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八尋伸

「認知症をどう生きるか」――当事者たちが「働く」理由

2018/09/03(月) 07:43 配信

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厚生労働省の試算では、認知症の人は2025年、730万人に達するとされている。現在の埼玉県の人口に匹敵する数だ。認知症というと、「何も分からなくなるのではないか」といった懸念は根強く、認知症を怖れる人は少なくない。だが、認知症の人たちが「有償ボランティア」として働いたり、地域の活動に従事したりしているデイサービスを運営するNPOがある。彼らが働くのはお金のためではない。働くこと、それ自体が彼らのためにも、社会のためにもなっているからだ。(ジャーナリスト・岩崎大輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)

認知症の人たちによる丁寧な洗車

8月中旬の東京都町田市。照りつける太陽のせいで気温は34度に迫ろうとしていた。

「売り物だから、きれいにしないとな」

村山明夫さん(68)はそうつぶやいて、タオルを持った手を動かし続ける。

自動車販売店「ホンダカーズ東京中央町田東店」の駐車スペース。お盆休み期間中であり、周囲にあまり人影はない。

その中でそろいの黄色いTシャツを着た中高年男性の4人が展示車を水洗いしていた。手慣れた様子で洗車を続け、タイヤのホイールまで丁寧に磨き上げていく。あうんの呼吸で分担し、5台の洗車を1時間で終えた。

自動車販売店「ホンダカーズ東京中央町田東店」で洗車をする村山明夫さん(撮影:八尋伸)

4人中3人は町田市内のデイサービス「DAYS BLG!」(NPO法人町田市つながりの開)に通う認知の人たちだ。この施設は販売店からの洗車の業務を請け負い、月3万円「謝金」を受け取っている。

「月にすると6000円くらいかな。それでビールを買ったりする。現役時代は朝から晩まで働いたから、今だって働けるうちは働き続けたい。働いて汗かいて、夕方にクッと飲むのが生きがいだよ」

缶ビールを傾ける仕草でそう語る。

村山さんは以前、情報システム会社の営業マンだった。2014 年、スーパーに買い物に行った際、最初の不調が出た。何を買うのか忘れてしまった。不要なお菓子を買って帰宅。年相応の物忘れと思っていた。まもなく、自転車を置いた場所を思い出せずに徒歩で帰宅。自宅近所を散歩中、道順が思い出せなくなることも起きた。

(撮影:八尋伸)

家族の勧めで認知症検査を受けると、若年性アルツハイマー型認知症と診断された。村山さんはショックで自宅に引きこもるようになった。見かねた家族があるデイサービスに連れて行くと、「やりたくもないレクリエーション」をやらされ、また引きこもるようになった。だが、「DAYS BLG!」の存在を知った家族が同施設へ連れて行くと、「一緒に笑えた」。以後、週3日のペースで通うようになる。

「認知症になると、人は孤立しがちだよね。私も今後を想像すると眠れない日もあるし、生きる希望を失いかけた時もある。でも、仲間と出会え、散歩や買い物ができない悩みを告げたら、『俺もそうだよ』『失敗ばかりだ』と笑顔で返された。悩みを一人で抱え込むんじゃなくて、ここに来て、バカ話をしながら、一緒になって作業をすれば充実感を得られる。今は認知症であることを人に話すことも抵抗がない」

村山さんはそう話すと、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」を口ずさんだ。

東京都町田市にあるデイサービス「DAYS BLG!」(NPO法人町田市つながりの開)(撮影:八尋伸)

「社会の役に立ちたい」気持ちを実現する

2012年8月に開設された「DAYS BLG!」には58〜85歳の認知症当事者19人が通う。この施設の特徴は、認知症の利用者が最低賃金を超えない範囲で、活動に対して謝金などを得られる「有償ボランティア」として地域で「仕事」に従事していることだ。介護保険サービスの中で、通所者がボランティア報酬を受け取ることは厚生労働省も認めている。

仕事には、冒頭のような自動車販売店の展示車の洗車をはじめ、保険代理店のノベルティーグッズ袋詰め(1000円・1回)、地域新聞「ショッパー」のポスティング(3円・1部)、野菜の配達(450円・1時間)、Tシャツの発送(775円・1時間)などがある。

業者側の反応も上々だ。

前出のホンダカーズ東京中央町田東店の営業主任・小林栄作氏は、当初は社内で認知症への理解が浅く、商品に傷を付けられないかと懸念もあった、と語る。

「仕事をやってもらったら、見方が変わりました。みなさん、いわゆる“企業戦士世代”なので、まじめで手を抜かない。バイクや車への愛着も強く、屋根やホイールといった、洗車で大切な部分も理解されている」

(撮影:八尋伸)

「DAYS BLG!」を運営するNPO理事長の前田隆行氏(41)は、認知症になってもできることはたくさんあると語る。

「そもそも認知症になっても、人は自分のことは自分でしたいもの。本人の気持ち抜きに本人のことを決めてはいけないし、本人が何をしたいのか、それを知ることが始まり。認知症になっても、多くの人は『仕事がしたい』『社会の役に立ちたい』という気持ちがある。であるなら、それを実現したほうが、彼らのためにもなると思うのです」

