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後藤勝

「貧困対策“にも”なり得る」――足立区「おいしい給食」の理由

2018/08/08(水) 09:49 配信

オリジナル

あなたは「給食」にどんなイメージを持っているだろうか。東京都足立区の子どもたちにとっては、楽しい豊かな思い出となるに違いない。同区が「おいしい給食」事業に取り組んで10年。自校調理はもちろん、学校特製のオリジナルドレッシングまである。なぜそこまで熱心に「給食」に取り組むのか。(ノンフィクションライター・山川徹/Yahoo!ニュース 特集編集部)

作りたてのイワシ料理におかかドレッシングのメニュー

給食は12時20分から。野菜を食べる習慣をつけるため「ひと口目は野菜から」が決まりごと(撮影:後藤勝)

午前の授業が終わった教室にチャイムが響く。赤、青、ピンク、チェック柄……。子どもたちは勉強机に色とりどりのランチョンマットを敷き、給食の準備に取りかかる。

食器に盛り付けられるのは、季節にちなんだ料理だ。

〈いわしの蒲焼き〉〈梅とじゃこと白ごまのご飯〉〈おかか和えサラダ〉〈絹さやの味噌汁〉〈あじさいゼリー〉〈牛乳〉

2018年6月11日に足立区立梅島小学校で出された給食の献立である。

梅雨入りする6月11日ごろを「入梅」という。梅島小学校の栄養士、桑原理恵さんは、6年2組の子どもたちの食事を見守りながら次のように説明する。

「この時期のイワシは、1年のうちで最も脂が乗って味がよく『入梅イワシ』と呼ばれています。コンビニやファミレスの濃い味に慣れてしまった子どもたちに季節の食材や出汁(だし)の味や文化に根ざした料理を知ってもらえれば、と献立を考えているんです」

食事前、栄養士からのお便り「梅島らんち」を生徒が読み上げる。この日は「入梅イワシ」の説明(撮影:後藤勝)

試食させてもらった。イワシの蒲焼きは、子どもも食べやすいように揚げてあり、ジューシーで甘辛いタレにとてもよく合った。給食センターでまとめて作った料理ではなく、学校内で調理した自校給食だからこそ、揚げたてのサクッとした食感が楽しめる。子どもだけでなく、大人も満足できる味だ。サラダにも驚かされた。ゆでたキャベツ、ニンジン、モヤシを和えるおかかドレッシングの風味が上品なのだ。

聞けば、鰹節と昆布から取った出汁で作った自家製ならぬ、自校製のオリジナルドレッシングなのだという。これで1食、高学年は256円、低学年は222円という安さ。作りたてで温かく、手も込んでいる。何よりもうまい。

味は二の次で、とりあえずは空腹を満たせればいい。給食にはそんなイメージがある。けれども、梅島小学校の給食は、先入観をくつがえす「おいしい給食」だった。

栄養士2年目の桑原理恵さん。「おいしい給食」に取り組む中で「給食に対する意識が変わった」と語る(撮影:後藤勝)

出汁の感想を言う子ども

足立区が「おいしい給食」に取り組み始めたのは2008年。旬の食材や天然出汁を使った栄養バランスがいい給食を提供し、食べ残しゼロを目指す事業だ。

足立区のおいしい給食担当係長の渋谷敏さんは言う。

「給食を楽しみにする子が増えました。なかには栄養士に『今日のみそ汁の出汁、おいしかったよ』なんて声をかける子どももいます。10年の取り組みで『おいしい給食』が定着したと感じます」

「給食はさまざまな物事を学べる生きた教材」と語るおいしい給食担当係長の渋谷敏さん (撮影:後藤勝)

「おいしい給食」は味と栄養にこだわるだけではない。食育にも力を注ぐ。足立区の特産であるコマツナや友好自治体である新潟県魚沼市のコシヒカリを栽培する農家で、農業体験を行っている。また健康に必要な栄養の知識を教えるだけでなく、自分でご飯をたき、簡単なおかずを作れるよう、幼稚園から簡単な調理をする機会を設けている。

なぜ「おいしい給食」なのか

事業を主導するのが「おいしい給食」をマニフェストの一つに掲げて2007年に初当選した近藤やよい区長(59)だ。

「今の子どもにとって、給食は単に1日3食のうちの1食ではありません。とくに経済的に厳しい家庭の子どもにとっては、重要な栄養の補給元であり、身体をつくる基盤になります。今から親世代の生活習慣を変えるのは難しい。だとすれば、子ども世代から正しい食生活の習慣や健康を守る知識を身につける必要がある。そこで行政がコミットできるのが給食だったんです。給食で、子どもたちに生きる力を身に付けてほしい」

給食で、生きる力を身に付ける――。大げさに思う人もいるかもしれない。だが、給食は月に約20食提供される。7歳から15歳までの9年間の義務教育期間で単純に計算すると、2000食以上になる。子どもの貧困が顕在化したいま、この2000食の意味を改めて考える必要があるのではないか。

