るがし難かった資本主義という制度を恐ろしいぐらい揺さぶっている。ビットコインなんかその最たるもの。あれが幅を利かせると、今の財産の考え方も、銀行を中心とした金融のシステムも、全て変わるでしょうから。

つまり、われわれが今体験しているのは、「制度を固定したい」と思っている人たちにとって、ものすごく恐ろしい状況だと思う。それによってひどいことも起きてはいるんだけど、世の中というのはそういうふうにしか変わりようがないものでもある。

――『桜の森〜』の初演の初日は1989年2月11日。奇(く)しくも元号が平成に改まって間もない頃でした。

しかも2月11日は建国記念の日。そして手塚さんは初日の2日前の2月9日に亡くなられた。いろいろと因縁のある作品です。

――それから30年。平成最後の年を目前とした再演です。「平成」という時代をどう捉えていますか?

「平成って30年もあったのか」と思うよ。昭和はとても固定した時代だった。平成になって初めて日本人は「国の輪郭線」を意識しだした。戦後、自民党が与党の時代が長く続いたけど、それが崩れて、政権が自民党から(非自民・非共産連立政権へと)移ったのが1993年。それまでずっと「政治なんか変わらない」と思っていたものが変わった。変わらないと思っていたものが「なんだか変わるんだな」ってことに気が付いたんだと思う。

――潰れないと思っていた銀行も潰れました。

さまざまな価値観が変わっていきましたね。

――平成後期になると、テレビドラマや映画の世界では、オンデマンドサービスが始まり、海外の配信チャンネルも日本に上陸しました。ポピュラー音楽の世界でも配信サービスが誕生しています。演劇の状況は何か変わりましたか?

受け止められ方が変わりましたね。今は「再生」できるものの力のほうが大きい。テレビも映画も再生できる。でも演劇は再生が利かない。

演劇のすごみとは、大きな布1枚が何にでも見える瞬間にこそあると俺は思っていてね。最近、家で3歳の娘と遊んでいるんだけど、娘に「王子様」と呼ばれたら、まあ、とりあえず俺は王子様なんだよ(笑)。それで20秒ぐらい王子様をやっていたら、今度は「先生」と言われる。そうしたらもう先生なんだよね。演劇もまさにそう。

『THE BEE』(2006)という作品では、鉛筆を女の指に見立てて、一本一本へし折ったり、包丁で切ったりしていった。お客さんの目にはそれがものすごい暴力に見えて、恐怖を感じたそうです。それが人間の想像力であり、演劇のすごみだと思う。でもこれがビデオになると全ては届かない。時々、「野田さんの何々を観ました」と言われて「まだ若いのに」と思ったら「ビデオで」と言われる。もちろん観てもらわないよりはいいんだけれど、「それは違うんだよね」と口から出かかります。

「分からないけど、面白い」

テレビドラマの場合、個人視聴率20パーセントの後ろには約2000万人の視聴者がいる。映画『君の名は。』の観客動員は1900万人を超えた。一方、現代演劇は、全ての公演が満席となる人気の演目でも、動員は数万人から十数万人。しかも、連日、生身の俳優が舞台に上がる。商業的な面だけをとらえれば、効率のよい興行形態とは言い難い。

それでも、野田の舞台には名だたる俳優が出演を望む。生(なま)の野田作品でしか得られない収穫が、観る側のみならず、演じる側にも確実にあるからだ。

――野田さんが演劇と向き合う上で「これだけはしない」と決めていることは?