前田氏は老年精神科病院やE型デイサービス(認知症対応デイサービス)での業務に携わった後、「DAYS BLG!」を立ち上げた。

「BLG」は「Barriers(障がい)、Life(生活)、Gathering(集う場)」の頭文字を取り、誰でも障がいを考えられる場にしたい、との思いを込めた。運営に際しては、「押し付けない」「いつもと変わらず、同じように」との方針を定め、利用者、スタッフ、地域の人など同施設に集う人のことをみんな「メンバー」と呼ぶ。「介護をする人、される人」と分けずに、フラットな関係を示すためのものだ。

「DAYS BLG!」を運営するNPO理事長前田隆行氏(撮影:八尋伸)

認知症の自分でもできたという実感が「生きがい」になる

この日、午前9時半から始まったミーティング。前田氏はメンバー一人ひとりの表情を見ながら、ホワイトボードに午前の業務を書き込んでいった。

「洗車」「ショッパー(ポスティング)」「領収書(の整理)」「編み物」「みそ汁の(具材の)買い出し(と調理)」と書き込むと、各メンバーに「今日は何しますか?」と問い掛ける。すぐに「わしは洗車」「私はショッパー」と返事が返ってくる。前田氏はその声を受けて、「洗車 村山さん」のように業務の隣に名前を書き込む。何をするのか忘れてしまう人もいるため、一目で思い出せるように記しているのだ。

「今日も暑いですが、一日頑張りましょう!」

メンバーの一人が音頭をとって、一本締めを行うと、各々が身支度を始める。

朝、各人が行う活動を確認していく(撮影:八尋伸)

黄色いTシャツに着替えた前田氏はこう語った。

「私たちは普段、今日のお昼は何を食べようかな、と日々無意識に選択しています。けれども、介護を受ける立場となると、選択の余地は狭まります。事業所によっては利用者が事業所のサービスに合わせなくてはいけない。トイレに行く時間が決められていたり、レクリエーションとして子どもじみたことをさせられたり。ストレスを感じれば、認知症の症状も悪化するのではないでしょうか。うちでは小さなことでも、できる限り本人の選択を尊重するようにしています」

同施設では、昼ご飯の選択肢も多岐にわたる。弁当屋のメニューを前田氏が読み上げ、気に入ったところでメンバーが挙手。施設内で弁当を食べる人もいれば、車で15分ほどの「1時間300円」のカラオケ店に弁当を持ち込み、そこで食べる人もいる。食べて歌って、時間を過ごす。自分のしたいことを選んでもらうことで、メンバーの表情は生き生きとしているという。

お弁当もメンバー自身が好きなものを選ぶ(撮影:八尋伸)

前田氏らの取り組みを専門医はどう見るか。

認知症ケア・在宅診療で30年以上の実績のある川崎幸クリニック・杉山孝博院長は、認知症患者でも働くことや自主性を重視することが重要だ、と語る。

「認知症患者も自分が活躍できる場に参加することで大きく変わります。働いてちょっとでも謝金をもらえれば『認知症の自分でもやれたんだ』と実感できる。人の役に立ったということで生きがいが生まれ、社会との接点があるので前向きになります。残念ながら、記憶力や判断力の衰えなどの中核症状は進行していきます。それでも、生きがいを見つけることで、イライラや家族への八つ当たりなど周辺症状が減る。積極的に外出もし、『認知症が軽くなった』と思えるほど、変わることもあります」

(撮影:八尋伸)

「紙芝居のおじちゃん!」と声をかけられる存在に

「当初は、部屋で引きこもってばかりいたのです。でも、こうやって子どもたちと接することで、まだ誰かの役に立てる、と分かった」

今枝聡さん(67・男性、仮名)は「1週間前の出来事が思い出せない」というアルツハイマー型認知症だ。

現役時代は商社に勤務。エネルギープラント建設など大型プロジェクトにも携わった。米国ロサンゼルスで6年半、豪州シドニーで3年半と都合10年の海外赴任も経験し、英語力は今も外国人と英語でケンカできるほど高いという。

(撮影:八尋伸)

だが、現役時代の終盤、取引先との重要なアポイントメントを忘れるというミスをたびたび引き起こした。何かおかしいと思いながら、子会社に役員に左遷された。だが、左遷先でもケアレスミスを重ねたことで仕事を辞めた。

2014年末に初期の認知症と診断され、そのショックで、引きこもる生活が続いたが、家族が「DAYS BLG!」を探してくると、おもしろさを感じ、参加していくようになった。

今枝さんの今を支えているものの一つは、学童保育での紙芝居の読み聞かせだ。

8月中旬、ある日の午前11時。町田市内の学童保育施設を訪れた今枝さんは、子どもたちの前で紙芝居「やさしさはおくすり」を読み始めた。物語は、認知症となった祖母の「すーちゃん」が、家族や友だちの名前を忘れまいと努力したり、認知症でも団子作りや裁縫ができたりすることを主人公の少年の目線で伝えていく──という内容だ。