近藤やよい区長。足立区出身。警視庁、税理士を経て、97年から約10年間東京都議をつとめ、足立区長に(撮影:後藤勝)

近藤区長が給食に対する問題意識を持ったのは都議時代。おいしい給食事業以前から、足立区では自校給食を提供していた。しかし知人の子どもが足立区内で転校した途端に給食を食べなくなったという。学校ごとに調理しているとはいえ、同じ予算で作っているのだから味に大きな違いが出るのはおかしい。給食の食べ残しを調べると、残菜率がゼロに近い学校もあれば、30%を超える学校もあった。

足立区が抱える負のスパイラル

食べ残しを減らせば、予算のムダを削減できる。だが、区長にはもう一つの狙いがあった。

「『おいしい給食』を通して、足立区が抱える負のスパイラルを断ち切りたかったんです。給食に子どもの、そして町の未来を託せるのではないか、と」

給食の感想を児童に尋ねると、「日本一おいしい」と胸を張った (撮影:後藤勝)

負のスパイラルとは何か。近藤区長は、足立区が解決すべき四つの課題を、指を折って挙げた。

「子どもの学力、健康寿命の短さ、治安、そして、貧困の連鎖」

近藤区長が就任した当時、就学援助制度を利用する公立小中学校に通う児童生徒は40%を超え、東京23区で最も高い割合だった。就学援助とは、生活保護世帯とそれに近い家計状況の家庭に給食費や学用品代などを補助する制度である。

「四つの課題はそれぞれが独立しているのではなく、互いに連鎖して負のスパイラルを作っています。寿命や健康は幼いころからの食生活が影響します。生活習慣病で身体を壊して働けなくなれば生活が困窮してしまう。そんな家庭で育ち、満足な食事ができなければ、授業にも集中できなくなり、やがて学校から足が遠のいてしまうかもしれない」

足立区に「貧困」のイメージが広まるきっかけとなったのが、2006年に月刊誌に掲載された1本の記事だった。足立区の就学援助受給率や学力テストの結果が23区中最低だったデータなどをもとに“固定化する下層”を書いた。以来、テレビなどがこぞって格差社会の負の象徴として足立区を取り上げた。

「足立と言えば『これ』とみんながすぐに思い浮かべることができる新しいイメージをつくらなければ、と思いました」と近藤区長は言う。

新しいイメージづくり。その一つが、食べ残しゼロを目指す「おいしい給食」だったのだ。

9年間で給食の食べ残しが約3分の1に

足立区立伊興(いこう)中学校の栄養士、宮鍋和子さんは「おいしい給食」が始まった当時をこう振り返る。

「食べ残しを減らすのは簡単なんです。ハンバーグやパスタなど子どもたちが好きな料理を出せばいいんですから。でも『食べる』ってそんな単純な話ではありませんよね。『おいしい給食』が始まり、栄養士たちも給食の意味や役割を改めて考えるようになりました」

栄養士の宮鍋和子さんは「子どもは毎日の食事で季節を感じたり、郷土の文化に触れたりする。だからこそ、大人はきちんと考えて、子どもに食事を作ってあげなければ」と言う(撮影:後藤勝)

まずは学校ごとの残菜量を比較した。残菜が多い学校と少ない学校では何が違うのか。全小中学校の給食の食べ残しを把握したうえ、区内の栄養士たちは献立検討会で味付けや献立の情報を共有し、それぞれの学校で給食に反映させた。成果は如実に現れた。

2008年度に11.5%だった足立区の小中学校の平均残菜率が2017年度には3.9%まで減少。量にすると255トンの残菜を削減した。言い換えれば、捨てられていた255トンの食材が、子どもたちの栄養になったのだ。

食べ残しの減少と、足並みをそろえるように足立区の四つの課題にも改善が見られた。

小学6年生の全国学力テストの成績を比べると、2009年度には4教科とも足立区の平均正答率は、全国平均を下回っていたが、2014年度に4教科中、3教科で足立区が全国平均を上回った。

健康寿命や犯罪認知件数も改善した。もちろん「おいしい給食」さえ食べさせれば、こうした問題がすべて解決するわけではない。学習支援や放課後の子どもの居場所づくりなどにも力を入れた区全体での取り組みの成果だろう。

子どもの貧困対策に特効薬はないが……

こうした結果をふまえ、足立区は2015年に子どもの貧困対策担当部を設置した。担当係長が松本令子さんだ。

「子どもの貧困対策に特効薬はありません。特効薬がない以上、さまざまな方向から手を打っていくしかない。その意味では『おいしい給食』は貧困対策“にも”なり得る可能性があります」

子どもの貧困対策担当部の担当係長・松本令子さんは「今後、体験型の行事をもっと増やしたい」と話した(撮影:後藤勝)