まず、演劇が好きじゃない人とは仕事をしない。つまり「売名」が好きな人とか(笑)。もちろん人間だから、名前を売りたい欲はある。だけど「演劇じゃなくてもよかったじゃん」という人ではなく、「演劇じゃなきゃダメだ」という人とやりたい。それと、演劇は人間の肉体とともに表現しているから、肉体が無視されている演劇はやったってしょうがないと思っています。

あとは、舞台の上で自分が「嘘をついている」と思うことはしない。楽な道もあるんだけど、そっちを選ぶと嘘をつくことになるなあと思ったら、大変でも嘘をつかない道を選びます。「時間がないからこっち」という選び方もしない。だから周りの人たちは大変だと思うけど。

――若き日の野田さんが刺激を受けた人物に、蜷川幸雄さん(2016年逝去)がいます。

蜷川さんの人生が好きなんです。俺が初めて観た蜷川幸雄の芝居は『ぼくらが非情の大河をくだる時』(1972)でした。16、17歳の時で、すごい芝居だと思いました。それからしばらくすると、蜷川さんはアングラの仲間と訣別して、仲間から裏切り者呼ばわりされながら商業演劇の世界に飛び込んでいった。「演劇人は朝からビフテキ食わなきゃダメなんだ」なんて啖呵(たんか)を切って、海外にも出ていって、自分の名前で芝居をやったんです。

時々、俺に「蜷川幸雄ってどこが面白いの?」と言うやつがいるけど、それも分かる。蜷川さんは、面白いと思ったら、演劇的にはダメなことでもやっちゃう。それで時々すげえ空振りもするんだけど、常にホームランを狙ってくる蜷川幸雄の生き方が、俺は大好きでした。

20歳上だったから、「蜷川さんが今これをやっているなら、俺にはまだあと20年ある」という気持ちがありました。井上ひさしさん(2010年逝去)にしてもそうでした。共通の言葉で話ができたし、大きな存在でした。

――かつて人々はもっと、文化に対して憧れを抱いていた。知らないこと、観たことのないものを手探りで吸収していた気がします。昨今は物事の選択肢が無数にある上、ある程度の疑問はデジタルデバイスで早々に解消されるようになりました。「分かりやすさが求められている」ともいわれます。

古田(新太)は高校生の頃、『野獣降臨(のけものきたりて)』(1982、1984)を観て、「とにかく分かんない言葉がいっぱい出てきた」と思ったそうです。でも、そのあと必死に食らい付くと「こういうことか」と次々に意味が分かって、それが「すごく面白かった」と言っていた。

俺もAmazonは使うけど、例えばネットで仕入れた本から何かを吸収するのと、かつて古本屋でたまたま見つけた古本によるそれとでは、思い入れの度合いが違う。古本屋で出合った本は背表紙の文字の一つまで忘れないし、においも、隣にいた面倒くさそうな客までも覚えている。昔は情報が少なかったし、本屋さんに行っても、「ここにある本を全部読めば、僕はこの世の本を全部読んだことになる」くらいの気持ちだった。もちろん今はお手上げだよね(笑)。しかも今は、「あなたの趣味だとこれを選ぶのよ」と、先に「仕組まれている」気さえしてしまう。

いま欠如しているのは「体験」、特に「偶然の体験」なのかもしれない。極端な言い方をすれば、便利さが想像力を減らしているし、今われわれには膨大な選択肢があるように思えているけど、実はかえって狭められているんだと思う。

つまり、「体験」が制度化されている。でも本当はそうじゃない。たまたまやったことが「体験」になるのであってね。単純に目的を決めずに街を歩くだけでいい。それで時間を損したっていいんだから。

「文化が衰えると世の中がつまらなくなる」

NODA・MAPの公演は、時に劇作家・野田秀樹の「先見の明」を感じさせた。劇中で大地震を扱った『南へ』(2011)の公演期間中には東日本大震災が起き、架空のスポーツ競技と幻の東京オリンピックを扱った『エッグ』(2012初演)の戯曲は、2020年の東京オリンピック開催が決定する直前に誕生していた。

また、2000年ごろを境に、太平洋戦争前夜の長崎が舞台の『パンドラの鐘』(1999)をはじめ、前述の『エッグ』、『逆鱗』(2016)と、野田の戯曲に戦争を扱うものがみられるようになった。「平成」の中で、野田自身もまた、演劇を通して「国の輪郭線」をとらえようと試みてきたようにもとれる。

――「戯曲が何度も時事を予見した」という声については?