学童保育で紙芝居の読み聞かせをする今枝さんら「DAYS BLG!」のメンバー(撮影:八尋伸)

物語の最後、「DAYS BLG!」のスタッフ・本間祐子氏(45)が「認知症を知っている子は?」と尋ねると、22人中6人の子どもが手を挙げた。今枝さんは「実はおじちゃんも認知症なんだよ」と明かす。子どもたちから「本当に認知症?」、「元気そうだけど」と戸惑う声が上がった。

その後、子どもたちから今枝さんたちにお礼のメダルが手渡された。今枝さんはリボンを外し、メダルに手を添え、「とても幸せです」と語る。

「駅前などで、ときどき小学生から『紙芝居のおじちゃん!』と声を掛けられるようになりました。子どもたちが優しい気持ちを忘れずに大きくなれば、社会から認知症への偏見も消えるんじゃないかな」

(撮影:八尋伸)

「認知症フレンドリーな社会」へ

厚生労働省によると、「団塊の世代」(1946〜1949年生まれ)が75歳以上となる2025年、認知症当事者は最大で730万人になると推計されている。2015年1月、政府は「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」を公表した。「認知症の人の意思が尊重され、自分らしく暮らし続けることができる社会」を基本的な考え方とし、認知症の掛かりつけ医や医療機関の対応力向上を目指している。

2017年9月に設立された「全国認知症予防ネットワーク」の呼び掛け人である自民党の鈴木隼人衆議院議員は、まだ十分ではないと懸念する。

「新オレンジプランは、方向性を示す『旗』であって、具体的な政策にまで落とし込めていない。厚労省など行政だけに任せず、地域の現場から具体的な声を上げて、政策を動かしていかないと『認知症にフレンドリーな社会』をつくれません」

鈴木氏は、祖母が認知症の一種である前頭側頭葉変性症となり、介護経験を持つ。イギリスでは国家戦略として「認知症フレンドリーコミュニティ」を打ち出していると語る。

鈴木隼人衆議院議員(撮影:岩崎大輔)

「イギリスでは、場所によりますが、認知症の人でも一人でバスに乗れる。認知症の人はバスに乗る際、目的地を書いたカードを示す。停留所が近づくと、運転手さんが『ここですよ』と教えてくれる。スーパーやデパートでは買い物を補助してくれる人がいたり、レジの一つをスローレーンにして認知症の人がゆっくり買い物できたりする。認知症の方が安心して暮らせるということは、高齢者やけがをした人、妊婦さんなどでも安心して暮らせるということ。コミュニティ全体で認知症の人に優しい社会を実現するのが、今後目指す社会のあり方ではないでしょうか」

認知症になっても病名を隠さず生活を楽しめる街づくりを行っていくべき、と鈴木氏は言い添えた。

(撮影:八尋伸)

「認知症への偏見を早くなくしたい」

「認知症になっても怖くないよ」

かつて石油会社の営業マンだった岡公一さん(78)は8年前、買い物の際にお金を払わずに店を出てしまうことが度々あった。岡さん自身には万引きしたという自覚がなく、警察から勧められ、認知症の検査を受けてみると、前頭側頭葉変性症であることが判明した。

当初は、言葉を失ってしまうのではないか、と怖れていたが、「DAYS BLG!」に通いだしてから落ち着いた。ほかのメンバーとともに、洗車やポスティングなどをしているうちに、認知症でも働ける自分自身を確認し、自信を取り戻していった。最近では、認知症になったことを前向きに評価すらしているという。

「認知症にならなければ、ダラダラ過ごしていたと思う。でも、病を持ったことで、これからをどう生きるか、と真剣に考えるようになった。洗車をしてホンダの人から『ありがとう』と感謝されるけど、こっちが社会に関われることで反対に感謝している。結果的に有意義な第2の人生を送ることができていると思います」

認知症当事者らがタスキをつなぐイベント「RUN伴(らんとも)」で販売するTシャツを梱包するメンバーたち(撮影:八尋伸)

施設内のテレビでは夏の甲子園の熱戦が流れていた。

同じ町田市内にある日大三高が得点を重ねると、85歳の婦人は編み物の手を止め、喜んでいた。婦人はコーヒーを一口飲み、こう言った。

「ここに来て、みんなの元気な顔を見ることが私の幸せなんだ」

理事長の前田氏はそんな風に楽しむメンバーの姿を見ながら、こう独りごちた。

「認知症への偏見って早くなくなりませんかね」

それは取材の間、たびたび口にしていた言葉だった。

(撮影:八尋伸)


岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
1973年、静岡県生まれ。ジャーナリスト、講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎 「異形の宰相」の蹉跌』(洋泉社)、『激闘 リングの覇者を目指して』(ソフトバンククリエイティブ)、『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』(講談社)など。

[写真] 撮影:八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝


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