松本さんが何度か強調した「貧困対策“にも”なり得る」という言い回しが、子どもの貧困対策の難しさを表している。

例えば、1人親家庭は困窮しがちだといわれる。しかし1人親が父親か母親かで抱える悩みや問題は変わる。十分な収入がある親でも、飲食店で深夜働いていると、親子がともに過ごす時間が短くなる。それぞれの家庭に合わせたサポートが理想だが、プライバシーの問題もあり、学校や行政ができることも限られる。

だからこそ、学校がさまざまな事情を持つ子どもたちに共通してアプローチできる「おいしい給食」が必要となる。それが、子どもの貧困対策の第一歩となるのではないか――。

松本係長は続ける。

「知ってほしいのは、貧困とは経済的な問題だけではないということ。これからは、体験の乏しさ、人とのつながりの希薄さなど見えない側面にも目を向ける必要があるのです」

給食で初めて箸を持った児童

体験の貧困について、梅島小学校の江原敦史校長は次のように説明する。

「なかには小学校の給食の時間で生まれて初めて箸を使う子どももいる。その児童は、給食という機会がなければ、箸を使う機会がずっとなかったかもしれない。また足立区に限った話ではありませんが、最近は遠足のたびにコンビニ弁当を持ってくる児童もいる。それが生き方にどう影響を及ぼすのか。子どもたちの様子を見ていると、10年前、20年前とは給食の役割が変わったと実感します。同時に『おいしい給食』は子どもたちの10年先、20年先を見据えた取り組みでもあると感じるのです」

この前の週に栃木県日光市で自然教室が行われた。その感想を聞く江原敦史校長に、生徒たちが笑顔で答える(撮影:後藤勝)

足立区で、ある教員が保護者に対して、子どもに野菜を食べさせるよう指導したことがあった。しかし母親の1人が「大丈夫です。うちではポテトチップスを毎日1袋食べさせています」と真顔で反論したという。そんな保護者に、学校として教師としてどうアプローチしていくのか。そうした例を持ち出し、親世代の無知やモラルの低下を憂いても何も変わらない。

給食費未納の生徒に給食を出さない自治体も

給食とは何か。

2015年、その根本を問う報道があった。埼玉県北本市の公立中学校で、給食費未納が3カ月続いた場合に生徒に給食を提供しないと決めたのだ。給食は、保護者が支払う給食費を原資としている。基本的に集金した金額の範囲で賄わなければならない。北本市の学校教育課担当者は次のように語った。

「未納家庭が増えると、メニューの劣化を招く恐れもあります。しわ寄せは、きちんと支払いを続ける生徒にくる。苦渋の決断でした。お困りの家庭があれば、行政の支援に結びつけていく施策だった」

結果として、未納で給食の提供を止められた生徒はいないが、北本市への決断には賛否が寄せられた。

決定に疑義を呈する意見だけでなく、目立ったのは「払えるのに払わない」親を非難する声だ。

「給食中の様子や雰囲気が子どもの変化を知るヒントになる」と江原校長は指摘する(撮影:後藤勝)

「義務教育の給食費は無償とすべき」

「給食費未納を親のモラルの問題と捉えると給食が本来持つ意味が見えなくなってしまう」と指摘するのは跡見学園女子大学の鳫(がん)咲子教授である。

給食のルーツは、1889年に山形県の小学校で貧困児童を対象に無償で提供されたおにぎりや副菜である。その後、日本の学校給食は、戦前の欠食児童・貧困児童救済を目的にスタートした。そして2016年時点で98.9%の小学生と78.0%の中学生が牛乳、おかず、主食がそろう完全給食を食べている。しかし地域差も大きい。今でも神奈川県の公立中学に通う中学生のうち75.5%に対し、完全給食が実施されていない。

「子どもの貧困対策情報交換会」で講演する跡見学園女子大学教授の鳫咲子さん(撮影:後藤勝)

「かつて経済的な事情による子どもの食生活の格差は大きかった。その格差を縮小できる機会が学校給食です。私は義務教育の給食費を無償化し、給食をすべての子どもの食のセーフティーネットにすべきだと考えています。古くから日本には給食という制度が根付いてきました。それをさらに発展させた足立区の『おいしい給食』は評価できます。子どもの貧困に取り組もうとするなら給食の価値や役割を見直し、さらに生かしていくべきなのです」

「おいしい給食」が始まって10年。子どもたちはもちろん親世代も「足立区の給食は日本一」という誇りを持っている。

味は、理屈や論理ではない。義務教育の9年間で、子どもたちは2000食以上の「おいしい給食」とともに、その経験も血肉とした。「おいしい給食」が変えようとしているのは、子どもの生き方であり、地域の将来である。2000回の給食のその1食1食が、子どもたちにとってかけがえのない原体験となるのである。


山川徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター。1977年、山形県生まれ。東北学院大学、國學院大学卒業。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に北西太平洋の調査捕鯨に同行した『捕るか護るか?クジラの問題』(技術評論社)、東日本大震災の現場を取材した『東北魂 ぼくの震災救援取材日記』(東海教育研究所)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)など。近著に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)。

[写真]
撮影:後藤勝
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト


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