こじつけだよ。でも、こじつけにしてはちょっと多いか(笑)。1995年の『贋作 罪と罰』も「理想のために人を殺してよいか?」という芝居を書いたら、その後、オウム真理教事件が起こった。

――2008年に、東京芸術劇場の初代芸術監督と多摩美術大学の教授に就任されましたね。

ある時、「あれ? 今の若い人たちが作っているものと遠くなってきているな」と感じた。別に若い人たちが作っているものを作りたかったわけじゃないけど、演劇をやっていく以上、一人ではやれない。裸の王様みたいになるのは嫌だったから、とにかく若いやつらと会っておこうと、多摩美術大学の先生も同時に引き受けました。

――先日、東京芸術劇場の芸術監督として、若い演劇人の発掘や才能の開花を目的としたプロジェクト「東京演劇道場」を始動させると発表しました。野田さんの中で、先達として「若い人たちと未来を夢見よう」という気持ちが湧いてきたのですか?

それはない。俺、そういう気持ちとは本当に関係なく生きているから(笑)。

よく若いやつが「よろしくお願いしまーす」って言うじゃない? 「現場に行ったらまずそう言うのよ」と事務所の誰かに言われるんだろうね。俺だって時々は言うけど、別に若くたって才能と体力があれば、現場においては力があっていいんだよ。物作りは「よろしくお願いしまーす」からは始まらないと思う。「俺はすごいよ?」から始まったっていいんだよ。

今回の『桜の森〜』のアンサンブルも、それぞれが役者としてとても面白い。でも今、演劇界全体を見渡してみると、劇場に足を運んでくれるお客さんは、その劇団と「お友だち」みたいな人も多い。それだけだと、若い役者は押し上げられていかない。演劇全体にもっとお客さんがついていたら、もっと彼らもどんどん育っていくんだろうと思うんです。

われわれが芝居を始めた頃、演劇は、テレビや映画とは違う価値を認められていた。60年代から80年代あたりまでは、文化に関する関心も高かった。かつて『ぴあ』という雑誌は情報が金になることを世に知らしめたけど、そこには「演劇」というカテゴリーがあって、新しい文化もちゃんとチョイスされていた。

でもインターネットの時代になると、ヒット数を優先したニュースばかりが取り上げられるようになって、メディアが文化を語ってくれなくなった。この状況が、今の日本の文化状況の衰えそのものだと思う。

演劇に限らず、今だって文化がないわけじゃないし、そもそも文化というものは必ずしも数じゃない。才能の豊かな人も、若くて面白いやつもたくさんいるのに、そこが取り上げられない。強いジレンマがあります。Yahoo!ニュースももっと文化を語ってほしいよ。「誰々の3番目の子が生まれました」なんてどうでもいいから(笑)。(注:今年6月、野田に第3子が誕生したことが芸能ニュースで報じられた)

――文化が衰えた先には何が待っていると思いますか?

世の中がつまらなくなる。で、それを分かっていない人や「それでいい」と思っている人が多い。つまり、「文化が衰えると世の中がつまらなくなるんだよ」ということが分かっていない。

――そうかもしれません。

で、つまらない世の中で生きていたって、つまらないじゃない?(笑)


野田秀樹(のだ・ひでき)
1955年、長崎県生まれ。東京大学在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成。1992年、劇団解散後、ロンドンに留学。帰国後の1993年に演劇企画製作会社「NODA・MAP」を設立。『キル』『パンドラの鐘』『オイル』『THE BEE』『パイパー』『ザ・キャラクター』『南へ』『エッグ』などを発表。故・中村勘三郎丈と組んで歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』『野田版 鼠小僧』『野田版 愛陀姫』の脚本・演出を手掛ける。最新公演『贋作 桜の森の満開の下』が東京芸術劇場で上演中。


内田正樹(うちだ・まさき)
1971年生まれ。東京都出身。編集者、ライター。雑誌『SWITCH』編集長を経て、2011年からフリーランス。国内外のアーティストへのインタビューや、ファッションページのディレクション、コラム執筆などに携わる。


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